ライプツィヒ市民の誇り、ライプツィヒ平和革命の日、30周年を迎えました!
世界中が注目したベルリンの壁崩壊。今年の11月9日は30周年の日を迎えます。
そのベルリンの壁が崩壊するきっかけとなった、ライプツィヒの平和革命をご存知でしょうか?当時、ライプツィヒで毎週月曜日にニコライ教会でおこなわれていた平和の祈り。それがどんどん膨れ上がり民主化運動へと発展しました。自由とより良い生活を求めて10月9日には約7万人がライプツィヒに集結。
武器を持った警察にデモ隊は囲まれ、一発触発の事態だったそうですが、人々は暴力に訴えることなく平和的なデモを継続し、ついには東ドイツ政府が屈するに至った無血革命なのです。
この日のデモをきっかけに、旧東ドイツ各地で自由を求めるデモが行われることとなり、一か月後のベルリンの壁崩壊の大きなきっかけになったのです。
同じ年の夏には、北京での民主化運動では天安門事件が起こり、警察が市民に発砲し多くの市民が犠牲になったのは、皆さんご存知かと思います。
ライプツィヒでも同じような事態になるのではないかと、人々は大きな不安をかかえていたことでしょう。ライプツィヒ市民の勇気が称えられています。
撮影:©Foto:LTM/ Tom Schulze
はじめに、シュタインマイヤ-大統領、ユング市長など要人のご挨拶がありました。
残念なことに、この喜ばしい日の御昼間に、水を差すような事件がお隣の町ハレで発生。武器を持った男がユダヤ教会を襲撃しようとしたところ、幸い教会のドアが開かず中にいた80人の人々は無事だったものの、その後歩行中の女性が撃たれ、また近くのケバブ屋さんでも発砲し、合計2名の尊い命が奪われたのです。
反ユダヤ主義者、もしくは極右主義者の単独犯行とみられ、ドイツ中が大きなショックを受けました。
今年は、例年のようなパ-フォ-マンスは全くなく、当時市民がデモ行進した町の周りを、人々が自ら歩いて思いを寄せるといった、参加型の催しでした。途中から雨が降ってきたものの、多くの市民がアウグストゥス広場に集結。当時のデモのように町の周りを各々の思いで歩きました。
途中の建物には、光による芸術的なライトアップがいくつも見られるという演出も楽しめました。
当時シュタ-ジの建物だった Runde Ecke(ルンデ エッケ)。30年前のこの日、人々はこの建物を占拠したのです。
ドイツ近代の歴史では負の歴史が多い中で、このライプツィヒ平和革命とそれに続くベルリンの壁崩壊は、ドイツが誇れる歴史だと思います。負の歴史のみならず、このライプツィヒ平和革命の歴史で、非暴力、平和の尊さというものを、後世にずっと伝えていって、欲しいものです。
筆者
ライプツィヒ特派員
シェーファー 玲子
2008年夏よりドイツ中東部の町ライプツィヒ在住。現在はライプツィヒにてフリーランスと主婦業に従事している。
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