四つの塔頭に守られる長弓寺

公開日 : 2019年02月21日
最終更新 :
筆者 : 大向 雅
IMG_6954 (2).JPG

今回は奈良県生駒市にある真言律宗の寺院、長弓寺(ちょうきゅうじ)を紹介。

IMG_6967 (2).JPG

創建は奈良時代の僧・行基(ぎょうき)と伝わりますが、詳細は定かではありません。寺伝によりますと神亀5年(728年)、鳥見(とみ)郷の小野真弓長弓(おののまゆみたけゆみ)と息子・長麻呂が聖武天皇の狩りに随行していた時のこと。不思議な鳥が飛び立つのを見た長麻呂が矢を放ったところ、矢は鳥ではなく父・長弓に当たってしまい亡くなりました。

不運な長弓父子を哀れんだ聖武は僧・行基に命じて一寺を建立させ、御本尊に十一面観音像を安置したのが始まりとのことです。

IMG_6965 (2).JPG

また、平安時代に入ってから藤原良継(ふじわらのよしつぐ)が創建したという説や、荒廃していたお寺の堂塔を整えたともいわれています。隆盛時には塔頭寺院もが20ヶ寺あったといわれていますが、現在で4坊が残されるのみです。

IMG_6986 (2).JPG

現在の本堂は、棟木にある銘から鎌倉時代の弘安2年(1279年)あたりに建てられたことが判明しており、真言律宗の祖である叡尊(えいそん)によって再興されたものと考えられています。

IMG_6984 (2).JPG

入母屋造(いりもやづくり)で正面5間、側面6間のりっぱなものです。檜皮葺(ひわだぶき)の屋根もまたお寺では珍しいです。鎌倉時代の新和様の典型的な建築として大変貴重な建物であるとして国宝に指定されているのも納得です。

IMG_6972 (2).JPG

また、長弓寺の境内東側にある伊弉諾(いざなぎ)神社は、聖武天皇が長弓寺の鎮守として建てさせたものと伝わっています。かつては牛頭天王(ごずてんのう)が御祭神だったそうですが、現在はこちらの春日造りの社殿に伊弉諾命(イザナギノミコト)が御祭神として祀られています。伊弉諾命には神明造の社殿が相応ですが、それでも中々の貫録です

IMG_6956 (2).JPG

参道入り口に、このように大きな鳥居が建っているのも、近世になるまでは神仏習合の信仰が行われていたことの名残なのでしょう。

IMG_6971 (2).JPG

長弓寺本堂には住職はおられず、薬師院、円生院、法華院、宝光院という4つの塔頭が輪番制でお寺を護持されているという不思議なシステム。薬師院、円生院、法華院では宿坊を営まれ、精進料理を食べることもできます。

面白いのは、長弓寺には鎌倉時代建立とされる三重塔があったそうですが、昭和9年(1934年)の室戸台風で本堂の屋根が大破するなどの大きな被害を受けた際に、修理費用捻出のため三重塔を売却されたというのです。とはいっても、その時にはすでに初層のみしか残されていなかったそうですが。

いったん、ある実業家の所有となって鎌倉市に移築されましたが、昭和29年(1954年)に高輪プリンスホテル(現グランドプリンスホテル高輪)の庭園内に移築され「観音堂」と称されて、都会の真ん中に居ながら古刹の情緒が楽しめる隠れスポットとなっています。

IMG_6996 (2).JPG

また、長弓寺から1km程東の小高い丘の上には真弓塚(まゆみづか)というものがあり、小野真弓長弓の供養の為に、本人の弓、もしくは聖武天皇の弓が埋められたと伝わっています。

長弓寺は一般的な観光地とからは少し離れた場所にありますが、そのぶん穏やかな気持ちで参拝できるお寺ですので、ぜひお越しください。

【記載内容について】

「地球の歩き方」ホームページに掲載されている情報は、ご利用の際の状況に適しているか、すべて利用者ご自身の責任で判断していただいたうえでご活用ください。

掲載情報は、できるだけ最新で正確なものを掲載するように努めています。しかし、取材後・掲載後に現地の規則や手続きなど各種情報が変更されることがあります。また解釈に見解の相違が生じることもあります。

本ホームページを利用して生じた損失や不都合などについて、弊社は一切責任を負わないものとします。

※情報修正・更新依頼はこちら

【リンク先の情報について】

「地球の歩き方」ホームページから他のウェブサイトなどへリンクをしている場合があります。

リンク先のコンテンツ情報は弊社が運営管理しているものではありません。

ご利用の際は、すべて利用者ご自身の責任で判断したうえでご活用ください。

弊社では情報の信頼性、その利用によって生じた損失や不都合などについて、一切責任を負わないものとします。