海外旅行・観光情報の「地球の歩き方」TOP > 特派員ブログ > 日本  > 日本国内/奈良特派員ブログ

日本国内/奈良特派員ブログ 大向 雅

日本国内・奈良特派員が現地から日本地域に至るまで、旅行・観光・食事などの現地最新情報をお伝えします。


メール プリント もっと見る

DSC01925.JPG
ご存じのように奈良には凄い名所がたくさんありますが、すべてを一日で観て回るなんてことは到底できませんし、様々な神様や仏像、歴史背景などが一度に頭に入ってきますから何がなにやらわからないっ!ってことになりかねません。そんな時に頭と体を休めてほっこりとできる場所があるのが、奈良観光の良いところです。


この猿沢(さるさわ)池は天平時代に、興福寺での「放生会(ほうじょうえ)」を行うために造られた一周約350mの人工の池です。放生会というのは捕えた魚や獣を池や野に放つことで殺生を戒め、万物の生命を慈しむ儀式のことです。今でこそ興福寺の境内とは三条通をはさんで向かい合っているように見えますが、かつてこに池までが興福寺の寺領でありました。

DSC01966.JPG
近鉄奈良駅からも徒歩10分興福寺から「ならまち」に向かう場所にありますので、観光客はもちろんのこと地元の人たちにとっても憩いの場となっています。もちろんこの辺りにも鹿たちが歩いていますので、お弁当を食べるときは横取りされないように注意してください♪

DSC01987.JPG
通称「五十二段」とよばれるこの石段は、猿沢池から興福寺の南大門跡へと続く階段で、その名の通り下から上まで五十二段あります。これは大乗仏教の教えの中にあるもので、菩薩の修行の階位は一番下の信心・念心・精進心から始まり、一番上の妙覚までの五十二段階に分かれているというもので、妙覚に達した菩薩はあらゆる煩悩を無くし悟りを開いたブッダになれるそうです。この話を知ってから階段を一段ずつ噛みしめながら上り、興福寺に着く頃にはすっかり仏の境地に到達しておられることでしょう。

何気ない階段にも長い歴史と深い意味が隠されているのは、奈良ならではのことだと思います。

DSC01937.JPG
猿沢池に伝わる伝説でもっとも有名なのが「采女(うねめ)伝説」です。天平時代に、春姫という美しい女性が采女として宮中に仕えていました。ほどなく帝の寵愛を受けるようになりましたが、やがて薄れてしまい悲嘆にくれた春姫は猿沢池に身を投げてしまったと伝えられています。


この伝説を裏付けるように池のほとりには采女神社があります。ご祭神である春姫が自分が身を投げた池を見るのは嫌だと言って、後ろを向かれたということから池に背を向けて社が建てられています。


DSC02056.JPG
澄まず・濁らず・出ず・入らず・蛙はわかず・藻は生えず・魚が七分に水三分、猿沢池には昔から伝わるこのような七不思議があります。猿沢池の水は決して澄むことがない、かといってひどく濁ることもない。どこからも水が流入する川はなく、また流出する川もないのに常に一定の水量を保っている。亀はたくさんいるが、なぜか蛙はいない。亀や鯉が食べてしまうのか藻も生えない。毎年多くの稚魚が放たれているので、魚が七、水が三の割合になってもおかしくないはずなのに魚であふれる様子がない。


こんなことを考えながら夕涼みをするのもまた一興。興福寺の南円堂にお参りされる方が鳴らす鐘の音がやさしく響いてとても心地よいです。


2017年11月23日

DSC07332.JPG
三月堂の南側にあるこの手向山(たむけやま)八幡宮は聖武天皇が大仏造営をされた時、七四九年に現在の大分県宇佐から八幡宮の神々をお迎えし、鏡池の東側に社を造営して祀られたのが始まりとなります。

1180年の平重衡による南都焼き討ち事件によって焼失してしまい、鎌倉時代に現在の場所に再建されたそうですが、明治時代の神仏分離令に至るまでずっと東大寺の鎮守社として、それ以降も大切に守られてきました。

DSC07335.JPG
八幡宮ですので主祭神に応神天皇が祀られ、宗像三女神が姫大神として、応神天皇のご両親である仲哀天皇と神功皇后のご夫婦と、皇子である仁徳天皇がご祭神として祀られています
DSC00624.JPG
また手向山八幡宮の周辺は紅葉が綺麗なことから、百人一首の二十四番・菅原道真公が詠まれた「このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」の場所ではないかとも云われています。

DSC03060.JPG
そのまま南へ下っていきますと若草山の麓を通って春日大社へ抜けるようになっていますが、今回は三月堂の前の階段を西へ降りて行きますと、目の前に巨大な梵鐘が現れます。


