坂本龍馬が歩いた町。木屋町。

公開日 : 2015年01月14日
最終更新 :
筆者 : Akio

木屋町の高瀬川辺りは、坂本龍馬ゆかりの地です。

一之舟入の風景。

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高瀬川西側に建つ、京都ホテルオークラ。

かつて、ここには長州藩邸がありました。

同ホテル前には桂小五郎さんの、銅像が建っています。

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木屋町の高瀬川沿いを歩いていると、舟入の石碑や数多くの石碑に出あいます。

江戸時代、高瀬川沿いには全国の藩邸がありました。

幕末には維新の風が吹き荒れて、高瀬川界隈で多くの事件が起きた事を

石碑は教えています。

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その時代、高瀬川沿いには幾つもの舟入がありました。

船入りとは小さな港の様なもので、荷物の上げ下ろしや等に使われていました。

現在、舟入は一之船入しか残っていませんが、かつては九ヶ所設けられていました。

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続いて、木屋町のビル街の中にある岬神社。

別名「土佐稲荷」とも呼ばれています。

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場所は木屋町の土佐藩邸跡を曲がり、蛸薬師通を少し行った場所にあります。

ここも龍馬ゆかりの所です。

毎年11月15日、龍馬命日の日には多くの人が訪れられています。

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高瀬川沿いの三条近くにある、海援隊京都本部があった「酢屋」さん。

『酢屋』さんは初代から現在の十代目まで、280年以上も続いている材木商ですから凄い歴史です。 

『酢屋』さんは幕末の頃、高瀬川を使って京から伏見・大阪へと通じる木材輸送をする仕事をしておられました。

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初代酢屋嘉兵衛さんは 坂本龍馬の活動に大変理解を示し、龍馬と海援隊に多大な援助を注がれました。

龍馬は『酢屋』の人々からは「才谷さん」と呼ばれ、ここの二階の表西側の部屋に住んでいたようです。

海援隊は、土佐藩脱藩の坂本龍馬が中心となり結成した貿易結社で

1865年から1868年まで3年余りの時を、私設海軍・貿易会社として活動していました。

日本で初めての株式会社とも言われています。

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坂本龍馬のいた町。木屋町。

龍馬さんのいた148年前の木屋町は、どんな風景だったのでしょうか。

今は、2015年の冬景色が広がっています。

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筆者

京都特派員

Akio

京都は平安京の頃から、今に至るまで様々な歴史が残っている町。歴史と季節を訪ねながら京都特派員ブログを、綴って行ければと思います。

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