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日本国内/奈良特派員ブログ 大向 雅

日本国内・奈良特派員が現地から日本地域に至るまで、旅行・観光・食事などの現地最新情報をお伝えします。


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DSC01593 (2).JPG法隆寺(ほうりゅうじ)は世界最古の木造建築が建つことで知られていますが、とにかくこんなに凄いオーラを放つお寺は他にありません。


しかし残念なことに、ほとんどの人がその凄さが分かっていないのでとても勿体ないく思います。ただそれを伝えることができる人が少ないので仕方がありません。


法隆寺は推古(すいこ)天皇の御世、607年に摂政であった聖徳太子によって創建された日本でも最古級の寺院ですが、飛鳥時代の642年に一度全焼してしまいました。


そのことにつきましては「日本書紀」の天智9年(670年)4月30日条には「夜半之後、災法隆寺、一屋無余」という記述があります。要約しますと「夜明け前に、法隆寺に火災がが発生し、ひとつの建物も余ること無かった」ということになります。


ですから現在の法隆寺の伽藍は、創建当時からのオリジナルというわけではありませんが、奈良時代に入ってすぐに再建されたもので、ゆうに1300年を超える歴史を誇り、数々の戦乱や動乱の時代をくぐり抜けてきたわけです。そしてその姿を現代にまで伝え続けてきたことはもはや奇跡としか言いようがありません。


また建物と同様に秀逸な仏像や工芸品なども多数所有されており、明治期に皇室に献上されたり、国立博物館などに多数移されたりしたものの、現在でも法隆寺には国宝・重文に指定されている建造物と仏像、美術工芸品を合わせますと190件2300点にも及びます。まさに仏教美術の宝庫であり、1993年に日本で初めての世界文化遺産に登録されたのも納得します。


とにかく有名な金堂、五重塔がある西院伽藍をはじめとする境内はかなり広大ですので、始めて来られた方だと回ることに一生懸命になってしまい、一体何が何やら分からないうちに終ってしまいます。それでは知識や感動よりも疲労感だけが残ってしまいますので、ポイントを押さえながら解説したいと思います。

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まず、電車やバス、車で来られた方はほとんど皆さま正門である南大門から入って行かれます。そのときに慌てて入ってはこの鯛の様な形をした石を見落とします。

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この鯛石(たいいし)は法隆寺を水害から守ってくれている石です。かつて大雨が降ると、そばにある大和川が氾濫してこの周辺は洪水の災害に見舞われていましたが「「鯛」=「魚」つまり水はここまでしか来ませんよ、」という意味で、この石より奥にある法隆寺は水の災害に遭わないというおまじないの石なのです。

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そしてこの特に威圧感もなく建つ南大門は室町時代の再建とはいえ国宝に指定されています。そしてこの門をくぐってしまいますと、より古い建物が沢山ありますので過去へタイムスリップするためのゲートのようでもあります。

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参道を突き当たりますと、現在修復中の中門があります。こちらも奈良時代初期に建てられました。他の寺院では門の大きさに関わらず柱の数は偶数と決まっていますが、なぜか法隆寺の中門の柱は五本。つまり真ん中が通れないように柱が立てられているという事です。


その理由は解明されていませんが、門の中に聖徳太子一族の怨念を封じ込められており、ある種の結界のような役割をしているという説があり、他にも様々な角度で研究をされていますが、今のところどの説も納得できないものばかりです。

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そして、こちらに向かって睨みを利かす筋骨隆々の阿形(あぎょう)像と吽形(うんぎょう)像。この日本でも最古であろう塑像(そぞう)つまり粘土を固めて造られた像が、1300年もの間、風雪に耐えながらこの中門を守っておられます。

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阿形像がオリジナルなのに対して、吽形は長い歴史の中で体の半分が木材によって補修されていますが、じっくり見ても境目がどこなのかが良くわかりません。本当に昔の造像と補修技術の高さにはいつも度肝を抜かれます。

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中門の前に立つこの石標には「西円堂み祢の薬師如来」と書かれていますが、ほとんどの方がスルーされますので、法隆寺の重要なポイントを見逃している方が多いのです。

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法隆寺の参拝受付は、中門手前を左手に進み回廊の端の入り口からで、案内板に促されて入っていかれるわけですが、そこは軽くスルーして直進して頂くと築地塀(ついじべい)に突き当たる手前で三叉路になります。そこを右手にとると階段の上には西円堂(さいえんどう)が階段の上に建っているのが見えます。

