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日本国内/奈良特派員ブログ 大向 雅

日本国内・奈良特派員が現地から日本地域に至るまで、旅行・観光・食事などの現地最新情報をお伝えします。


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白毫寺(びゃくごうじ)は、奈良の春日山から南に連なる高円山(たかまどやま)の麓にある寺院です。

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715年に天智(てんじ)天皇の第七皇子である志貴皇子(しきのみこ)の山荘跡を寺としたのに始まると伝えられていますが、かつて付近に存在した石淵寺(いわぶちでら)の一院であったとも云われるなど、諸説あるので定かではありません。ただ高円山を東に越えた所に志貴皇子の陵墓があることから、あながち無関係ではないのかもしれません

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明らかなのは、鎌倉時代になって西大寺で真言律宗を開いた叡尊(えいそん)によって再興され、叡尊の弟子である道照(どうしょう)が、宋から持ち帰った宋版一切経の摺本の転読を行ったことから、一切経寺(いっさいきょうじ)と呼ばれ繁栄したということ。といわれてもチンプンカンプンで何のことやら状態ですが…(笑)


その後、室町から戦国時代には再び衰退してしまいましたが、江戸時代中期に興福寺の学僧であった空慶(くうけい)上人により再興されました。約200年の時が過ぎ、明治の初期に起こった仏教排斥運動などで、かなりのダメージを被ってしまったものの、さまざまな人々の尽力のおかげで現在の姿があります。


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本堂には阿弥陀三尊が祀られており、観音・勢至両菩薩は、膝をついて前かがみになりヨッコラショっ!っとまさに立ち上がろうとされている倭坐り(やまとずわり)という珍しいお像♪本来ならば阿弥陀様も来迎印を結んでお迎え準備をしておられても良さそうなのですが、上品上生印でしっかり瞑想中なので「まだ、そんなに慌てることはない…」ということなのかも知れませんね。

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その後ろには宝蔵(ほうぞう)。御本尊である重文の阿弥陀如来像は本堂ではなくこちらにお祀りされています。檜の寄木造(よせぎづくり)で、平安末期から鎌倉時代初期にかけて仏師・定朝(じょうちょう)によって完成された様式といわれる仏像で、とても迫力があって立派です。


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そして、御本尊よりも一際インパクトがあるのが、両サイドから挟むように閻魔(えんま)大王と泰山夫君(たいざんふくん)のお像です。閻魔大王や泰山夫君といいますのは、いわば冥界の裁判官として知れた方々。鎌倉時代に、日々の行いが悪い人間は死んだ後に閻魔大王の裁きで地獄に落とされるという説を、より庶民に分かりやすく広めるためにこのような像が多く作られたそうです。

カッと目を見開き、ものすごい形相で睨んでおられ、目の前に立つのがはばかられるほどの迫力。日頃の行いがとても良い私ですら、商売道具の舌を引っこ抜かれそうなので早々に退散…。

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また、本堂奥には不動明王や十王地蔵などと並び、石仏がたくさん置かれている石仏の路が造られています。


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弥勒さまでしょうか?ちょっとユーモラスなお顔に思わず和んでしまいますね。

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白毫寺の境内は、下からかなりの階段を上ってくるおかげで、奈良盆地が一望できます。東大寺の二月堂からの眺望に比べると、少々南側の景色が広がります。ちょうど興福寺の五重塔が目の前に拝めます(写真は中金堂が建設中のものです)

百毫寺は新薬師寺から徒歩10分くらいですから、ぜひお参りしていただき、早めに閻魔様にご挨拶しておくのも良いかと思います。


2018年12月13日

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等彌神社(とみじんじゃ)は、奈良県桜井市にある神社です。


創建年月は不詳ですが社伝によりますと、古来より鳥見山(とみやま)に鎮座されていたようです。鳥見山というのは初代・神武(じんむ)天皇が、皇祖神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀った場所と伝えられる山。その後、山崩れが起きて現在の場所に移ってこられたそうです。


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本社にあたる上ッ尾社の祭神は大日霊貴命(オオヒルメムチノミコト)とされていますが、これは天照大御神の別名。同じ神様であっても祀られる神社によってそのお名前が変わるのは良くあること。有名な大国主命(オオクニヌシノミコト)もオオナムジやヤチホコといったお名前に変化しておられます。きっと私などが到底伺い知ることができない大人の事情があるのでしょう。

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下津尾社の東殿の御祭神は高皇産霊(タカミムスビ)神と応神天皇、西殿には御祭神として神皇産霊(カミムスビ)神と饒速日命(ニギハヤヒノミコト)天児屋根命(アメノコヤネノミコト)が祀られています。

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現在の境内の地は、かつて、天孫であり物部氏の祖先でもある、饒速日命が住まわれていた場所という伝承もあり、境内からの登山道を登っていきますと山中に「神武天皇聖跡鳥見山中霊畤顕彰碑」があることからも神武天皇と関わりがあることは明らかです。

