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フランス/リヨン特派員ブログ マダムユキさん

フランス・リヨン特派員が現地からヨーロッパ地域に至るまで、旅行・観光・食事などの現地最新情報をお伝えします。

【フランス リヨン便り n°23】


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フランス本土における新型コロナウイルスの感染は、9週間連続して減少傾向にあります。フランスにおいては、重篤者の83%、死亡者の86%が併存疾患のある方です。糖尿病や高血圧症など併存疾患を持っている方および65歳以上の高齢者は特に注意が必要です。


2020年05月21日14時現在で、フランスの感染者数は前日より318人増の14万4163人、入院患者数は延べ9万9822人、退院者数延べ6万3858人、重篤者数は前日より28人増の1745人、死亡者数2万8215人が確認されています。
世界全体では、2019年12月31日以降の感染者数は延べ496万0975人(ヨーロッパ全体では132万8457人)、死亡者数は32万7904人(ヨーロッパ全体では15万9172人)です。


フランスでは5月11日から外出制限が段階的に緩和されています。
リヨンでは、5月18日からリヨン市内のマルシェが大幅に解禁されました。営業日時は制限されていますが、リヨン市内で72のマルシェが再開しています。


マルシェは生鮮食品を中心に販売される屋外の朝市で、フランス人の生活に欠かせない場所です。朝採りたての野菜や果物、肉類やチーズなどが直販されます。
フランス人の多くが、トイレットペーパーといった日用品はスーパーで、生鮮食品はマルシェで購入しています。
マルシェとスーパーとの大きな違いは、売り手と買い手のコミュニケーションです。「ボンジュール、これ、くださ~い!」、「どれくらい?」と声をかけあって売買取引が成立します。マルシェでは人と人とのリアルな交流を楽しめます。
コロナ禍でテレワークが推奨されるように、これから「非接触社会」が進んでいきますが、マルシェはその流れに反する場となります。ひとつぐらい例外があってもいいですよね。


5月22日、久しぶりにリヨンのソーヌ川沿いにたつマルシェを歩きました。


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ソーヌ川沿いのサンタントワンヌ河岸通り(Quai Saint Antoine)にある市場は、121の露店からなるリヨン最大の朝市で、地元の人のみならず、観光客でにぎわう場所です。
残念ながら、観光客不在の今、出店数も少なく、客同士が接近しないように露店前にラインが引かれていたり、商品に触れないないようにプラスチック製の板が置かれていたりと、物理的バリアが心理的バリアにも感じますが、仕方ないです。それよりも、農家の方たちが戻ってきたことがとてもうれしかったです。


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旬の素材が目を楽しませてくれました!


【リヨン市内のおすすめマルシェ】
クロワ・ルース(リヨン1区):水曜日、木曜日 6時~13時
クロワ・ルースBIO(リヨン1区):土曜日 6時~13時30分
カルノ広場(リヨン2区):日曜日 6時~13時
サンタントワンヌ(リヨン2区):火曜日~金曜日 6時~13時
オガニュ―ル河岸(リヨン3区):火曜日~木曜日 6時~12時30分、木曜日 13時30分~20時
サンジャンBIO(リヨン5区):木曜日 6時~12時30分
テット・ドール(リヨン6区):水曜日、木曜日 6時~13時30分
サン・ルイ(リヨン7区):火曜日 6時~12時30分、金曜日~日曜日 6時~13時30分
 


2020年5月23日

【フランス リヨン便り n°22】


フランスのリヨンの町をローヌ川(le Rhône)とソーヌ川(la Saône)が流れ、リヨンの南端で合流し、地中海へと流れていきます。このふたつの川に挟まれた中州はプレスキル(Presqu’Île)と呼ばれ、リヨンの中心となる商業地域になっています。プレスキルにはふたつの主要な広場があり、南がベルクール広場(Place Bellecour)、北がテロー広場(Place des Terreaux)です。


