龍馬を思う「伏見濠川の桜」。

公開日 : 2017年04月10日
最終更新 :
筆者 : Akio

歴史と酒造りの街として栄えてきた伏見の町。

京阪電車の中書島駅を出ると、すぐに太閤秀吉が伏見城の

城下町として発展させた伏見の街が広がります。

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桜景色の豪川(ほりがわ)。

豪川は伏見城築城のために宇治川から引かれた水路です。

満開の桜の咲くこの時期、酒蔵と桜の景色は

京都市内で見る桜風景とは、また違った趣きがあります。

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伏見は豊臣秀吉が建てた「伏見城」の城下町として

大名が屋敷を構えて発展した町でもありました。

江戸時代には参勤交代の西国大名が淀川から伏見に入り

大名屋敷で支度を整え伏見街道から江戸へ向かったそうです。

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桜満開の濠川。

川には、十石舟、三十石船が行き交い、濠川周辺には、

坂本龍馬が襲撃された寺田屋のほか、歴史ある町並みが広がっています。

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江戸時代の伏見は、大阪と京都を結ぶ淀川の舟運の港町として栄えた町で、

寺田屋のような船宿は何件も軒を連ねていました。

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元の濠川は、伏見城の外堀でしたが

龍馬の生きた時代には、ほぼこの様な水路だったそうです。

寺田屋事件の時、濠川を使って島津屋敷まで龍馬は逃れたとも言わています。

寺田屋前の川沿いには龍馬・お龍の銅像があります。

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そして、伏見と言いますと日本酒ですね。

古くから酒造の街として栄えてきた伏見は、豪川沿いに月桂冠や黄桜をはじめとする

伏見の名水で造られた酒造が並んでいます。

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十石船が桜景色の中を進んで行きます。

江戸時代、十石舟、三十石船は、旅客や米や酒などの貨物を輸送する

海上交通手段として重要な役割を果たしていました。

現在は観光遊覧船として運航しています。

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降り続いた週末の雨で、桜が散らないか心配でしたが、

伏見濠川の桜は満開です。

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《伏見、濠川水路》

〇アクセス  京阪本線「中書島駅」徒歩5分

       「伏見桃山」駅徒歩10分

筆者

京都特派員

Akio

京都は平安京の頃から、今に至るまで様々な歴史が残っている町。歴史と季節を訪ねながら京都特派員ブログを、綴って行ければと思います。

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