京都・映画誕生の碑「真如堂」

公開日 : 2019年09月12日
最終更新 :
筆者 : Akio

左京区の真如堂では、昨年の台風で破損した

三重塔の屋根瓦修繕工事が無事に終わりました。

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暑さが戻っている京都ですが、境内では萩が花を付け始めています。

真如堂の萩は、赤門前(総門)の参道横や、本堂や三重塔の周辺を中心に、

約100株ほどがあり、これから順番に花を咲かせてきます。

萩の字は、くさかんむりに秋と書いて「萩」。

萩は万葉の時代には最も愛された秋草だったそうで、派手さはありませんが、

秋の訪れを感じる可愛い花が咲きますね。

真如堂の萩の見頃は、9月上旬から10月上旬までです。

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境内を進んで行くと、本堂横には「京都・映画誕生の碑」があります。

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「京都・映画誕生の碑」

1895年フランスのリュミエール兄弟によって発明された映画(シネマトグラフ)が, 2年後の1897年に

実業家稲畑勝太郎氏の手により日本に持ち込まれ,初めて上映されたのがこの京都の地でした。

当初の映画は,全てすでに存在する被写体を撮影した今日でいう記録映画でしたが,スクリーン上に動く映画は,

それを観る人々を魅了したのです。

世紀が替った1908年,横田永之助氏の依頼をうけた牧野省三氏は,シネマトグラフを用いて歌舞伎の劇映画化に挑戦しました。

思えば歌舞伎の原点は京都の地にありました。牧野省三氏の試みは,この歌舞伎という京都の伝統芸能を

映画という新しい時代の科学技術と結びつけ,京都の映画を誕生させたのです。

以来,京都では多様にして大量の映画が創られることになりました。これを支えたのが,京都がもつ伝統芸能の力,

伝統工芸の力,歴史都市京都の歴史的景観等々,まさに,京都の文化力に培われたものであり,

それが1世紀間の時を経て京都の文化となりました。

京都で劇映画が創られて100年目というこの記念すべき節目の年に当り,牧野省三氏がその第1作「本能寺合戦」を

撮影したこの地「真如堂」境内に,その足跡を深く刻み,益々の映画発展を願って「京都・映画誕生の碑」を建立するものであります。

2008年10月1日 「京都・映画100年宣言」プロジェクト推進協議会

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数々の時代劇にも登場した真如堂。

近年では2006年の「大奥」にて、絵島(仲間由紀恵)が、新五郎(西島秀俊)と

運命の出会いを果たすシーンにも登場したそうです。

萩の花が咲き始めた真如堂。

ゆっくりと初秋の時が進んでいます。

《真如堂》

〇所      京都市左京区浄土寺真如町82

〇拝観時間   9:00~16:00

〇アクセス   市バス「真如堂前」・「錦林車庫前」下車徒歩約8分。

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筆者

京都特派員

Akio

京都は平安京の頃から、今に至るまで様々な歴史が残っている町。歴史と季節を訪ねながら京都特派員ブログを、綴って行ければと思います。

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