戦艦大和に祀られた大和神社の神
日本の神道では、何といっても三重県にあります伊勢神宮(いせじんぐう)の御祭神であります天照大御神(アマテラスオオミカミ)が最も貴い神様とされています。
その天照大御神も、かつて伊勢神宮に入られる以前には、天皇のお住まいである宮中にあった大殿に祀られていました。そしてそこに共に祀られていた倭大国魂神(ヤマトオオクニタマノカミ)という神様がおられたことは、残念ながらほとんどの方がご存じありません。
日本書紀での記述によりますと、第十代・崇神(すじん)天皇の御世「国内に疫病多く、民の死亡するもの、半ば以上に及ぶほどで、百姓の流離するもの、あるいは反逆するものあり、その勢いは徳をもって治めようとしても難しかった。
そこで宮中に天照大神と倭大国魂の二神を祀っていたが、やがて天皇は二神の神威の強さを畏れ、宮の外で祀ることにした。
天照大神は豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)に託して大和の笠縫邑(かさぬいむら)に祀らせた。一方、倭大国魂は渟名城入姫命(ぬなきいりびめのみこと)に預けて祀らせたが、髪が落ち、体が痩せて祀ることができなかった。
その後も天照大神は場所を転々と移りながら旅を続けられ、最終的には現在の伊勢の地におさまられ...。
かたや倭大国魂神は市磯長尾市(いちしのながおち)を祭主として、この大和(おおやまと)神社に祀られたとのことです。「和」の一文字でヤマトと発音します。大神神社の「神」の一文字でミワと発音するのに似ていますね。
名前が良く似ておられるので大国主命(オオクニヌシノミコト)の別名といわれる説もあるようですが、全く別の神格の大和の地主神なので出雲とは何の関係もありません。
かつては遣隋使や遣唐使が出発の際に、航海の安全をこの神社に祈ったといわれています。
その話が元になっているのか、近世では世界最大の不沈戦艦である「戦艦大和」の守護神として、こちらの分霊を艦内に祀っていたことはよく知られています。
残念ながら戦艦大和は、終戦直前の昭和20年1945年に沖縄沖で沈没してしまいましたが、神社の一角に「戦艦大和記念館」がありますので、ほんの少しですが戦艦大和のことについて知ることができます。
艦と共に亡くなった2717名の英霊が、祖霊社に合祀されています。昭和44年には境内に「戦艦大和記念塔」が建立され、三年後の昭和47年には巡洋艦矢矧(やはぎ)や、その他の駆逐艦8隻の戦没者も合祀され、坊の岬沖海戦の全戦死者3721柱が国家鎭護の神として祀られています。
そしてこの参道の長さは263mあり、戦艦大和の全長と同じ長さだということもまた意味深いですよね。
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