キトラ古墳・四神の館

公開日 : 2018年07月12日
最終更新 :
筆者 : 大向 雅
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名前の通りキトラ古墳のすぐ脇に建てられた施設で、地下一階に入りますと現代から飛鳥時代へと遡っていく年表の廊下が、まるでタイムトンネルの様です。

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内部ではキトラ古墳の作り方や、古墳の石室と壁画が再現されるなどして、誰でも分かりやすく楽しく学べるような造りになっています。

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石室上部に描かれていた天文図も再現され、CGを駆使してかなりドラマチックな仕上げとなっています。

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壁画の発見から保存にいたるまでの歴史も克明に記されていますし、明日香村の保存と暮らしなどについての映画も上映されているので、かなりの見応えのある施設だと思います。

そして上に上がって一階は、キトラ古墳壁画保存管理施設となっていて、実物の壁画や出土遺物を保存管理してあり四半期ごとに修復のなった実物の壁画を見せて頂けます。普段はこのように暗い部屋のカーテンの向こうですが、本番はこのようにけっこう間近で見られます。(要予約)

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そしてこれほどの施設入館料は無料なんです。キトラ古墳そのものに興味を示してくれる人達が今のところ少ないので、他所から見ればこんなところに税金を使って箱モノ建てることは無駄遣いだ!と怒られるかもしれませんが、ここはなかなか有意義な施設だと思います。もう少し全国に広く知れ渡るように頑張ります(≧▽≦)

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そのキトラ古墳といいますのは、高松塚古墳に続いて発見された漆喰が塗られた石室に鮮やかな色彩の壁画が描かれた古墳で、青龍・朱雀・白虎・玄武という、それぞれ東南西北を守護する四神や十二支の顔を持つ人身像が描かれ、天井には本格的天文図が描かれていることでも非常に有名で、学術的にもとても価値の高い古墳なのです。

石室の壁画はすべて薄く剥がされて保存されましたので、石室自体はきっちりと埋め戻されて穏やかな表情です。

キトラという名前の由来は諸説ありまして、地名の北浦(きたうら)が訛ったもの説、盗掘孔から見たときに玄武と青龍が見えたことから「亀」と「虎」でキトラになった説などがありますが、どれもまったく腑に落ちない説ばかりで埋葬者に関しても不明のままではありますが、場所や石室の豪華さ、副葬品の豪奢さから考えても天武(てんむ)天皇の皇子である可能性が高いとされています。

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そのほど近い場所に、第四十代・天武天皇、第四十一代・持統天皇のご夫婦の合葬の御陵があります。

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飛鳥に沢山ある御霊の中でも飛びぬけて風水的にも素晴らしい場所にあり、堂々とした八角形墳であることからも、お二人がいかに国造りに尽力され、愛されていたのかをうかがい知ることができます。

明日香村は本当に多くの史跡名勝がありますので、駅前にあるレンタサイクルで移動されるのをおすすめ致します。最近は電動アシスト付きの車両もありますからアップダウンの多い飛鳥でも楽々ですよ♪

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