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日本国内/奈良特派員ブログ 大向 雅

日本国内・奈良特派員が現地から日本地域に至るまで、旅行・観光・食事などの現地最新情報をお伝えします。


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壷阪寺がある高取町は、古代より飛鳥から吉野や紀伊に通じる道の途上にあたる重要な位置であり、古くから周辺の人口集中を支える地域として発展していた場所でした。

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その壷阪寺からすぐ上にある山の中には、五百羅漢と呼ばれるおびただしい数の仏が掘られた大きな石があり、そばには同じく石に掘られた金剛界と胎蔵界の曼荼羅があるなど、昔から信仰の場としても重要だったことが伺えます。


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また2キロほど登った山頂には、中世に築かれ明治維新まで存在し「日本三大山城」に選ばれている高取城跡があります。


もちろん天守閣をはじめとする建物は現存していませんので、ほとんどの方が知らない事と思いますが、高取城は奈良県高取町から4㎞程南東にある、標高583mの高取山山上に築かれた巨大な山城だったのです。


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途中までは車で行けますが結局のところテクテクと、この山道を歩いていかねば辿りつけません。

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道がどんどん険しくなるので心が折れそうになった時、ようやく平らになったと思ったら目の前に凄い迫力の石垣が現れます。

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曲がりくねって迷路のようになった城壁に沿って歩いていくと、ようやく大手門の跡までやってきます。

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かつては白漆喰(しろしっくい)塗りの天守や、櫓(やぐら)が29棟建て並べられ、曲輪(くるわ)の連なった連郭式の山城で、城内の面積は約10,000㎡で、周囲は約3㎞。城郭全域の総面積は約60,000㎡、周囲はなんと約30㎞に及ぶ、日本国内では最大規模の山城だったそうです。

山城といえば関西圏では日本のマチュピチュとして兵庫県の竹田城(たけだじょう)が有名ですが、標高353.7mその縄張りは、南北約400m、東西約100mという規模しかありませんから、いかに高取城が凄いお城だったかが分かります。

高取町はかつて植村家2万5千石の城下町として栄えていた名残を、現代に伝えられているなど、とにかく見どころが沢山あるので、飛鳥、吉野へお越しの際は、ぜひ立ち寄ってみて欲しいと思います。


岡山県の松山城(まつやまじょう)、岐阜県の岩村城(いわむらじょう)とともに、日本三大山城の一つに数えられておりかつては城下町も築かれて栄えていた。

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江戸時代に発令された一国一城令(いっこくいちじょうれい)の際も、大和国には政(まつりごと)の拠点となる郡山城(こおりやまじょう)があったにもかかわらず、高取城は重要な山城という格付けをされたおかげで破却を免れ、現在に至るまで石垣や石塁が残されています。

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勇壮な城壁がそびえ立っています。

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日頃は二条城や大阪城といった美しい城壁ばかり見ているので、こちらは山城っぽい荒々しさが出ていて、とても男性っぽくてカッコいいです(´▽`)

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お城の東側・北側・西側は残念ながら木々に覆われて見通しは利きませんが、天守があった辺りからは南側(吉野・大峰山系)だけがきれいに見通せます。草を刈って木々を整えれば、見晴らしは抜群に良くなると思います。


このようにあまり観光客に知られていない場所でも、古代からの息吹が生々しく残されている場所が沢山あるというのも、奈良ならではだと思います。


2018年6月14日

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今回は西国三十三ヶ所観音霊場第6番札所として知られる壷阪寺を紹介。

弁基上人によって703年に創建された古刹で、ご本尊の千手観音菩薩は、浄瑠璃「壺坂霊験記」にも登場されることから眼病に霊験があらたかとされ、創建当時からの文化財はほとんどありませんが、さまざまなテーマに区切られた広大な境内は、まるでテーマパークのようなお寺なので、参拝客が絶えません。

寺伝によると弁基上人が修行していたときに、愛用の水晶の壺を坂の上にある庵に納め、感得した像を刻んで祀ったのが始まりと伝わっています。

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山門には仁王像もおられ、古寺の風情を十分に感じますが、一たびこの門をくぐれば三重塔や本堂の前に、白く大きな大釈迦如来に普賢、千手観音、文殊菩薩など石造りの仏像がたくさんおられ、古刹というよりはむしろ新しい印象すら受けます。


この仁王門自体は鎌倉時代の建立ですが、平成10年の台風により屋根が半壊するダメージを受けてしまい、その後解体修理がなさたことで、とても綺麗です。

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道を挟んだところに立つ全長20m・全重量1200tもの大観音石像は、前住職がインドのハンセン病救済事業に尽力されたという縁で、インド国民の協力と南インド・カルカラの三億年前の古石が、インド政府や様々な方のご支援で提供されました。インドの文化勲章受章者シェノイ氏及びその一門の指揮のもと、延べ7万人のインドの石工により、すべて手造りで製作されたそうです。


