フランスのリヨンを離れて、ロレーヌ地方で鉄が生み出してきたパワーに心を奪われる

公開日 : 2020年04月10日
最終更新 :

【フランス リヨン便り n°16】

フランスはイースターを迎える春日和のなか、外出制限は解除されることなく、自宅待機を余儀なくされています。

新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)COVID-19は依然としてヨーロッパに蔓延し、2020年04月09日14時現在で、フランスの感染者数は前日より4286人増の8万6334人となり、入院患者数は延べ6万2641人、退院者数2万3206人、重篤者数7066人、死亡者数1万2210人が確認されています。世界全体では、2019年12月31日以降の感染者数は延べ147万6819人(ヨーロッパ全体では66万5778人)、犠牲者数は8万7816人(ヨーロッパ全体では5万9508人)にのぼります。

パリ市は4月8日(水)より、10時~19時の時間帯において個人的な運動目的での外出が禁止されました。リヨンもスポーツウエアでジョギングあるいは散歩をしている人の姿を見かけますが、ウイルス感染が落ち着くまで「STAY HOME」が大切です。そして、ワクチンや治療薬の開発を期待し、ウイルスの終息を心より願うばかりです。

昨年になりますが、フランスのリヨンを離れて、アルザス・ロレーヌ地方のモーゼル県にあるウッカンジュ製鉄所跡を訪れました。ウッカンジ製鉄所のU4高炉は、巨大な製銑の煙突と鉄からできた建築物で「鉄の怪物」と呼ばれています。高さ71mの高炉は遠くからも目立ち、その全体像を目にしたとき、バチカンの「システィーナ礼拝堂」やヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」を初めて見た時と同じ興奮を覚えました。

有史以来、人間はどれほどのものを創りあげてきたのでしょうか。芸術作品であっても、産業遺構であっても、人間の創造力の無限さと偉大さに心を打たれます。

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フランスのアルザス・ロレーヌ地方は、鉄鉱石と石炭を産出することから、フランス屈指の工業地域として産業革命以降、飛躍的に発展しました。

この鉄鉱石と石炭を巡り、しばしばフランスとドイツとの間で帰属争いが繰り広げられ、その歴史はたいへん興味深いものがあります。

アルザス・ロレーヌ地方は、かつてロレーヌ公国またはドイツ語でロートリンゲン公国と呼ばれ、現在のロレーヌ地方北東部、ルクセンブルクおよびドイツの一部からなる歴史的公国でした。

ナンシーを首都に長年神聖ローマ帝国の支配下におかれ、17世紀に入ってフランス王国が勢力を拡大し、ストラスブールなどを獲得し、18世紀にフランス領に編入されることになりました。

1871年、普仏戦争でフランスがプロイセン王国に敗れると、プロセインが講和条件としてアルザス・ロレーヌを獲得し、ドイツ帝国の成立を宣言したのです。

1919年、今度はドイツが第一次世界大戦で敗れたことを受けて、アルザス・ロレーヌ地方は共和国として自ら独立宣言しますが、フランスが領有権を主張し、それが認められて、ベルサイユ条約によってフランスに再編入されました。

1940年にナチス・ドイツが第二次世界大戦で再びフランスを破り、首都パリを占領し、アルザス・ロレーヌがドイツに再編入され、続いて1944年、ドイツに抵抗を続けていた「自由フランス(France libre)」(1942年7月から「戦うフランス(France combattante)に改称」)がパリを奪還して新政府を樹立すると、アルザス・ロレーヌ地方からドイツ軍を追い払い、現行の国境が引かれたのです。

フランス領とドイツ領を行き来した歴史をもつこの地方の人々は、フランス語とドイツ語の2ヵ国語を流暢に話す人が多いです。

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メッスから25km北上したところのウッカンジュ(Uckange)という町に12ヘクタールの広さをもつ製鉄所跡があり、アルザス・ロレーヌ地方の伝統産業のひとつ、鉄鋼業の発展と衰退を象徴する場所として保存されています。