リヨンの北に位置するテロー広場に面して、リヨン市庁舎 (Hôtel de Ville)とリヨン美術館(Musée des Beaux-Arts)が建ち、自由の女神の作者で知られる彫刻家フレデリック・バルトルディ(Frédéric BARTHOLDI、1834-1904年)の美しい噴水が広場の中央を飾っています。クロワ・ルースの丘の麓にあたる広場の北側にはカフェやレストランが並び、天気のよい日は季節を問わず、観光客やリヨン人でテラスがにぎわい、テロー広場はリヨンの観光名所のひとつになっています。


外出制限が発令される1ヵ月前、リヨン市庁舎を訪問しました。
リヨンを代表する歴史的建築物である市庁舎と意外と知られていないその内側をご紹介します。


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■テロー広場
リヨン市庁舎はクロワ・ルースの丘の麓に位置するテロー広場の東側、リヨンオペラ座が建つコメディー広場の西側にあります。
テロー広場は美しい長方形の歩行者専用の広場です。「テロー」という名は溝を意味するラテン語「Terralia」に由来しています。16世紀以前、テロー広場はリヨンの町の北の境界線となる城壁の外側にあり、その城壁に沿って「溝」が掘られ、ローヌ川とソーヌ川を結ぶ運河が流れていました。16世紀になって、フランス王で「民衆の父」と呼ばれたルイ12世がこの城壁をクロワ・ルースの丘まで移動させました。1512年のことです。こうして、テロー広場が城壁内におさめられ、リヨンの町に属するようになりました。1576年頃からテロー広場に豚肉市場が建つなど、庶民の広場としてにぎわっていきます。


17世紀、テロー広場に大きな転機が訪れました。1646年、広場の東側にリヨン市庁舎を建設することが決定されたのです。リヨンの商業活動の中心がソーヌ川の右岸(リヨンの旧市街地)からプレスキルへと移り、市庁舎の建つテロー広場が行政の中心となっていきます。


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■リヨン市庁舎の歴史
1462年まで、リヨンの市政を司る場所というのは特になく、古文書によればサン・ニジエ教会(Eglise Saint-Nizier)、サン・ジャケーム礼拝堂(Chapelle Saint-Jacquême)に市参事会員が集まり、現在でいうところの市議会が開かれていました。サン・ニジエ教会は現在もリヨン第2区に存在していますが、サン・ジャケーム礼拝堂はフランス革命時代に国有財産として売却され、1791年に取り壊されました。


市庁舎としての機能をもつ建物が登場するのは1462年になってからです。市参事会員たちは、リヨン市が1424年に購入した、サン・ニジエ教会の北側に面するフロマジュリ通り(rue de la Fromagerie)にあるシャルネ邸(maison de Charnay)に議会の場所を移しました。しかし、この建物は市庁舎としては小さすぎたため、リヨン市は1604年にルネサンス様式の瀟洒な建物、クーロンヌ邸(Hôtel de la Couronne)を買い取り、市庁舎として使用することにしました。クーロンヌ邸も次第に手狭になり、絹織物産業で発展を続けるリヨンの町を象徴するような立派な市庁舎が必要だという声が高まってきました。しかし、市庁舎を建設するに十分な資金がなく、市庁舎建設計画はなかなか進みませんでした。1646年、リヨン市は市庁舎として使用しているクーロンヌ邸を競売にかけ、その売却益を新市庁舎の建設費に充てることを決定します。新市庁舎の建設場所として、新たに土地を購入する資金がないこともあり、リヨン市がすでに所有していたテロー広場の東側が選ばれました。


クーロンヌ邸は現在「リヨン印刷博物館(Musée de l’imprimerie)」として利用されています。ルネサンス様式特有のアーケードや螺旋階段塔、外壁の美しい彫刻装飾が残されていますので、リヨンを訪問される機会がありましたら、お立ち寄りいただきたい場所のひとつです。「リヨン印刷博物館」についてのこちらの投稿も参考にしていただければうれしいです。
「フランス リヨンで、印刷の歴史を辿る」
https://tokuhain.arukikata.co.jp/lyon/2020/01/post_314.html