京都の知恩院、方広寺とともに日本三大梵鐘にあげられるこの鐘は東大寺創建期からの遺構で、鐘楼は鎌倉時代に栄西禅師が東大寺の大勧進となったときの時代のものです。奈良太郎という愛称で親しまれており、毎晩8時に撞かれてその大きく優しい音が奈良の街に響き、とても心地よいです。

DSC03048.JPG
階段を下りていきますと金色に輝く大きな相輪が目に飛び込んできます。こちらは1970年に大阪で開催された万国博覧会のときのパビリオンの一つ古河館の遺構です。古河館パビリオンは東大寺の七重塔を模したもので高さ86mもある立派なものでしたが、残念ながら万博終了後に解体されて相輪の部分だけが東大寺に寄進されました。
DSC03030.JPG
さて、帰り道は中門の方へ行かずに池のほとりを歩きましょう。この大きな池は鏡池という名前の通り大仏殿が水面に綺麗に写り込みますので、四季折々の風景が楽しめます。
DSC02772.JPG
再び南大門に戻ってきまして、簡単にではございますが東大寺を一回りいたしました。このブログの記事が皆様のご旅行に少しでも参考になれば幸いです。



2017年11月16日

DSC02982.JPG
三月堂は不空羂索(ふくうけんさく)観音菩薩を本尊とするので、かつては羂索堂(けんさくどう)といわれていましたが、毎年旧暦の三月に法華会が行われたことから、法華堂(ほっけどう)というのが正式名称です。一般には二月堂に対して三月堂の愛称としても親しまれています

DSC02978.JPG
創建年代は明確にされていませんが、現在の東大寺の前身となります金鐘寺(こんしゅじ)があった頃にはすでに存在していたようで、東大寺境内の中でも最も古い建物だといえます。

DSC02979.JPG
よく見ていただきますと左右の屋根の形が対象でないのが分かります。向って左半分の正堂が奈良時代からのオリジナルで右半分の礼堂が鎌倉時代の再建のもの。

これについても諸説ありますが、元々は綺麗な寄棟造りの仏堂でしたが、平安時代末期に起こった平家による南都焼き討ち事件の際にダメージを受けて鎌倉時代に修復されたと考えられています。

DSC00613.JPG
天平時代のお堂を残したままに、鎌倉時代の棟梁が最新の方式を取り入れて、格好良く仕上げたといったところかも知れません。大仏殿やお隣の二月堂のように奈良時代の建築に多い、ゆったりとした左右対称の寄棟造りを進化させたデザインがモダンで素晴らしいです。

DSC02972.JPG
以前は堂内に16体の仏像が所せましと並び立ち、かなり圧迫感のあるライブハウスのようでしたが、現在は6体が東大寺ミュージアムの方にお引越しされました。


そのおかげで不空羂索観音像をリーダーに、梵天と帝釈天が脇を固める三尊形式を形成し、仁王像がその三体を守るように睨みを利かし、四隅には四天王がそれぞれ東西南北を守護するという、まさに完璧なフォーメーションが生み出されました。また正堂といわれる堂内には、壁際に畳敷きのベンチが備え付けられていて、お座敷のような空間で1時間でも2時間でも好きなだけ仏像に対峙できるようになっていますので、仏像マニアには嬉しい心配りだと思います。

DSC07307.JPG
三月堂は大仏殿、二月堂に比べて隠れた存在なので、あまり知られていません。逆にそのおかげでいつも人が少なくてゆっくりと過ごせる穴場なのです。


大きな仏像軍に囲まれて気持ちの良いところなので、ぜひ一度立ち寄ってみて下さい。


2017年11月 9日
2017年11月 2日
2017年10月26日
2017年10月19日
2017年10月12日
⇒すべての記事を見る

近畿旅行 旅スケジュール

旅行者の作る、新着!旅スケジュールをご紹介します。 ■奈良県の旅行記・口コミ「旅スケ」へ

日本国内特派員ブログ一覧

ニセコ・北海道三宅島三重与論島五島列島京都八丈島函館北杜・山梨北海道南三陸南島原和歌山埼玉大崎上島・広島大阪奈良宮古島富山小笠原山形広島徳島房総・千葉新宿新潟札幌東京東京2松前栃木横浜沖縄沖縄2湘南滋賀神戸神戸・兵庫福井福岡福島種子島能登茨城軽井沢・長野金沢釧路長崎長野青森香川鶴見大島・大分鹿児島

日本国内にもどる

  • 特派員プロフィール
  • 奈良特派員

    奈良特派員
    大向 雅
    京都奈良観光散策 雅流塾の代表 観光ハイヤーの経験と知識をもとに2014年に独自の観光ガイドシステムを立ち上げフリーランスの観光コンシェルジュ“たっしー&たー坊”として活動中 古都奈良にある神社・仏閣や名所旧跡を通して 古代より現在まで先人たちから受け継ぎ育んできた歴史と文化を分かりやすく伝えていきたいと思います。 DISQUS ID @disqus_YaoRmxkTzr

  • リーダーに登録

地球の歩き方Web特派員募集