国家の安泰を願った毘盧遮那仏

公開日 : 2017年10月26日
最終更新 :
筆者 : 大向 雅
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東大寺の大仏様はとてつもない大きさです。しかし何故これほどまでに大きな仏様が必要だったのでしょうか?

今回は東大寺創建にまつわるエピソードを分かりやすく簡単に解説したいと思います

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伯母にあたる元正(げんしょう)天皇の退位にともない、聖武(しょうむ)天皇は国際色豊かで華やかな天平文化の象徴のように即位されました。ところが、華やかどころか干ばつや台風、地震などの天災が相次いだことによる大飢饉で、都の民衆は飢えに苦しみ疲れきってしまっていました。そしてなんとか重い税から逃れようと平城京を離れる者たちが後を絶たないという有様だったのです。

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「このごろ、田畑の稔りが豊かでなく、疾病がしきりに起こる。それをみると身の不徳を懴じる気持ちと恐れとが代わるがわる起こって、独り心をいため自分を責めている。そこで広く人民のためにあまねく大きな福があるようにしたいと思う。」

このような聖武天皇のお言葉が、続日本紀(しょくにほんぎ)のに書かれています。今とは比べようもない国難を救う手段として、741年に日本中に国分寺(こくぶんじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)を建立し、仏の教えと御加護によって国家鎮護と民の救済を願われたのでした。

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そして全国に建立された国分寺の総本山として、最後に大仏の建立の詔が発せられました。その時も天皇は「強引に労働者に苦役を強いては大仏建立の意義がなくなり、逆に罪に陥ることとなるので、事業に参加する者はそれぞれが大きな福を招くという思いを持って参加するようにせよ。たとえ一枝の草や一握りの砂のようなものでも捧げて、事業に協力したいと願う者なら欲するままにこれを許そう。役人はこの造仏のために、人々の暮らしを侵しみだしたり、無理に物資を取り立てたりすることがあってはならぬ。」と仰られたことが、やはり続日本紀に書かれています。

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外国では大きな建物は富や権力の象徴といったようなものが多いですが、東大寺の大仏様はあくまでも国と民の平安を願うことで生み出された仏様だということを、あらためて知ってからお参りして頂けたらと思います。

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大仏様といえば、北東の柱に開けられた孔を通り抜けるのが人気です。これは大仏様の鼻の穴と同じ大きさがあるそうで、通り抜けることができたら無病息災のご利益があるといわれています...。

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春秋の観光シーズンや修学旅行シーズンには、生徒さんの長い行列ができますが冬場ですと比較的空いていますので、お参りに来られたら思い切ってチャレンジしてくださいね。

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