コロナ禍・予想外の日本"長期"滞在②

公開日 : 2021年01月09日
最終更新 :
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■救急車で隔離ホテルへ搬送

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12月19日朝にシドニー空港に無事到着。機内では、通常通りに入国カードの記入があったほか、到着時にバイオセキュリティ係官による面接があり、14日間のホテル隔離が必要となる旨の案内がありました。「ようやく上陸できたオーストラリアでしたが、窓の外は鬱々とした雨だったこともあり、うれしいとか安心したというよりも、これからどうなるのかな......?という不安の方が大きかったです」とBさん。飛行機を降り、入国審査(シドニー空港は自動のスマートゲート)もなく進んで行くと、広いフロアに数脚の椅子が並んでいました。そこで防護服を着た係官のほか医療関係者と思われるふたりから、渡航目的、シドニーでの滞在目的、自宅住所を聞かれたうえで、パスポート、永住ビザ、住所確認書類の提示を求められました。そのあと、通常の荷物受け取り場所へ行くとターンテーブルは稼働しておらず、仮設のPCR検査会場になっており、検温と問診の後にPCR検査を受けることになりました。Bさんはのどの痛みを"正直に"申告したため、救急車に乗せられて隔離ホテルへ搬送されることになってしまいました。無症状の人たちは空港バスに乗せられて隔離ホテルへ送られたと、あとから知ったそうです。

■クリスマス、年末年始をホテルで

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ホテルには正面玄関からではなく、監視員のいる専用口から入りエレベータに乗って宿泊部屋のある階に送り届けられました。「最初の椅子の並ぶフロアでの係官、PCR検査、救急車に乗るまでと搬送、ホテルに着いてからと人が交代しながらもしっかりと付き添われて逃げ道はまったくなく、まるで犯罪者になったような気分でしたね」(Bさん)。ホテルでは隔離プログラムの説明書類一式が渡され、毎日の検査内容(血圧、体温、血中酸素濃度)と問診、隔離中の注意事項、隔離終了時の検査と条件などについて書かれていました。Bさんの部屋は10階の1ベッドルームタイプのコンドミニアムで、食事は朝食にシリアル、昼食にサンドイッチ、夕食に電子レンジ料理を基本として毎日3食配られましたが、掃除・洗濯の提供はありません。廊下に出ることすら禁止されているので、運動不足になるうえ、とにかく暇だったそうです。隔離プログラム終了予定日は新年1月2日なので、クリスマス、年越しともにホテルで迎えることになりました。

■まさかの州境閉鎖で目の前が真っ暗

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隔離10日目(12月28日)と13日目にプログラム終了のためのPCR検査が行われ結果を待つちょうどその頃、年末にシドニーの一部で発生したクラスターの拡大を受け、1月1日23時59分からニューサウスウェールズ州からビクトリア州の入州が禁止になってしまいました(一部例外あり)。「もう、目の前が真っ暗になりましたね」(Bさん)。夕方になって陰性の結果とプログラム終了の通知を受け取ったものの、入州可能者の条件に適っていないため、ニューサウスウェールズ州保健省の隔離プログラム終了者専用窓口に問い合わせたところ、ビクトリア州で新たに14日間の隔離の可能性はあるものの入州はできるだろうとの回答でした。次にビクトリア州の担当省に問い合わせたものの明確な答えは得られず、それでも翌日の午後便でメルボルンへ向かおうとフライトの予約をしました。翌朝テレビでビクトリア州入州に許可証の申請が必要だと知ったBさんは慌ててオンラインで許可証の申請をするかたわら、日本出発前から当日までの旅程とそれを証明するチケットなどのレシート、隔離プログラム終了の通知、PCR検査の陰性証明など、思いつく限りの記録を揃えて2日の午後にシドニー空港へ向かいました。

■9ヵ月間を通して変わった人生観

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空港は閑散としており、チェックインカウンターではとくに書類を提示することもなく無事に離陸しました。機内も乗客率20%程度。そしていよいよ9月ぶりに到着したメルボルン空港の到着ゲートでは、防護服を着た人たちが「乗客ひとりにつきひと組の係官がぴったりつくという感じ」(Bさん)で、その場で事情を聞かれました。Bさんがシドニーでの隔離プログラムを終了してメルボルンに戻ってきた旨を伝えると、ほかの入州責任者らしき人のところへ案内され、隔離プログラム終了通知とこれまでの旅程、検査結果、入州許可申請の控えを示しながら説明しました。入州書類に記録されたあと、追加の隔離なしに晴れて空港ターミナルから出ることができました。「クリスマスも新年も隔離中のホテルで迎えることになり、コロナ禍の2020年にふさわしい年末年始だったと思います」とBさん。「いろいろありましたが、息子と長い間一緒に過ごすことができたのはとてもよかったと思います。そして、人生観も変わりましたね」(Bさん)。これまでは研究員として自分が追究したいことのためにひたすら働いてきた人生だったそうですが、今回の一件で社会の歪を目の当たりにしたことから、何か人の役に立ちたいと考えるようにもなったということです。

〈写真はBさん提供〉

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