はらはらと紅葉舞う、祇王寺。

公開日 : 2013年12月05日
最終更新 :
筆者 : Akio

嵯峨野の奥、祇王寺の紅葉景色。

祇王寺には、何度も寄せて頂いていますが、紅葉から落葉の時には初めてです。

見上げると、もみじと竹林が空を覆う様に広がっています。

《祇王寺》

◎  JR嵯峨嵐山駅から徒歩約25分。 京福電鉄嵐山駅から徒歩約25分。

    阪急電鉄嵐山駅から祇王寺へは徒歩約35分。

◎  拝観時間 AM9時-PM5時 ◎ 拝観料 三百円

散り紅葉・2013 125.jpg

祇王寺は こじんまりとした尼寺で、行く度にその狭さに驚きます。

『悲恋に泣いた、白拍子・祇王ゆかりの草庵・祇王寺』とも言われ・・

平家物語に登場する白拍子(舞いを踊る人)の

祇王・祇女・母・仏御前が念仏に専念した尼寺です。

散り紅葉・2013 053.jpg

今から遠い時代。

平安時代の嵯峨野のこの辺りは、静寂そのものだったと思います。

祇王寺から近い所に、化野念仏寺がありますが・・・・

平安時代のこの辺りは、風葬の地で、あまりの光景を見かねた空海が、

化野念仏寺を建て無縁仏を埋葬したと言われています。

散り紅葉・2013 048.jpg

祇王寺の深秋景色。

散りもみじが絨毯の様です。

散り紅葉・2013 116.jpg

ここには長い時を越えて語られる もう一つの 平家物語があります。

その物語は・・・・

祇王は、平清盛の寵愛と手厚い保護を受けていましたが・・・ある日、

仏御前という新しい白拍子(舞いを踊る人)が現れると、平清盛は 

すっかり魅了されてしまいました。

祇王は、心変わりした平清盛を見て、一句の歌を残して去って行きました。

『萌出るも枯るるも同じ野辺の草 何れか秋にあはで果つべき』 

祇王は嵯峨野のこの地で 妹の祇女・母と共に仏門生活に入りました。

散り紅葉・2013 106.jpg

時が過ぎた日、この庵を訪ねて来た女性がいました。

それは祇王の後、平清盛から寵愛を受けていた仏御前。

散り紅葉・2013 060.jpg

仏御前は祇王が書き残した歌を見て、この地に訪ねて来たのでした。

そして、自らの非を侘びました。詫びた仏御前は、かぶっていた衣を取ると、

髪を落とした尼の姿でした。

祇王は、その姿に胸を打たれ、仏御前を許し、妹の祇女・母

仏御前と共に、この地で念仏一途の生活に入りました。

散り紅葉・2013 087.jpg

その時、祇王21歳 妹の祇女19歳 母 45歳 

仏御前は17歳だったそうです。

散り紅葉・2013 112.jpg

奥嵯峨野は、自然の美しい所ですが苔むした草庵で暮らすには 

あまりに若い年齢ですね。

散り紅葉・2013 079.jpg

平家物語を語る琵琶法師の言葉は

『祗園精舎の鐘の声・・・・諸行無常の響あり沙羅雙樹の花の色・・・

 盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし』

はらはらと、散るもみじ。

深い秋景色の中に、祇王達が歩んだ平家物語が浮かんで来ました。

筆者

京都特派員

Akio

京都は平安京の頃から、今に至るまで様々な歴史が残っている町。歴史と季節を訪ねながら京都特派員ブログを、綴って行ければと思います。

【記載内容について】

「地球の歩き方」ホームページに掲載されている情報は、ご利用の際の状況に適しているか、すべて利用者ご自身の責任で判断していただいたうえでご活用ください。

掲載情報は、できるだけ最新で正確なものを掲載するように努めています。しかし、取材後・掲載後に現地の規則や手続きなど各種情報が変更されることがあります。また解釈に見解の相違が生じることもあります。

本ホームページを利用して生じた損失や不都合などについて、弊社は一切責任を負わないものとします。

※情報修正・更新依頼はこちら

【リンク先の情報について】

「地球の歩き方」ホームページから他のウェブサイトなどへリンクをしている場合があります。

リンク先のコンテンツ情報は弊社が運営管理しているものではありません。

ご利用の際は、すべて利用者ご自身の責任で判断したうえでご活用ください。

弊社では情報の信頼性、その利用によって生じた損失や不都合などについて、一切責任を負わないものとします。