仏教美術の宝庫・興福寺へ
奈良公園の中にそびえる五重塔や、阿修羅像を筆頭に天平時代から鎌倉時代まで数多くの仏像がおられることでも有名な、世界文化遺産・興福寺(こうふくじ)は奈良を観光する上では絶対にはずせないお寺のひとつだと思います。
近鉄奈良駅から東へ、ほんの5分も歩かないうちに境内に入ることができますし、奈良公園の始まりに興福寺があるというイメージですが...興福寺とは、いったいどのようなお寺なのでしょうか?
669年に藤原鎌足(ふじわらのかまたり)の病気平癒を祈願して、夫人の鏡王女(かがみのおおきみ)が山背(やましろ)国に建てた山階寺(やましなでら)が起源となります。その後一度は飛鳥に移されましたが、平城京遷都と共に、鎌足公の息子である藤原不比等(ふひと)公によって現在の場所に建立され、寺名も興福寺と改められました。
藤原不比等は文武天皇の妃である宮子の父であり、孫にあたる首皇子(おびとのみこ)が聖武天皇に即位されてからは天皇の外戚として絶大なる力を振るい、次々と伽藍を整備することで大寺院へと成長し、ついには官寺つまり国営のお寺となりました。
また、藤原家の氏神である春日大社と一体となることで、神仏習合という思想によってますます権勢をほこることとなったわけですが、そのような事はここまで来なくても少し本を読んでいただければ分かることです。
観光に来られる方々には実際に興福寺へ足を運んでいただいて、阿修羅像をはじめとする八部衆など、多くの宝物を間近で観ることで天平時代から脈々と受け継がれてきた人々の息吹がモロに伝わってくるのを、ぜひ体感して欲しいと思います。
また特別公開時には南円堂や北円堂も開扉され、鎌倉時代にその名を轟かせた康慶と運慶親子の仏像が観られることもあります。鎌倉時代特有の眼に水晶をはめ込んだ玉眼や、その表現の豊かさを天平時代や平安時代の像と比べて頂けるのもまた興福寺ならではかも知れません。
尚、現在国宝館は約1年かけて修復工事のために、仏像たちは仮講堂にて当時を思わせるように並べられていますが、これまた公開の時期が決められていますので予めHPなどでご確認ください。
また、現存する建築物は平安時代から幾度の兵火に焼かれてしまっているので創建時のオリジナルではありませんが、平城京のどこからでも、興福寺の五重塔が見えるようにしなければならないという建築基準も1300年間続いていることも驚きです。
実際に平城宮の中心にあたる大極殿からみても興福寺がかなり高い場所に建てられていることに気付いていただけたとき、藤原家がいかに権勢を誇っていたかということを初めて肌で感じて頂けるのではないかと思います。
このようにいたる所に残された当時の生の情報に触れて頂くことが、奈良観光の一番の楽しみ方ではないでしょうか。
そして諸堂の拝観時間はあるものの境内は東西南北どこからでも自由に入れてしまう上に、24時間常に解放されているというのも他所の寺院ではなかなかできない事です。同じように東大寺や春日大社も境内は解放されていますので、喧騒のない夜になってから静かに歩いて頂くのも良いかもしれません。
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