パーツごとに彫刻された66個の石が日本に運ばれ、基礎部分には数万巻の写経と土台石、また胎内には数万巻の写経と胎内石が納められてここで組み上げられました。


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そして大観音像の視線の先には、同じくインドにおける国際交流・石彫事業の一環として製作された、全長8mの釈迦涅槃(ねはん)像が横たわっておられる。涅槃像というのは、すべての教えを説き終えたお釈迦さまが、臨終を迎えたときの姿を像であらわしたものです。


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本堂におられるご本尊の千手観音菩薩は、現世利益の観音さまの中でもとくに「眼病に霊験あらたか」と云われていますが、壷阪寺にはそれについてのエピソードが伝わってるので、簡単に紹介したいと思います。

大和壺坂村に住む、沢市とお里夫婦は仲睦まじく暮らしていました。しかし沢市は目が不自由なので三味線の稽古、お里は縫い物などの賃仕事が頼りという暮らしぶり。


あるとき、妻のお里が、沢市に隠れてこっそりと夜中に抜け出し、明け方になると帰ってくることに気付き…「さては自分に隠れて他の男と逢引をしているのでは?」と沢市は疑いを持ち、お里を問い詰めました。


しかし、お里の口から出てきたのは「沢市さんの目が治るようにと壺坂寺の観音さまへ毎夜、願掛けのお参りに行っておりました…」という言葉。

事情を聞いた沢市は、貞節な女房を疑い続けたことを心から詫び、そして二人は壺坂寺へ一緒にお参りに出かけていきました。


観音堂に辿りつき、沢市は三日の間断食をすると言い、お里は用事を済ますために一旦家に帰りました。一人残った沢市は「お里が必死に願っても目が治る見込みなどない…目の見えない自分がいては、将来お里の足手まといになる」と考え、自ら断崖へ身を投げてしまうのでした。

お寺へ戻ったお里は、沢市の姿がないことに気付き、見えない姿を求めて名を呼び続けたが、断崖の上に残された杖を見つけてすべてを悟り「沢市さぁ~ん!」と狂わんばかり泣き叫び、そしてあまりの悲しみに耐えられず同じ断崖から身を投げてしまうのでした。

そんな二人のもとに千手観音菩薩が現れ、二人の深い愛情と信心に免じて、新たな命を与えてくださいました。

やがて夜が明け、谷底で倒れていた沢市とお里は起き上がり、命が助かったことを喜ぶ。それに、なんと沢市の目がしっかりと開いていることに驚き、千手観音菩薩のご利益にいっそう深く感謝していつまでも仲睦まじく暮らしたそうです。めでたしめでたし..

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ご本尊を祀る八角円堂は、手前の礼堂(らいどう)とつながる様に建てられています。創建は703年頃と伝わっていますが、現在のものは江戸時代の再建です。八角形のお堂は奈良時代を代表する建築様式の一つであり、創建当時からの遺構としては法隆寺の夢殿や興福寺の北円堂、栄山寺の八角堂などが有名です。


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礼堂から御本尊にお参りし、本堂の中をぐるりと一周できるようになっているだけでなく、建物のの外側も回ることができ、本堂からちょうど西の方角には、うっすらと遠く葛城山や二上山も臨めますので、裳階(もこし)の先に吊るされた風鐸(ふうたく)がカランカランと軽やかに奏でる音を聴きながら、悠久の時に思いを馳せるのも一興です。

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この石のレリーフはインド南部のカルナタカ州において、延べ5万7千人もの石工たちの手によって、インドの石に彫刻され製作されたものです。原図自体は、奈良教育大学の教授がインドを旅し、お釈迦さまの生涯を訪ね歩いて構図をまとめられ、誕生から入滅までの間にある、数百もの佛伝図の中から、比較的誰でも知っているストーリーが選ばれて描かれています。


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またこのレリーフは、高さ3m・全長50m・重さ300tにも及ぶ巨大作品なので、まずインドでは各場面を数個に分断して彫刻され、その結合作業は日本に運んでで行われましたが、そのとき本体の彫刻はインドの石工たちの技術とセンスを、ありのまま伝えるために、一切の修正を加えないまま組み立てられているそうです。


