海外旅行・観光情報の「地球の歩き方」TOP > 特派員ブログ > 日本  > 日本国内/奈良特派員ブログ

日本国内/奈良特派員ブログ 大向 雅

日本国内・奈良特派員が現地から日本地域に至るまで、旅行・観光・食事などの現地最新情報をお伝えします。


メール プリント もっと見る

DSC09212 (2).JPG

吉野で忘れてはならないのがここ、如意輪寺(にょいりんじ)です。

IMG_5035 (2).JPG
金峯山寺や吉水神社からですと直線距離はあまりありませんが、間には深い桜の谷がありますので、歩いて散策される方には結構なハイキングコースになります。


平安時代の中期、920年頃に真言密教の僧・日蔵(にちぞう)によって開かれたと伝わっています。


DSC09173 (2).JPG
以後、歴史の表舞台に登場するようなお寺ではありませんでしたが、鎌倉幕府を倒し建武の新政を開始された後醍醐天皇が、足利尊氏と仲違いしたことによって京を追われて吉野に南朝の宮を定めた際に、勅願所(ちょくがんしょ)とされたのがこの如意輪でした。勅願所といいますのは、天皇や上皇によって国家安泰、五穀豊穣などを祈願するための寺社のことですから、こちらも相当なパワーを秘めていたのだと思います。

DSC09219 (2).JPG


そして、ふたたび京に帰るという夢も叶わぬまま崩御された後醍醐天皇は、この塔尾御陵(とおのおのみささぎ)に眠っておられます。後醍醐天皇が病の床で詠まれた「身はたとへ南山の苔に埋むるとも魂魄は常に北闕の天を望まん」という歌の通り、一般的に南向きに石室への入り口である羨道(せんどう)を設けるところを、あえて北を正面とされているのも有名なお話です。

DSC09213 (2).JPG

山門の正面にある本堂には御本尊の如意輪観音菩薩やお隣にある不動堂なども真言密教の名残がそのままありますが、江戸時代初期に浄土宗の寺院となっています。


DSC09208 (2).JPG


境内は無料で散策できますが、せっかくここまで来たのなら拝観料を払って宝物館へ行かれることをおすすめ致します。建物の中に入ると椅子のようなベッドのような何やら不思議なものが置かれているのが目に入ります。実はこちらには御本尊の如意輪観音菩薩をモデルとした天井画が描かれていて、その仏様を仰向けになって拝むための台なのです。


他の寺院でも天井に龍の絵などが描かれていることは良くあることですが、このようにわざわざ寝ながら拝むというのはちょっとお目にかかれません。

他にも慶派の仏師による蔵王権現像や、後醍醐天皇をはじめとする南朝ゆかりの品々が展示されています。その中でもとくに有名なのが楠木正行(くすのきまさつら)の辞世の歌を鏃(矢じり)で刻んだとされる本堂の扉です。


DSC09205 (2).JPG

こちらは太平記に出てくる桜井の別れという有名な話の石像です。1336年、後醍醐天皇の忠臣であった楠木正成(くすのきまさしげ)は若干11歳の嫡子・正行を呼び寄せて「もし自分が討死にした後は後醍醐天皇のために、お前は身命を惜しみ、忠義の心を失わず、一族郎党一人でも生き残るようにして、いつの日か必ず朝敵を滅せ」と別れを告げ、桜井駅で別れた後、足利尊氏の軍と湊川にて一戦交えて戦死してしまいます。


そして1348年12月、約束通り正行が父の仇である足利軍との戦いに出陣する際に後醍醐天皇陵に詣でた後、本堂の扉に「かへらじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとどむる」と決死の覚悟を刻まれたのがこの扉であったそうです。


残念ながら彼は四条畷(しじょうなわて)の戦いで足利軍の高師直(こうのもろなお)に惨敗。わすか23歳の若さでこの世を去りました。

DSC09206 (2).JPG


奥には枝垂れ桜に囲まれた多宝塔が有り、桜の時期は大勢の人で混雑しますが、新緑の季節になると静けさを取り戻し、凄まじい南北朝時代を生きた人達の声をぜひ感じて欲しいと思います。


2018年4月19日

DSC00371 (2).JPG


今回は世界遺産・紀伊山地の霊場と参詣道の一つに指定されている吉水神社(よしみずじんじゃ)を紹介いたします。


こちらは本来、金峯山寺(きんぷせんじ)に属する吉水院(きっすいいん)という僧房であり、京を追われた後醍醐(ごだいご)天皇が吉野に入られたときに行宮(あんぐう=仮の御所)を設けられた場所として名高い所です。


