五百羅漢と高取城跡にロマンを感じる

公開日 : 2018年06月14日
最終更新 :
筆者 : 大向 雅
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壷阪寺がある高取町は、古代より飛鳥から吉野や紀伊に通じる道の途上にあたる重要な位置であり、古くから周辺の人口集中を支える地域として発展していた場所でした。

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その壷阪寺からすぐ上にある山の中には、五百羅漢と呼ばれるおびただしい数の仏が掘られた大きな石があり、そばには同じく石に掘られた金剛界と胎蔵界の曼荼羅があるなど、昔から信仰の場としても重要だったことが伺えます。

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また2キロほど登った山頂には、中世に築かれ明治維新まで存在し「日本三大山城」に選ばれている高取城跡があります。

もちろん天守閣をはじめとする建物は現存していませんので、ほとんどの方が知らない事と思いますが、高取城は奈良県高取町から4㎞程南東にある、標高583mの高取山山上に築かれた巨大な山城だったのです。

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途中までは車で行けますが結局のところテクテクと、この山道を歩いていかねば辿りつけません。

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道がどんどん険しくなるので心が折れそうになった時、ようやく平らになったと思ったら目の前に凄い迫力の石垣が現れます。

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曲がりくねって迷路のようになった城壁に沿って歩いていくと、ようやく大手門の跡までやってきます。

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かつては白漆喰(しろしっくい)塗りの天守や、櫓(やぐら)が29棟建て並べられ、曲輪(くるわ)の連なった連郭式の山城で、城内の面積は約10,000㎡で、周囲は約3㎞。城郭全域の総面積は約60,000㎡、周囲はなんと約30㎞に及ぶ、日本国内では最大規模の山城だったそうです。

山城といえば関西圏では日本のマチュピチュとして兵庫県の竹田城(たけだじょう)が有名ですが、標高353.7mその縄張りは、南北約400m、東西約100mという規模しかありませんから、いかに高取城が凄いお城だったかが分かります。

高取町はかつて植村家2万5千石の城下町として栄えていた名残を、現代に伝えられているなど、とにかく見どころが沢山あるので、飛鳥、吉野へお越しの際は、ぜひ立ち寄ってみて欲しいと思います。

岡山県の松山城(まつやまじょう)、岐阜県の岩村城(いわむらじょう)とともに、日本三大山城の一つに数えられておりかつては城下町も築かれて栄えていた。

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江戸時代に発令された一国一城令(いっこくいちじょうれい)の際も、大和国には政(まつりごと)の拠点となる郡山城(こおりやまじょう)があったにもかかわらず、高取城は重要な山城という格付けをされたおかげで破却を免れ、現在に至るまで石垣や石塁が残されています。

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勇壮な城壁がそびえ立っています。

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日頃は二条城や大阪城といった美しい城壁ばかり見ているので、こちらは山城っぽい荒々しさが出ていて、とても男性っぽくてカッコいいです(´▽`)

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お城の東側・北側・西側は残念ながら木々に覆われて見通しは利きませんが、天守があった辺りからは南側(吉野・大峰山系)だけがきれいに見通せます。草を刈って木々を整えれば、見晴らしは抜群に良くなると思います。

このようにあまり観光客に知られていない場所でも、古代からの息吹が生々しく残されている場所が沢山あるというのも、奈良ならではだと思います。

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