西円堂は奈良時代に橘夫人(橘三千代(たちばなみちよ)=藤原不比等(ふじわらのふひと)の妻、聖武天皇の皇后・光明子の母)の発願で、東大寺創建に尽力された行基(ぎょうき)によって建てられました。現在のものは鎌倉時代に再建された立派な八角円堂で、国宝に指定されています。

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そして堂内には創建時代からと思われる薬師如来像が祀られています。造像の様式は奈良時代の仏像の代表的な特徴の一つ、脱活乾漆(だっかつかんしつ)という技法です。丈六(じょうろく=一丈六尺=立ち上がられたときにおよそ4,85mになる大きさ)のお像で、脱活乾漆像では国内最大級です。とてもふくよかな良いお顔をされた仏像で、国宝に指定されています。

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こちらの薬師如来像は、通称・峰薬師(みねやくし)と呼ばれており、金堂や五重塔がある西院伽藍から離れた少し小高い所で、孤独に衆生を救い続けておられます。特に「耳」の病気に霊験あらたかとされ、耳通しが良くなるように「キリ」を奉納するようになっています。

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さて、あらためて受付に戻って行きますが、先ほどは見過ごした立派なお堂が目に入ってきます。西室(にしむろ)・三経院(さんきょういん)というお堂です。


当初は僧侶の住居として建てられた西室でしたが、後にかつて聖徳太子が勝鬘経(しょうまんぎょう)・維摩経(ゆいまきょう)法華経(ほけきょう)の 三つの経典を注釈されたことにちなみ、一部が改装され三経院とよばれ、経典の講義が行われたお堂となります。そしてこちらもまた…国宝。


まだ一切拝観料も払っていないのに、門もお堂も仏像も国宝だらけ。これだけでも法隆寺が別格な存在だということを感じることができますよね。


2018年2月15日

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秋篠寺というと現在の入り口は駐車場に近い東門ですが、本来はこちらの南門が正式な入り口になります。こちらに回るのは遠回りだし、東門も風情があるのでわざわざ来る人はまばらですが、この参道を歩けば東西に塔が建っていたという、かつての創建当時の秋篠寺の迫力を感じることができるので、ぜひ一度こちらからも入ってみて頂きたいと思います。

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秋篠寺の本堂は鎌倉時代の再建ですが、屋根は寄棟造(よせむねづくり)本瓦葺き。堂の周囲には縁などを設けることなく、内部は床を張らずに土間のまま全体に簡素な造りで、奈良時代に創建された当時の建築を思わせる様式と雰囲気を残しており、国宝に指定されています。なんとなく唐招提寺の金堂にも共通する感じもします。

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本堂の中には御本尊の薬師如来坐像を守るように、日光菩薩、月光菩薩そして愛嬌のある十二神将像と、いわゆる薬師ファミリーが勢揃いしている他、地蔵菩薩、帝釈天、伎芸天などが安置されています。

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中でも、とりわけ人気があるのがこちらの伎芸天(ぎげいてん)像

本堂の向かって左端に立たれて像高なんと205cmを超える大きさですが、まったく威圧感を与えることなく瞑想的な表情と美しく優雅な身のこなしで多くの人を魅了してきた像なのです。


この像は、頭部のみが奈良時代の脱活乾漆(だっかつかんしつ)という技法、体部は鎌倉時代の木造という異色の存在ですが、像全体としてもバランスがとれていてまったく違和感がないことが逆にすごいです。

伎芸天とは、仏教を守護する天部の一人で容姿端麗な女神とされていて、器楽の技芸が群を抜いていたため技芸修達、福徳円満の神とされ東洋のミューズと称されています。ミューズというのは音楽・舞踏・学術・文芸などを司るギリシャ神話の女神のことです。


伎芸天の彫像の例は日本では本像以外に見当たらないので、この像が果たして本当に伎芸天なのかどうかは専門家でも判断できませんが、像を目の前にすればそんなことはどうでもよくなってしまうほど魅力的です。


とても優しい眼差しでこちらに微笑んでくださるお顔は、もしかすると光仁天皇の妻であった井上皇后がモデルだったかもと想像しながらお参りするのもロマンがあって楽しいものです。

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こちらは京都国立博物館の本館の正面の破風にあるレリーフですが、美術工芸の神とされる左の毘首羯磨(びしゅかつま)と向き合うように飾られているのも伎芸天ですので、機会があったらぜひご覧になってみてください。

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本堂の西側にある大元堂というお堂には、これまたもの凄くインパクトのある仏像が安置されています。