IMG_5043 (2).JPG


桃山時代には太閤・豊臣秀吉が盛大な花見を催したことでも有名場所でもあり、ここからの眺望は本当に素晴らしいです。残念ながら桜のない時期の写真ですがこの看板に偽りなく、春には一目千本の桜が見渡せます。

DSC09184 (2).JPG

江戸時代までは僧房であった吉水院は、明治維新の神仏分離令によって、後醍醐天皇を主祭神とし、併せて南朝方の忠臣であった楠木正成(くすのきまさしげ)、宗信法印(そうしんほういん)という南朝時代の僧を併せてお祀りする吉水神社へとされたわけです。


向って右端には残念ながら平成13年に焼失してしまった勝手神社(かってじんじゃ)もここに仮遷座されています。


勝手神社というのは平安時代末期に源頼朝(みなもとのよりとも)が差し向けた刺客から逃れて、別々に吉野を目指した義経(よしつね)と静御前(しずかごぜん)が再開を果たした場所であり、また永遠の別れの場所となってしまったことで、よく舞台などに登場する場所なのです。

IMG_5037 (2).JPG

隣接する書院は国の重要文化財に指定されており、源義経が使用したと伝わる鎧や太刀などの武具や、後醍醐天皇をはじめとする南朝の歴代天皇ゆかりの品々。そして太閤秀吉公の時代のものに至る数々の宝物が展示されています。

IMG_5031 (2).JPG
この部屋は上段の間と下段の間で構成され、桃山時代特有の帳台構(ちょうだいがまえ)にリフォームされ、豪華な書院造(しょいんづくり)の様式に風格が加わり、絢爛豪華な桃山書院の姿をとどめています。


IMG_5038 (2).JPG
この北闕門(ほっけつもん)と名付けられた門は文字通り北に向いており、後醍醐天皇が朝夕ここに立たれて京の空を見ながら「九字真法」によって邪鬼を払われたと伝わります。


九字真法とは「臨(りん)・兵(びょう)・闘(とう)・者(しゃ)・皆(かい)・陣(じん)・烈(れつ)・在(ざい)・前(ぜん」の九字の呪文を唱えながら同時に手を刀に見立てて四縦五横(縦に四回横に五回)に空を切るお祓い法のことです。


この作法については門の前に解説してありますので、ぜひご自分でもなさってみてください。


DSC05036 (2).JPG

いつの日か京へ戻られることを祈願しながら、毎日ここで繰り返し九字真法を唱えておられたことを思いながらこの地に立つと、後醍醐天皇のお気持ちが少しは感じられるかもしれません。


2018年4月12日

IMG_4980 (2).JPG

金峯山寺(きんぷせんじ)は、世界文化遺産・紀伊山地の霊場と参詣道(きいさんちのれいじょうとさんけいみち)の中に含まれていて、吉野町にある金峰山修験本宗(修験道しゅげんどう)の本山です。


DSC09227 (2).JPG


紀伊山地の霊場と参詣道というのは和歌山県・奈良県・三重県にまたがる3つの霊場(吉野・大峰、熊野三山、高野山)とその参詣道(熊野参詣道、大峯奥駈道、高野山町石道)のことを指します。


IMG_5035 (2).JPG
同じ吉野山にある吉野水分(よしのみくまり)神社、金峰(きんぷ)神社、吉水(よしみず)神社という文化遺産たちの中でも、とりわけ凄い存在感のあるのが、この金峯山寺だと思います。

DSC09168 (2).JPG
こちら蔵王堂(ざおうどう)とよばれる本堂は、1592年に豊臣家の寄進により再建されたもので、高さ34メートル、奥行、幅ともに36メートルの巨大な建物です。重層の入母屋造(いりもやづくり)で、一見すると二階建ての様ですが、中は吹き抜けになっているという構造です。


内部の柱には製材されておらず、枝を落として皮を剥いだだけのような自然の木に近い柱が使われており、他ではちょっとお目にかかることがありません。そして大きな屋根は瓦葺き(かわらぶき)ではなく、檜の皮を使う檜皮葺(ひわだぶき)が用いられていることにも注目して欲しいと思います。