当地方の東部に位置するモーゼル丘陵には鉄鉱床が広がっており、その採掘の歴史は古く、1700年に遡ります。本格的な鉄山開発は19世紀の半ばに始まりました。

ロレーヌ鉄鉱床から産出される鉄鉱石はミネット鉱と呼ばれ、リン分などの不純物を含む低質の鉄鉱石ですが、1878年にトマス製鋼法が開発され、リン分を除去することが可能となり、製鉄業に拍車がかかりました。

ウッカンジュ製鉄所はGerbrüder Strumm社によって1890年に建設されました。

最初の高炉は1890年12月に着工し、1891年に点火、それから1897年から1898年にかけて4高炉が、1904年に2高炉が新たに設置されました。

ウッカンジュ製鉄所は、高炉で鉄鉱石を還元して鉄を取り出す銑鉄の生産を専門とし、第二次世界大戦後、戦後の復興に多大な貢献を果たし、1960年から1970年代後半に全盛期を迎えます。

30の鉄山より採掘が行われ、1965年にフランスの銑鉄のすべての生産がウッカンジュ製鉄所に集中しました。

1970年代から製鉄の近代化の波が押し寄せますが、ダンケルクやフォスの臨海製鉄所への設備投資が優先され、ロレーヌ地方の製鉄所は老朽化が進み、生産効率の低下が問題となっていきます。6つあった高炉は徐々に稼働を中止し、一部は解体されます。現存するU4高炉が1976年に刷新されましたが12年間点火されることなく、1988年になってやっと再稼働したものの、1991年にウッカンジュ製鉄所の完全閉鎖が決定されたのです。

最初の開山以来およそ300年間行われてきたロレーヌ地方の鉄鉱石採掘も、1997年7月31日のモンルージュ鉱山の閉山で完全に幕を閉じました。

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1991年12月、最後のU4高炉が稼働を停止し、製鉄所が閉鎖されたとき、ウッカンジュ製鉄所を産業遺構として鉄鋼業の歴史を後世に伝え、工場跡地をエコミュゼとして発展させたいという有志が募り、Mécilorというアソシエーションが設立されました。2001年に工場跡は歴史的建造物に指定され、2006年から2007年にかけて、安全に見学者を受け入れられるように整備が進められ、2007年10月に「U4高炉公園」として一般公開されました。

製鉄所の旧職員がボランティアで見学ガイドを務め、鉄鉱石から銑鉄ができるまでの工程を詳しく説明してくれます。ロレーヌ地方はアールヌーボー発祥の地として知られていますが、フランスの重要な重工業地域として、フランスの工業発展を担ってきた一面を発見することができます。

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【U4高炉(HAUT FOURNEAU U4)】

・住所: 1 rue du Jardin des Traces 57270 Uckange France

・電話番号: +33 3 82 57 37 37

・開館時間: 火曜・金曜日 10:00~18:30、水曜・木曜・土曜・日曜日 14:00~18:00

・入場料: 大人€3

・アクセス: パリ東駅(Gare de l'Est)からTGV(高速列車)でティオンヴィル(Thionville)駅下車(直行便があり)、そこから車で10分。あるいは、パリ東駅からTGVでナンシー(Nancy)駅あるいはメッス(Metz)駅で乗り換えてウッカンジュ(Uckange)駅下車、そこから徒歩11分。

【お断り】

フランス国内における新型コロナウイルス(COVID-19)の加速度的拡大を受けて、2020年3月14日付けアレテ(省令)の発効により、飲食店、ショッピングセンター、展示ホール、美術館・博物館、視聴覚・会議室・多目的ホール、ダンスホール、屋内スポーツ施設が、2020年4月15日まで閉鎖されています。

筆者

フランス特派員

マダムユキ

リヨン在住20年以上。フランス各地の魅力を文化・芸術・建築・食を中心にお届けしたい。

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