麒麟がくる!戦国乱世を思う「勝竜寺城」

公開日 : 2020年01月08日
最終更新 :
筆者 : Akio

長岡京市の勝竜寺城公園は、平成4(1992)年に勝龍寺城跡に造られた都市公園で、「日本の歴史公園100選」にも選ばれています。

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お城(管理棟)の二階には資料展示室(無料)があり、大河ドラマ『麒麟がくる』の放送を前に、展示内容も一新されています。

ここでは、勝竜寺城の歴史の紹介と共に、出土品なども並べられています。

また、1月11日からはミニ企画展「勝龍寺城の茶道具-文化交流の場-」が開催されます(1月11日~4月5日)。

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勝竜寺城の歴史は、1339年(歴応2年)に細川頼春が築城したと伝わっています。

戦国時代には、三好三人衆の属城でしたが、織田信長が足利義昭をたてて上洛する際に落城させます。

その後、信長は細川藤孝に勝竜寺城を与え、細川藤孝がより堅固な城に改修したそうです。

勝竜寺城は、細川藤孝の子息・細川忠興と、明智光秀の娘・玉(細川ガラシャ)が祝言をあげたお城であり、「本能寺の変」後には、明智光秀がここに寄って一夜を過ごしたお城でもあります。

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《忠興と玉(ガラシャ)が幸せな新婚生活を送ったお城》

勝竜寺城前の通りはガラシャ通りと名付けられています。

毎年11月の第2日曜日、玉の輿入れ行列の再現などによる「長岡京ガラシャ祭」がこの公園を中心に盛大に行われています。

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《勝竜寺城と明智光秀》

明智光秀は、本能寺の変を起こした後、羽柴秀吉との山崎の戦いで敗れ、この城に入城します。

その後、追撃にあった光秀は自身の居城である坂本城に移動しようとしますが、道中で落命します。

勝竜寺城は、その一日後に落城しています。

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城内の各所には、出土遺構に関する解説板や案内板も設置されています。

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勝龍寺城の発掘調査によると、お城は、当時の最先端の城郭であったそうです。

光秀が脱出したとされる北門には、当時の石垣が一部残り、天守が建てられていたと推定される土塁の上からは、お城全体や遠方には山崎の山々も見えます。

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《勝竜寺城》

〇所      京都府長岡京市勝竜寺13-1 勝竜寺

〇開園時間   午前9時から午後5時

〇休園日  無休

〇入園料  無料

△アクセス(JR)

  京都駅から約10 分、大阪駅から約30 分

 「長岡京駅」東口から南へ徒歩約10 分

△アクセス(阪急電車)

 京都河原町駅から約12 分、大阪梅田駅から約30 分

 「長岡天神駅」東口から南東へ徒歩約20 分

△アクセス(車)

 名神高速道路 大山崎IC から約6分

 京都縦貫自動車道 長岡京IC から約6分

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筆者

京都特派員

Akio

京都は平安京の頃から、今に至るまで様々な歴史が残っている町。歴史と季節を訪ねながら京都特派員ブログを、綴って行ければと思います。

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