ラハイナの悲劇のプリンセス、ナヒエナエナ

公開日 : 2010年02月25日
最終更新 :
筆者 : Satoko

マウイ島へ観光で訪れる人の誰もが一度は、ラハイナの町を訪れるでしょう。ラハイナは、いまやショッピング、グルメ、観光のメッカとなっていますが、1820年から1845年の間、カメハメハ一世をはじめ、ロイヤルファミリーの住む、ハワイ王朝の首都でもありました。

また、その頃はちょうどヨーロッパやアメリカ大陸からたくさんの貿易船が訪れ、宣教師たちがハワイの島々へ移り住んできた時期でもありました。それまで長い間培われてきたハワイ独特の習慣や文化がことごとく変化していく時期でもあったのです。そんな激動の時代の中、一人のプリンセスが生まれ、思春期をラハイナで過ごすのです。

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プリンセス・ナヒエナエナは、1813年にカメハメハ一世とその妻、ケオプオラニの間に生まれました。ケオプオラニは、大変身分の高い生まれで、カメハメハ一世でさえ、顔を上げて話をすることを許されませんでした。ナヒエナエナには、同じ父と母を持つ兄、カウイケアオウリ(後のカメハメハ3世)がいて、二人は大変愛し合っており、将来結婚することになっていました。当時のハワイアンの習慣として、近親結婚、特に高貴な血を受け継ぐ者同士の結婚は、その血筋を守りまた高めるものとして尊重されてきました。従って、王とその高貴な妻との二人の兄妹は、生まれながらにしてその道をたどる運命だったのです。

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ところが、ヨーロッパからの宣教師がハワイへ布教を始め、王族の中にもキリスト教を崇拝するものが多くなってきました。ハワイ王朝に多大な影響力を持っていた、ナヒエナエナの母、ケオプオラニもキリスト教の教えに傾倒していったのです。そして、宣教師の影響は次第に王朝の政治にまで影響を及ぼすようになりました。当然、兄妹同士の結婚は、キリスト教の教えには背くことであり、ナヒエナエナとカウイケアオウリの仲は、二人にはどうすることもできない力によって、引き裂かれてしまったのです。間もなく、ナヒエナエナはカウイケアオウリの子供を身ごもりますが、出産後数時間でその子供は亡くなってしまいました。ナヒエナエナは悲しみのあまり、21歳の若さでその生涯を終えました。カメハメハ三世として、王朝のトップに立ったカウイケアオウリは、他の女性と結婚しましたが、たびたび、ラハイナにあるナヒエナエナの墓標を訪れていたそうです。

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今もプリンセス・ナヒエナエナは、母親ケオプオラニと共に、ラハイナのワイオラ教会の片隅で眠っています。毎週日曜日には、この教会で地元のハワイアンの人々が集まる礼拝が行わています。時々、日本人の結婚式をこの教会で見かけますが、好きな人と結ばれることができなかったナヒエナエナは、どう思って見ているのでしょうか?“あなたたちは、幸せになってね。何があっても離れてはいけませんよ。”と、静かに見守っているのかもしれませんね。

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ワイオラ教会

535 Wainee St.

Lahaina, HI 96761

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