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「霊畤」とは大嘗祭(だいじょうさい)のことです。大嘗祭といいますのは、新しい天皇が即位されたときに初めて執り行われる儀式で、天の神、地の神に稲の収穫を祝い、翌年の豊穣を祈願することで国家の安泰を願うものです。おそらくは大和平定を果たされ橿原の宮にて初代・神武天皇として即位された後、この地で大嘗祭が行われたのでしょう。

平成に生まれた方々は記憶にないでしょうが、来春新しい天皇が即位された時には大嘗祭が執り行われますので、あらためて記憶されると良いと思います。

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下津尾社の前には「鳥見山の此の面かの面をまたかくし時雨はよるの雨となりけり」という石碑が立っています。

「鳥見山のこちら側やあちら側を何度も雲でかくして降ったりやんだりしていた時雨は、夜に入ってとうとう本降りの雨になってしまった。」という意味だそうで、桜井市出身の文芸評論家・保田與重郎(よじゅうろう)氏の歌に、日本の版画界の大御所・棟方志功(むなかたしこう)画伯の絵が描かれた立派なものです。

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そして特筆すべきは、このあまり知られていない等彌神社の一の鳥居は、なんと!伊勢神宮の第六十二回式年遷宮の折りに、内宮の中重鳥居(なかのえのとりい)を譲り受けたものなのです。

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中重鳥居とは、伊勢神宮に参拝されたことがある方はイメージできると思いますが、内宮での一般参拝ができるこの外玉垣南御門より内側に立つ鳥居のことで、この鳥居の先へは天皇陛下しか入ることが許されないというほどの鳥居。

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つまりは、最も神様に近い場所に建ってた鳥居ということになります。こんなに凄い鳥居があるだけでも格の違いが伺えるというものですから、聖林寺や談山神社へ向かわれる際は、ぜひ立ち寄っていただけたらと思います。


2018年12月 6日

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今回は、奈良県橿原市にあります今井町を解説。

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この1650年に建築の今西家住宅を筆頭に、町内の民家およそ760軒のうち8割近くが江戸時代から残る「伝統的建造物」で、そのうち9件12棟が国の重要文化財、3件11棟が県文化財に指定されるなど、町全体が「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。


また2015年度下半期放送のNHK連続テレビ小説「あさが来た」のロケ地としても使われ、ヒロインのご実家も「今井」さんだったこともあり、一躍有名になりました。

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今井町が都市的に発展したのは、本願寺の道場である称念寺(しょうねんじ)を建立して以来のことで、町並の整った寺内町(じないちょう)が成立しました。寺内町といいますのは、浄土真宗などの仏教寺院を中心に形成された自治集落のことで、環濠や土塁で囲まれるなど防御的性格も兼ね備えていたため持ち、信者や、商工業者などが集住している町のことを言います。


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このときの形態は、外敵の侵入と民の自治を守るために、郷の周辺に堀を巡らし、土塁を設けた環濠集落でありました。その地形や街路の形状などは、当時のまま残されています。現在の町並みを見わたしても、町の端から端まで通り抜けられる道はなく、入口で屈曲あるいは途中でT字型に組んで見通しのきかないように配備されています。

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称念寺は浄土真宗(一向宗)であり織田信長と対立していましたが、圧倒的な武力の前に降伏することとなりました。しかし後に赦免状が与えられて信長と和睦をむすぶなど、他の一向宗寺内町の扱いとは別格で寛大な扱いを受けていたようです。東西600m、南北310mの長方形の地形には、戸数1100軒、人口4000数百人という財力豊かな町で、自治都市として海の堺・陸の今井と並び称されるほど栄えていたそうです。

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しかし徳川幕府第四代将軍・徳川家綱によって事実上自衛権を剥奪されて、幕府の直轄領(いわゆる天領)となり、約100年間続いた自治都市制度は終焉してしまいました。とはいえ、その後も豊田家や今西家など豪商の力は代官所を凌ぐほどで、幕府も一目置くほどでした。とくに元禄年間には「大和の金は今井に七分」「金の虫干し玄関まで」とまで言われていたそうですから、さぞかし凄かったことでしょうね。

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こちらの今井まちなみ交流センター華甍(はないらか)もまた、1903年に建てられた非常に味わい深い建物で、現在は今井町のすべてが分かる資料館として使用されています。両翼が広がるさまは、宇治の平等院鳳凰堂にもよく似ていますね。


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昔ながらの醤油屋さんや酒屋さんはもちろん、レストランやお洒落なカフェなどもありますし、奈良町にくらべて混雑もなく、ゆっくりとタイムスリップを楽しんで頂ける場所だと思います。


2018年11月29日
2018年11月22日
2018年11月15日
2018年11月 8日
2018年11月 1日
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    大向 雅
    京都奈良観光散策 雅流塾の代表 観光ハイヤーの経験と知識をもとに2014年に独自の観光ガイドシステムを立ち上げフリーランスの観光コンシェルジュ“たっしー&たー坊”として活動中 古都奈良にある神社・仏閣や名所旧跡を通して 古代より現在まで先人たちから受け継ぎ育んできた歴史と文化を分かりやすく伝えていきたいと思います。 DISQUS ID @disqus_YaoRmxkTzr

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