手向山八幡宮から鏡池へ

公開日 : 2017年11月16日
最終更新 :
筆者 : 大向 雅
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三月堂の南側にあるこの手向山(たむけやま)八幡宮は聖武天皇が大仏造営をされた時、七四九年に現在の大分県宇佐から八幡宮の神々をお迎えし、鏡池の東側に社を造営して祀られたのが始まりとなります。

1180年の平重衡による南都焼き討ち事件によって焼失してしまい、鎌倉時代に現在の場所に再建されたそうですが、明治時代の神仏分離令に至るまでずっと東大寺の鎮守社として、それ以降も大切に守られてきました。

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八幡宮ですので主祭神に応神天皇が祀られ、宗像三女神が姫大神として、応神天皇のご両親である仲哀天皇と神功皇后のご夫婦と、皇子である仁徳天皇がご祭神として祀られています

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また手向山八幡宮の周辺は紅葉が綺麗なことから、百人一首の二十四番・菅原道真公が詠まれた「このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」の場所ではないかとも云われています。

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そのまま南へ下っていきますと若草山の麓を通って春日大社へ抜けるようになっていますが、今回は三月堂の前の階段を西へ降りて行きますと、目の前に巨大な梵鐘が現れます。

京都の知恩院、方広寺とともに日本三大梵鐘にあげられるこの鐘は東大寺創建期からの遺構で、鐘楼は鎌倉時代に栄西禅師が東大寺の大勧進となったときの時代のものです。奈良太郎という愛称で親しまれており、毎晩8時に撞かれてその大きく優しい音が奈良の街に響き、とても心地よいです。

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階段を下りていきますと金色に輝く大きな相輪が目に飛び込んできます。こちらは1970年に大阪で開催された万国博覧会のときのパビリオンの一つ古河館の遺構です。古河館パビリオンは東大寺の七重塔を模したもので高さ86mもある立派なものでしたが、残念ながら万博終了後に解体されて相輪の部分だけが東大寺に寄進されました。

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さて、帰り道は中門の方へ行かずに池のほとりを歩きましょう。この大きな池は鏡池という名前の通り大仏殿が水面に綺麗に写り込みますので、四季折々の風景が楽しめます。

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再び南大門に戻ってきまして、簡単にではございますが東大寺を一回りいたしました。このブログの記事が皆様のご旅行に少しでも参考になれば幸いです。

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