当然ながら中国を経由していませんので、これぞまさにリアル仏教伝来といえるかもしれませんね。



2018年6月 7日

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今回は室生寺(むろうじ)をご案内。

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奥深い山と渓谷に囲まれたここ室生(むろう)の地は、太古の火山活動によって形成された室生火山帯の中心部にあります。また室生寺の東方約1キロには、龍神を祀る室生龍穴(りゅうけつ)神社があり、雨乞いの祈願なども行われてきたことからもこの辺り一帯は古くから神々の座(います)聖地とされてきました。(いかにもパワーがありそう…)


奈良時代の末期この聖なる地で、皇太子・山部親王(後の桓武天皇)のご病気平癒の祈願が行われ、龍神さまのお力で見事に回復されました。


その後興福寺の僧・賢憬(けんけい)と修円(しゅうえん)によって創建された室生寺は、山林修行の道場とともに法相・真言・天台といった各宗派の兼学寺院として独特の文化を形成していました。


不思議なオーラが漂う山の中で、次第に密教の色が濃くなってきたようで、江戸時代の1698年には正式に真言宗の寺院として確立され、現在は真言宗室生寺派の大本山であります。


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また古来より厳しく女人を禁制してきた真言密教の本山ともいえる高野山(こうやさん)に対して、女人の救済も受け入れる真言道場として参詣を許したことから「女人高野」とも呼ばれています。

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女人高野ということなので、優しいお寺かと思いきや…山門をくぐれば、いきなり厳しい石の階段が目の前に立ちはだかります。通称、鎧坂(よろいざか)と呼ばれるこの石段は、まるで参詣者に室生寺へ入山することの覚悟を問いかけてきているようにも思います。

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登りきった所にはこちらの本堂である金堂が建っています。平安時代初期の建物で、単層の寄棟造りで屋根は木の薄い板を重ねた杮葺き(こけらぶき)という工法で葺かれています。

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金堂の内陣には、ご本尊の釈迦如来を中心に向かって右側に薬師如来、地蔵菩薩、左側には文殊菩薩、十一面観音菩薩といった平安初期に造られた仏像が並び立ち、その前には鎌倉時代特有の躍動感のある十二神将が一列に並んでおられます。


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とりわけ十一面観音像は、日本にある国宝・十一面観音菩薩像七体のうちの一体で、凛としたお顔の中に、どこか優しい雰囲気があってとても人気がある仏像です♪

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金堂の左手にある弥勒(みろく)堂は、興福寺の伝法院を受け継いだと伝える鎌倉時代の建築。内部の四本柱の中に須弥壇を置き、厨子入りの弥勒像を、右には国宝・釈迦如来坐像が安置されています。


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もう一段上に上がると出てくるのが灌頂堂(かんじょうどう)という建物。一般にお寺では金堂といえばほぼ本堂と呼んで差し支えない所が多いですが、室生寺ではこの灌頂堂が真言密教のもっとも大切な法義である灌頂(かんじょう)を行うことから、本堂と呼ばれています。ご本尊は、平安時代の如意輪観音菩薩像。とても穏やかな表情で素晴らしい仏像です。靴を脱いで内陣でお参りできますので、ぜひお参りしてください。


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さらにもう一段上がったところには、高さ16.1mと小柄ながら、檜皮葺の屋根や朱塗りと白壁と周りの緑の調和がなんとも優美な雰囲気をもつ五重塔が立っています。室生寺の中では最も古い平安初期の建築物であり堂々の国宝です。彩色がかなり綺麗なので、新しいもののようにも見えますが、これは1998年9月に、台風7号の強風でそばの杉が倒れた際に屋根を直撃する大被害を受けた後、2000年に復旧した際に綺麗に修復されたためです。

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そしてまたさらにこの先から、まるで天に上るような長い階段をどんどん上がって行きますと…

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舞台造りで建てられた位牌堂と弘法大師・空海の四十二歳の像を祀ってある御影堂(みえいどう)が建つ奥ノ院があります。

あまり心臓や足腰に自信のない方や、夏場にはお勧めいたしませんが、奥の院まで到達できた時の達成感はなかなかのものです。山林修行の厳しさを体感してみたい方は、ぜひお参りしてみてくださいね。


2018年5月31日
2018年5月24日
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2018年5月10日
2018年5月 3日
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    大向 雅
    京都奈良観光散策 雅流塾の代表 観光ハイヤーの経験と知識をもとに2014年に独自の観光ガイドシステムを立ち上げフリーランスの観光コンシェルジュ“たっしー&たー坊”として活動中 古都奈良にある神社・仏閣や名所旧跡を通して 古代より現在まで先人たちから受け継ぎ育んできた歴史と文化を分かりやすく伝えていきたいと思います。 DISQUS ID @disqus_YaoRmxkTzr

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