424年の時を越え、住宅街に残る平野御土居。
前ぺージからの続きです。
北野天満宮の御土居を見た後、天満宮の北門から出て
平野神社に続く道を少し歩き、住宅街に続く細い道を入ると、
ここにも、御土居が見えました。
平野御土居です。
御土居とは、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が,長い戦乱で荒れ果てた
京都の都市改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と,
鴨川の氾濫から市街を守る堤防として,天正19年(1591)に多くの経費と
労力を費やして築いた土塁です。それは、台形の土塁と堀からなり,
その長さは22.5キロメートルに及んだそうです。
今は道路や住宅で、寸断されている御土居。
かつては洛中洛外を仕切る大きな丘だったのでしょうね。
住宅街に残る平野御土居。
それは、424年前の京の町を想像させてくれました。
《今回行った御土居》 平野御土居。
〇所 北野天満宮北門から出て、平野神社に向かう道を少し歩き、
住宅街に続く細い道へ左折した所。
筆者
京都特派員
Akio
京都は平安京の頃から、今に至るまで様々な歴史が残っている町。歴史と季節を訪ねながら京都特派員ブログを、綴って行ければと思います。
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