細川ガラシャさんを思う勝龍寺城。紫陽花が咲いています。

公開日 : 2015年06月07日
最終更新 :
筆者 : Akio

長岡京市の勝龍寺城。

ここは、戦国時代細川家の城でした。

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お堀からの眺め。

勝龍寺城は、JR長岡京駅から歩いて10分の距離にあり自由に散策出来ます。

現在のお城は、1992年に公園として整備し再建されて

日本の歴史公園100選にも選ばれています。

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勝龍寺城は、天正6年(1578年)に細川忠興・ガラシャ夫妻が

結婚式を挙げ、新婚時代の約三年間を過ごした城。

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六月の勝龍寺城。

雨に濡れた、さつきと紫陽花が綺麗です。

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勝龍寺城は、細川ガラシャさん想い出の城。

展示室には、細川忠興・ガラシャさんの事や、

お城の資料が展示されています。

ここに咲く六月の花を見ていると、戦国の時代を生きた、

細川ガラシャさんの歩みも浮かんで来ます。

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細川ガラシャさん。(1563~1600年)

明智光秀の三女で、名は珠(たま)。

品格と知性を備えた大変美しい方だったそうです。

天正6年(1578年)、15歳の時に父の主君・織田信長のすすめによって

細川忠興に嫁ぎます。

勝龍寺城で過ごした三年間は、素晴らしい思い出の日々だったでしょうね。

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絵は、珠さんの輿入れ行列。

華やかな行列の様子が伝わって来ます。

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結婚から四年が過ぎた天正10年(1582年)六月。

珠さんの人生に激震が走ります。

それは、「本能寺の変」。

父である光秀が、織田信長を討って自らも滅んでしまい、

珠は「逆臣の娘」となります。

主人である忠興は、彼女を天正12年(1584年)まで丹後国に隔離・幽閉します。

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時を経て、覇権を握った羽柴秀吉の取り成しもあり、忠興は珠を細川家に戻しています。

キリスト教に入信したのは1587年。ガラシャの洗礼名は、その時から。

その後、関ヶ原の戦いに際し、石田三成から人質として

大阪城に入ることを強要されたガラシャさんは、

家老に胸を突かせて、亡くなられています。

ガラシャさん37歳でした。

辞世の句は

「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」

 改めて、戦国という時代の厳しさが浮かんで来ます。

六月の勝龍寺城。

雨に濡れた紫陽花が綺麗です。

紫陽花の季節。 048

○ 京都府長岡京市勝竜寺13-1

○ JR京都線「長岡京駅」から徒歩10分

○ 料金  無料 

○ 休館日  毎週火曜

筆者

京都特派員

Akio

京都は平安京の頃から、今に至るまで様々な歴史が残っている町。歴史と季節を訪ねながら京都特派員ブログを、綴って行ければと思います。

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