東大寺の中門と戒壇堂
南大門をくぐり抜けて正面突き当りに建っている楼門は、1716年頃に再建された東大寺の中門です。
回廊が伸びた先に大仏殿の入堂口があるために、中門に注目される方は少ないのですが、ここには四天王のうちの二天像が門番として睨みをきかせて立っておられます。
四天王というのは本来インドの神々でしたが、仏教に取り入れられたときに御本尊の祀られた須弥壇の四隅に配され東西南北を守護するようになりました。
一般的には東を守護する持国天、南を守護する増長天、西を守護する広目天、北を守護する多聞天(=毘沙門天)で構成されていますが、時にはこのように二天だけで門の番人として立たれているのもけっして珍しいことではありません。
ただし、この門で注目して頂きたいのは向って右には兜跋毘沙門天(とばつ びしゃもんてん)という珍しいお像がおられることです。兜跋というのは現在の中国の新疆ウイグル地区あたりのトゥルファンという地名のことを指し、かつてこのお姿の毘沙門天が出現されて苦しむ民衆を救ったという説話によるものです。
一般的にはかなり強面の毘沙門天像ですが、兜跋毘沙門天の像容は少々違っていて、体系はスリムで冠をかぶり、目を大きく見開き、左手に宝塔、右手には鉾を持ち、金鎖甲(きんさこう)という、鎖を編んで作られた甲冑(かっちゅう)を着ておられます。
そしてもう一つ、四天王のように足元で邪鬼を踏みつけるのではなく、左右に尼藍婆(にらんば)・毘藍婆(びらんば)を従えた大地神である地天女(ちてんにょ)の手に支えられて立っておられるのが大きな特徴です。
さて、回廊に沿って行けば入堂口があるのですが、その前を通り過ぎて鹿たちが歩く芝生の間にある道路を進んでいくと、いっぺんに観光客が少なくなり奈良らしい空気に包まれます。
少し歩いた先に出てくる石段の上に建っているのが戒壇堂です。戒壇(かいだん)というのは、正式な僧侶になるため戒律を授かる、いわゆる受戒の儀式を行う場所のことです。
奈良時代に受戒の師として唐から招かれた鑑真和上が、聖武上皇や孝謙天皇に受戒をされた翌年の755年に創建されました。現在のお堂は江戸時代の1732年に再建されたものですが、場所は創建期そのままだそうです。
靴を脱いで堂内に入ると、中心に置かれた多宝塔を守るように四隅に四天王像が安置され、ちょっと他のお寺では味わえない凛とした空気が張り詰めています。日本に数ある中でも戒壇堂の四天王像は、塑像(そぞう)という天平時代独特の技法で造られている事もありますが、外敵に向けられたその厳しい眼差しが本当に胸に突き刺さるような錯覚を覚えるほどリアルで迫力があります。
残念ながら写真撮影が禁止されているのでその迫力はお伝えできませんが、堂内の空気感をどうぞご自分の肌で確かめに来て頂きたいと思います。
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