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それこそがこの明王最強の力を持つといわれる大元帥(だいげんすい)明王という像です。全国にさまざまな明王像がありますが、その中でも特に憤怒の表情に筋骨隆々の6本の腕に凄まじい迫力があります。こちらもまた大元帥明王の尊像としては唯一現存する像ということで大変貴重なものです。


もの静かな美しい伎芸天像と荒々しい大元帥明王像という対照的な仏像がおられるということも秋篠寺の魅力の一つなのかも知れません。


ただし大元帥明王像は秘仏でして、毎年6月6日のみの御開帳となります。その日限りの特別な御朱印も頂けることもあって、大変な賑わいとなりますので参拝に来られる方は時間に余裕をみてお越しください。


2018年2月 8日

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秋篠寺(あきしのでら)は、静かでこじんまりしており、とくに女性に人気が高いお寺です。古刹の気品が漂うこの門構えは、さすが奈良のお寺と思わせてくださいます。

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特にこの苔むした庭。信じられないことに、ここを見るだけなら拝観料は必要ないので散歩がてら境内を通り抜けていくこともできます。

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しかし、穏やかで静かな空間を持つことで知られる秋篠寺ですが、その創建にはかなり複雑な事情があることは、あまりご存じないない方も多いでしょう。


寺伝によりますと776年、奈良時代最後の第四十九代・光仁(こうにん)天皇の勅願により、薬師如来を本尊とする寺を造営とされています。

少し遡った宝亀元年(770年)に称徳(しょうとく)天皇が崩御(ほうぎょ)されました。女性であった称徳天皇は未婚のために子供がおられませんでしたが、後継ぎとなる皇太子を指名する前に崩御されてしまったので、後継者を巡り新たに政権争いが起こってしまうことになりました。


称徳天皇の皇統である、いわゆる天武天皇系の男子皇族が居られたにもかかわらず、左大臣・藤原永手(ながて)や藤原百川(ももかわ)らが画策し、天智天皇の孫にあたる白壁王(しらかべおう)を皇太子として擁立し、半ば強引に光仁天皇として即位させてしまい、聖武天皇の皇女であり白壁王の妻であった井上(いのえ)内親王は皇后に、息子の他戸(おさべ)親王が次の皇太子に立てられました。


これはこれで一件落着のように思えましたが、2年後どういうわけか天皇である夫を井上皇后が呪詛したとの嫌疑により廃后され、他戸親王もまた廃太子されて幽閉されてしまったのです。そして共に幽閉先で非業の死をとげられました。

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一連の事件は、かつて藤原不比等(ふひと)が光明皇后のときに画策したように、皇后を皇族ではなく藤原家から出すことで、外戚(がいせき)として絶対的な権力を手に入れるために藤原百川、藤原蔵下麻呂らが計画しといわれています。


しかし、悪いことをすれば必ず報いがあるもので、藤原蔵下麻呂が42歳で病没し、さらに翌年にも日照り、飢饉、異常な風雨、イナゴの大群、落雷、地震などの天変地異が相次ぎました。

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その後、朝廷は僧侶数百人に大般若経を唱えさせて大祓(おおはらえ)を試みましたが、天変地異はまったく衰えず、781年11月には天皇御自身が、そして12月には皇太子までもが病に臥せることになってしまいました。


いわれのない罪で廃后・廃太子された井上皇后と他戸皇太子の怨みによるものだと人々が騒いだ為、怨霊を恐れた天皇の勅願で秋篠寺が建立されたと伝わります。それが事実かどうかは定かではありませんが、続日本紀には780年に光仁天皇が秋篠寺に食封(じきふ)一百戸を施入したという記述がありますので、深い関係があったのは確かなようです。

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静かで癒されるお寺の秋篠寺ですが、奈良時代の終わりから平安時代の始まりという激動の中で創建されたことを知っておいて欲しいと思います。

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そして秋篠(あきしの)という名前は、三笠宮(みかさのみや)や高円宮(たかまどのみや)と同様、宮号にもなるほど奈良に古くから伝わる由緒ある名前だということもお忘れなく。


2018年2月 1日
2018年1月25日
2018年1月18日
2018年1月11日
2018年1月 4日
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    大向 雅
    京都奈良観光散策 雅流塾の代表 観光ハイヤーの経験と知識をもとに2014年に独自の観光ガイドシステムを立ち上げフリーランスの観光コンシェルジュ“たっしー&たー坊”として活動中 古都奈良にある神社・仏閣や名所旧跡を通して 古代より現在まで先人たちから受け継ぎ育んできた歴史と文化を分かりやすく伝えていきたいと思います。 DISQUS ID @disqus_YaoRmxkTzr

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