■リヨン市庁舎の建設
1646年、広場の東側にリヨン市庁舎の建設が決まり、リヨンの建築家シモン・モーパン(Simon MAUPIN、不明-1668年)にその設計がゆだねられました。新市庁舎を設計するにあたり、モーパンはパリに赴き、国王付首席建築家のジャック・ルメルシエ(Jacques LEMERCIER、1585-1654年)や、建築家であり数学者として名を広めていたジラール・デザルグ(Girard DESARGUES、1591-1661年)にアドバイスを求めたそうです。


1646年5月8日、フランス王ルイ14世から設計図の承認を得て、同年9月5日、ルイ14世の誕生日という記念すべき日に「リヨンの栄光」と刻まれた礎石を据える定礎式(着工式)が行われました。


工事は数々のトラブルに見舞われ、建物の大枠が完成したのは1654年になります。内装はトーマ・ブランシェ(Thomas BLANCHET、1614-1689年)が担当し、1672年に工事が終了しました。着工から26年の歳月を要しました。リヨンの栄光の象徴として建設された市庁舎は、念願かなって、当時、ヨーロッパ有数の豪華な建物として話題になりました。


竣工から2年後、1674年9月13日、不幸なことに市庁舎は大火事に見舞われます。祭典の大広間や礼拝堂が焼失し、屋根が崩落しました。しかし、リヨン市には修復する資金がなく、25年後の1699年になって、市庁舎を修復することが決定しました。


ルイ14世の首席建築家でパリのヴァンドーム広場やロワイヤル橋を手がけたジュル・アルドゥアン=マンサール(Jules HARDOUIN-MANSART、1646-1708年)に設計をゆだね、1701年から1703年にかけて損傷した建物の修復が行われました。大広間は、モーパンの設計では大理石と石が使われていましたが、マンサールは彫刻を施した木板で覆い、歴代市長の肖像画で壁を飾りました。建物の外装は、彫刻家シモン・ギヨーム(Simon GUILLAUME)が、内装は、再びトーマ・ブランシェが担当し、建物正面のファサードは、彫刻家マルク・シャブリ(Marc CHABRY、1660-1727年)による「ルイ14世の騎馬像」で飾られました。


18世紀末、市庁舎は再び大きな被害を受けました。市庁舎を襲ったのは火事ではなくフランス革命です。1793年、革命軍により市庁舎が攻撃され、ファサードを飾るルイ14世の騎馬像が取り壊されました。
そして、市庁舎の中に反革命派を裁く革命裁判所が設けられ、有罪判決を受けた者はテロー広場あるいはベルクール広場でギロチンにかけられるという恐怖政治が台頭しました。


1803年7月14日、市庁舎は2度目の大火事に見舞われ、またしても祭典の大広間などが焼損しました。
1829年にルイ14世の騎馬像があったファサードに、ジャン=フランソワ・ルジェンドル=エラル(Jean-François LEGENDRE-HERAL、1796-1851年)が手がけたエンリ5世の騎馬像が置かれましたが、大きな修復工事は1850年になってからです。


1853年、ローヌ県の県知事にクロード・マリウス・ヴァイス(Claude Marius Vaïsse)が任命されました。ヴァイスはリヨン市長も兼任しており、県政および市政をリヨン市庁舎で行うことを望み、建物が劣化していたリヨン市庁舎の修復工事に取りかかります。リヨン出身の建築家トニー・デジャルダン(Tony DESJARDINS、1814-1882年)の指揮下で、ファサードは17世紀のマンサールの設計を再び採用し、本館は18世紀の新古典主義様式で新しい風を入れました。大階段の内装は、ブランシェの作品を可能な限り忠実に修復し、布クロスも17世紀の当時と同じものがリヨンの絹織物工房で複製されました。1854年から1869年の15年の歳月をかけて修復工事が行われ、現在の姿になりました。