IMG_7213 (2).JPG

一般的にお寺の屋根というのは瓦を葺いたものが主流で、檜皮葺というのは神社建築に使われることが多いのです。


DSC03254 (2).JPG
それは、日本古来の神道における神々が、実態があるものではなく自然そのものを畏れ敬うことからはじまっていることに由来します。

そして拝殿や本殿といった建物には瓦のような人工物を使わずに、できるだけ自然のものを使うようにされてきました。インドが発祥で古代中国から伝わってきた仏教寺院の建物とは根本的に違いがあるということです。

しかし、修験道は神道と仏教を融合させてその良いところを取り入れた独自のものですから、お堂にもその名残があるのかもしれません。


DSCN3294 (2).JPG
他にも奈良の室生寺の金堂や、京都の清水寺の本堂など、仏教寺院でありながら檜皮葺の屋根を使われている例は見かけますが、ただの仏教寺院というよりは、やはりお寺全体が自然のパワーを求めているような感じが漂っています。


IMG_5032 (2).JPG
金峯山寺の開基は修験道の創始者でもある役小角(えんのおづぬ)で、役行者として多くの場所に伝説を残されている人物で、このように前鬼(ぜんき)と後鬼(ごき)という鬼の夫婦が両脇に仕えている像が一般的です。


前鬼と後鬼には5人の子供がいて、その子孫たちは五鬼(ごき)または五坊(ごぼう)と呼ばれ、奈良県の下北山村に修験道の修行者のための宿坊を開き、行者坊、森本坊、中之坊、小仲坊、不動坊を屋号とされました。


明治時代の廃仏毀釈の影響もあって次第に衰退していきましたが、小仲坊の五鬼助(ごきじょ)さんの家だけは今でも変わらず宿坊をされています。

このように古代から歴史がつながっているのを肌で感じられるのも奈良の魅力の一つだと思います。

S__53501958 (3).jpg
ご本尊は三体の巨大な蔵王権現(ざおうごんげん)像です。究極不滅の真理を体現し司る王が権(かり)の姿で現れた神仏という意味を持ち、仏や天神地祇すべての力を包括しているとされています。


像容としましては密教の明王像のように、激しい忿怒相(ふんぬそう)で、怒髪天(どはつてん)という髪が逆立っている状態で、左手は刀印を結び、右手には三鈷杵(さんこしょ)という密教の法具を持ち、力強く踏ん張っている左足に対して右脚を宙高く上げておられるのが一般的ですが、インドはもちろん中国にも同じ像容の仏像がないため、日本独自の尊像とされています。


DSC00912 (2).JPG
現在の像は桃山時代のものですが、長年にわたり秘仏とされてきたおかげで彩色が鮮やかに残っておりとても400年を経た像とは思えないくらい綺麗です。現在も特別開扉の期間以外は秘仏とされていますが、なにぶん巨大な像が三体も並んでいますので、そのオーラが伝わってくるのを感じていただけると思います。


ちなみに平成30年の春は3月31日(土)~5月6日(日)が特別開扉となっております。他の詳しい時期につきましては、金峯山寺へ直接お問い合わせくださいませ。



2018年4月 5日
2018年3月29日
2018年3月22日
2018年3月15日
2018年3月 8日
⇒すべての記事を見る

近畿旅行 旅スケジュール

旅行者の作る、新着!旅スケジュールをご紹介します。 ■奈良県の旅行記・口コミ「旅スケ」へ

日本国内特派員ブログ一覧

しまなみ海道・広島ニセコ・北海道三重与論島五島列島京都仙台和歌山埼玉大阪奈良宮古島富山小笠原山形広島徳島房総・千葉新宿札幌東京東京2東京3栃木横浜・神奈川沖縄沖縄2湘南滋賀神戸神戸・兵庫福井福岡福島種子島能登茨城軽井沢・長野金沢釧路長崎長野青森香川鶴見大島・大分鹿児島

日本国内にもどる

  • 特派員プロフィール
  • 奈良特派員

    奈良特派員
    大向 雅
    京都奈良観光散策 雅流塾の代表 観光ハイヤーの経験と知識をもとに2014年に独自の観光ガイドシステムを立ち上げフリーランスの観光コンシェルジュ“たっしー&たー坊”として活動中 古都奈良にある神社・仏閣や名所旧跡を通して 古代より現在まで先人たちから受け継ぎ育んできた歴史と文化を分かりやすく伝えていきたいと思います。 DISQUS ID @disqus_YaoRmxkTzr

  • リーダーに登録

地球の歩き方Web特派員募集