猿沢池は興福寺の放生池
仏教には「放生会(ほうじょうえ)」という、捕えた魚や獣を池や野に放つことで殺生を戒め、万物の生命を慈しむ儀式があります。こちらの猿沢池(さるさわいけ)は奈良時代に、興福寺での放生会を行うために造られた一周約350mの人工の池です。
今でこそ興福寺の境内とは、三条通をはさんで向かい合っているように見えますが、かつてはここまで興福寺の寺領だったそうで、その権勢ぶりが分かるというものです。
池のほとりを鹿が散歩する姿もよく見かけますし、近鉄奈良駅からも徒歩10分ほどで、「ならまち」にも近いこともあって、観光客はもちろんのこと地元の人たちにとっても憩いの場となっています。
通称「五十二段」とよばれるこの石段は、猿沢池から興福寺の南大門跡へと続く階段で、その名の通り下から上まで五十二段あります。五十二という数字は大乗仏教の教えにちなんだもので、菩薩の修行の階位は一番下の信心・念心・精進心から始まり、一番上の妙覚までの五十二段階に分かれているとされ、妙覚に達した菩薩はあらゆる煩悩を断じ尽し、悟りを開いた仏とされるそうです。
つまりこの階段を上り切って興福寺に入る頃には、もうすっかり仏の境地に到達しているという事を表わしています。池のほとりの何気ない階段にも、長い歴史と深い意味が隠されているのは、奈良ならではのことですね。
猿沢池には多くの伝説が伝わっていますが、その中でももっとも有名なのが「采女(うねめ)伝説」だと思います。
かつて奈良時代に、春姫という美しい女性が采女として宮中に仕えていました。ほどなく天皇に見そめられ、寵愛を受けるようになりましたが、やがて寵愛は薄れてしまい...悲嘆にくれた彼女は、この猿沢池に身を投げたと伝えられています。池の南東には、入水する時に衣服を掛けたという衣掛柳の石碑があり、対岸の北西には采女神社があります。
不思議なことにこちらの采女神社は、池に背を向けるように建っているんです。これは祭神である春姫が自分が身を投げた池を見るのは嫌だと言って後ろを向かれたと伝わっています。
「采女祭」は彼女の霊を慰めるために毎年仲秋の名月の日(旧暦8月15日)にJR奈良駅前から猿沢池のほとりに建つ采女神社まで花扇奉納行列が行われるところから始まり、采女神社に花扇を献じ、その後二隻の竜頭船にのせて池を二周し、最後に花扇を池に投じて供養いたします。
采女神社は普段は非公開ですが、この祭の日だけは一般の方でも参拝できます。
また、猿沢池には昔から「澄まず・濁らず・出ず・入らず・蛙はわかず・藻は生えず・魚が七分に水三分」というような七不思議が伝わっています。つまり、猿沢池の水は決して澄むことがない、かといってひどく濁ることもない。どこからも水が流入する川はなく、また流出する川もないのに、常に一定の水量を保っている。亀はたくさんいるが、なぜか蛙はいない。亀や鯉が食べてしまうのか藻も生えない。毎年多くの魚が放たれているので増える一方なので、魚が七、水が三の割合になってもおかしくないはずだが、魚であふれる様子がない。
実に不思議なこともあるものだ...などということを考えながら夕涼みをしていただくのもまた一興です。
猿沢池は、現在も奈良の有数の観光スポットとして知られていますが、ここが景勝地として取り上げられたのはものすごく古く、なんと!室町時代に作られた「南都八景」の中にも「猿沢池の月」として取り上げられているんです。
興福寺の五重塔は高さ50mですが、この塔が隠れてしまわないように建物を造らなければならないという、」奈良の不文律のおかげで一際大きくそびえていますよね。興福寺の南円堂にお参りされる方が鳴らす鐘の音がやさしく響くのを楽しみながらお散歩を堪能していただきたいと思います。
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