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■リヨン市庁舎の内側
大階段(Escalier d’honneur)
楕円を描く螺旋状の階段は建築家であり数学者でもあったジラール・デザルグの作品です。天井や壁には1658年から1667年にかけてトーマ・ブランシェが手がけた絵画が複製されています。64年の「ネロ皇帝の治世中にラグドゥヌムを襲った大火災」の様子が描かれ、リヨン市庁舎の火災との闘いの歴史を象徴しています。


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祭典の大広間(Grande Salle des fêtes)
正面の大階段を登った最初の部屋になります。長さ26m、幅12mの広さで5つの窓が配され、テロー広場を一望できます。1674年の火事でブランシェ(1655年)の装飾は焼失してしまいました。火災後、マンサールによって修復工事が行われました。暖炉の上の銅製レリーフには、「ローマの武将ルキウス・ムナティウス・プランクスによるリヨン(ルグドゥヌム)創設」が描かれています。


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エンリ4世の間(Salon Henri-IV)
1652年、この部屋で市長や執政官の任命式が行われていました。ブランシェの肖像画の名前から、「エンリ4世の間」と呼ばれています。ブランシェの肖像画は失われました。天井画は太陽王ルイ14世の栄光を表現し、「王室に対するリヨンの永遠の忠誠心」(1671年)が描かれています。ブランシェはシンボルやアレゴリーを研究し、いたるところで用いています。


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紋章の間(Salle des armoiries)
リヨンの役人の肖像画で飾られていましたが、火事で焼失してしまいました。現在は、当時の役人の紋章が壁一面に飾られています(フレームは18世紀のものです)。


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執政の間(Salon du Consulat)
歴代市長が利用していた部屋です。ブランシェが内装を担当しました。天井は1659年から1660年の作品で、「リヨン執政の栄光」を表現し、暖炉の両隅を飾る彫像は、「慎重(Prudence)」と「哲学(Philosophie)」を象徴しています。


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保持の間(Salon de la Conservation)
1658年、リヨン物産市の特権を保持するための裁判に使われた部屋で、現在の商事裁判所にあたります。商事に関する係争は、王立裁判所ではなく、市の執政機関にゆだねられていました。天井画は1669年のブランシェの作品で、中央のメイダイヨンに「悪徳の陥落」が描かれ、その四隅に「善悪の区別(Distinction du Bien et du Mal)」、「誠意(Sincérité)」、「英知(Sagesse)」、「リヨンの天分(Génie de Lyon)」を意味するアレゴリーが描かれています。


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旧古文書室(Salle des anciennes archives)
アーチ型天井が中世の雰囲気を漂わせています。部屋の中央をニコラ・ルフェヴル(Nicolas LEFEBVRE)による豪華な暖炉(1652年作)が占め、ガラスボールが印象的なオランダ製のシャンデリアやフランス第二帝政時代の絵画が飾られています。


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紅の間(Salon rouges)
かつて市長の私邸として使用されていました。


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いかがでしたか。
リヨン観光局が市庁舎見学を企画しています。現在、新型コロナウイルスの影響で見学は中止になっていますが、ウイルスが落ち着き、リヨンを訪れる機会がありましたら、市庁舎見学をお楽しみください!
安全に安心して海外旅行に出かけられる環境が整い、リヨンにお越しいただける日を心よりお待ち申し上げています。


【リヨン市庁舎(HOTEL DE VILLE DE LYON)】
・住所: 1 Place de la Comédie 69001 Lyon France
・見学日: リヨン観光局サイトにてご確認ください
・見学時間: リヨン観光局サイトにてご確認ください
・見学所要時間: 1時間30分
・見学言語: フランス語
・入場料: 大人€12
・URL: https://en.visiterlyon.com/salons-of-the-city-hall.html
・アクセス: 地下鉄A線「Hôtel de Ville - Louis Pradel」駅
 
 


2020年5月18日

【フランス リヨン便り n°21】


2020年5月11日は忘れられない日となりました。


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振り返れば、3月12日、マクロン大統領が新型コロナウイルスに関するテレビ演説で、フランスは「感染拡大の初期段階」にあると冒頭で述べ、感染制御のためには「国民の連帯」が必要であると国民に呼びかけました。そして人の移動は必要最小限に、集会は可能な限り制限するとし、3月16日の月曜日以降、保育所から大学までの教育施設を閉鎖することを発表しました。この突然の一斉休校宣言に、年少の子供を抱えながら働く親たちは、「子供が学校に行かずに家にいれば、仕事はどうすればよいのか」と困惑し、一方で3月15日に予定されていた市町村議会選挙は予定どおり実施するという決定に、政府方針の矛盾と政策の不明瞭さが話題になりました。


さらに国民を驚かせたのは3月14日のフランス政府の声明です。フィリップ首相がフランス国内における新型コロナウイルスの加速度的な感染拡大を受けて、感染レベルを「ステージ3」、つまり「全土において活発にウイルスが流行している状態」に引き上げ、その日の24時からレストランやカフェ、映画館、ディスコなどを閉鎖すると発表したからです。マクロン大統領の演説からわずか2日後のことです。ちょうど私は仕事を終えてレストランで食事をしているときに、携帯でそのニュースを知りました。「この食事を最後に外食ができなくなる」という信じがたい思いで、何度も何度もニュースを読み返しました。「狐につままれたような」不思議な感覚に襲われました。ロックダウンの鐘が鳴り響く衝撃的な夜でした。


翌日の3月15日、予定どおり地方選挙の第1回投票が行われました。投票率44.66%と極めて低い水準で終わり、国民がウイルスに対する警戒心を強めたことを物語っていました。また、田舎にセカンドハウスを持っている人は、ロックダウンで身動きできなくなる前に、この日曜日のうちに荷物をまとめて庭付きの家へと引っ越していきました。


3月16日、再び、マクロン大統領がテレビ演説を行いました。4日前とはまったく異なる表情と口調で「ウイルスとの戦争状態にある」と何度も繰り返しながら、翌日17日の正午から少なくとも15日間、仏国内において罰金をともなう外出規制を行うという異例の措置を発表しました。当然ながら、市町村議会選第2回投票は延期となりました。
また、EU共通の決定として同17日正午からEUおよびシェンゲン圏への入境が閉鎖され、EU域外の国とEU圏内の国の間の渡航が30日間停止されることになりました。国境閉鎖は避けがたい措置だと理解していましたが、感情論ではフランスと日本をつなぐ橋が流され、取り残されたような、一抹の寂しさと、「自由」を奪われてしまったことに対する、はけ口のない無意味な憤りを覚えました。


3月17日、食料品や薬局以外の小売店、飲食店のシャッターが下り、ショッピングセンターや映画館が閉鎖され、リヨンの町がゴーストタウンになりました。


新型コロナウイルス感染者数、入院者数、重篤者数、死亡者数は増え続け、マスク不足や検査キット不足、薬品不足、医療従事者不足、病院のベッド不足……、など不足だらけの状況に、政府に対する批判も高まっていきました。


3月27日、予想どおり外出制限の期限が4月15日まで延長され、学校閉鎖期間も4月15日まで延長されました。


4月13日、マクロン大統領のテレビ演説があり、3670万人が視聴するという大統領演説としては過去最高の視聴率を記録しました。国民の関心は「外出制限はいつ解除されるのか」という点にありました。大統領は「5月11日まで外出制限措置を延長」するとし、一方、5月11日以降、大学などの高等教育機関を除き、「託児所および小中高校を段階的に再開する」ことを発表しました。「5月11日から外出制限措置が解除」されるかもしれないという希望が生まれました。


こうして、「5月11日」をキーデートに世の中が動き始めました。4月28日、フィリップ首相が国民議会で外出制限措置解除に係る演説を行い、5月7日の防衛閣議で5月11日からの外出制限緩和が決定されました。
自宅から直線距離で100km圏内という制限付きですが、外出が可能になります。外出する、しないという選択が与えられ、つまり行動の「自由」を再び獲得しました。ただ、ワクチンも治療薬もなく、ウイルスはいたるところで活動しています。「自由」と引き換えに得たものは「ウイルスに感染するかもしれない」という「リスク」と「人にウイルスを感染させてはいけない」という「責任」です。


キーデートの5月11日はフランス全土で雨あるいは曇り空の天気となりました。
リヨンも不安定な空模様でしたが、ときどき、雲と雲との間に青空が広がりました。
56日ぶりにリヨン市内を歩きました。


ローヌ川とソーヌ川で挟まれたプレスキルと呼ばれる中州はリヨンの中心街で商業地区としてにぎわう場所ですが、ほぼロックダウン前の人どおりに戻っていました。友達同士であったり、家族間であったり、ひとり歩きであったり、人それぞれですがすれ違う人がみな、明るい表情をしていました。そしてすれ違うとき、距離を取ろうと意識していることが伝わってきました。今まででは考えられないことです。
私の見る目が変わったのか、世の中が変わったのか……。
マスク着用者が多いことにも驚きました。公共交通機関を利用する場合、11歳以上はマスク着用が義務付けられていますが、町なかの移動は義務ではありません。それでも、ほとんどの人がマスクを着用して外出していました。


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リヨンのテロー広場近くにブションリヨネ(リヨン風ビストロ)が連なる狭い通りがありますが、そこは人の行き来がありませんでした。また、メルシエ通りというレストラン街も閑散としていました。5月11日以降も、レストランやバー、映画館、劇場、博物館などは引き続き閉鎖されています。


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「ウイルスの流行」「病院の受け入れ能力」「PCR検査の能力」という基準に基づき、フランス全土が赤ゾーンと緑ゾーンのふたつに分けられています。各ゾーンで制限緩和が若干異なります。例えば、赤ゾーンは公園や庭園は引き続き閉鎖されますが、緑ゾーンでは開園が許可されます。緑ゾーンでは6月上旬からレストランやカフェが再開する可能性があります。学校も、小学校については5月11日以降に開校となりますが、中学校については緑ゾーンで5月18日から、高校については緑ゾーンで6月上旬からの開校となります。
赤ゾーンは、パリを中心とするイル・ド・フランス圏、ストラスブールを中心とするグラン・テスト圏、ディジョンを中心とするブルゴーニュ・フランシュコンテ圏、リールを中心とするオート・ド・フランス圏、そして海外県のマイヨット県です。リヨンは緑ゾーンにあります。


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これから、「段階的に」「地方ごとに」制限が解除されていきますが、「ウイルスと共に生きる」ことを余儀なくされます。5月11日、「ウイルスとの共生」の第一歩が始まりました。これからです。人の命を守りながら、日常生活をより正常な状態に戻し、経済活動を再開していかなければなりません。3月16日、マクロン大統領が宣言した「ウイルスとの戦争状態」はまだまだ続きます。


それでも、ゴーストタウンと化したリヨンの町に活気が戻ったことがとてもうれしくて、小雨が舞い始めても心は晴れていました。
 
 


2020年5月13日
2020年5月 3日
2020年4月28日
2020年4月21日
2020年4月15日
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  • 特派員プロフィール
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    マダムユキさん
    リヨン在住20年。リヨン第二大学で美術史専攻。中世からルネサンス期の美術品・絵画・建築を得意とする。ワインとビールが生活の友。フランス現地手配会社を経営する。フランス リヨンの文化・芸術・建築を中心に、リヨン情報をお届けしたい。ツアー情報などのお問い合わせはこちら
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