銅鏡がどっさり出てきた黒塚古墳

公開日 : 2019年03月28日
最終更新 :
筆者 : 大向 雅
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皆様は古代の鏡、本物の銅鏡(どうきょう)をご覧になったことがありますか?聞いたことはあっても、実際に見る機会がそうあるわけでもないし、正直どんなのか良く分からないという方も大勢おられるのではないでしょうか?

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これがその銅鏡。その名の通り青銅で造られた鏡です。写真で見たことがある人でも実際に手に取ったことがないと、ゴテゴテとした模様が施された青銅製特有の緑色なのでまったく使えない感じ。一体どうやって鏡として使うのかが分かりませんよね?

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しかしこれは長い年月の間に酸化して緑青が形成されたためであり、作られた当時の銅鏡の反射面は白銀色ないし黄金色に輝くちゃんとした鏡だったのです。

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もちろんこちらはレプリカですが、鏡の表面はピッカピカに磨かれているので、ばっちりお顔が映りますよ♪

驚くべきはここからです。やはり銅製の鏡ですから、使っているうちに曇ってくるわけで、古代よりクエン酸が含まれるザクロを研磨剤として用い、曇りの原因となるシュウ酸カルシウムなどの汚れを取り除いていたそうです。

また元禄時代には、水銀に錫の粉末を混ぜてアマルガムという物質を作り、これに梅酢を加えて砥ぐようになりました。クエン酸の効果で表面の汚れが除去され、そこに錫アマルガムが付着することによってメッキ状態になり、いっそう美しい鏡面が得られたということです(゚д゚)ポカーン

その時代からは比較にならないくらい科学が発達している現代、私たちのような一般人が、この方法を考えつくことはありませんよね?先人たちの智恵には本当にいつも驚かされてばかりです。

かつて邪馬台国の女王・卑弥呼(ひみこ)に対して、魏の国王が銅鏡100枚を贈ったということが、有名な魏志倭人伝(ぎしわじんでん)に書いてあるので、もしも全国の邪馬台国候補地で、大量の銅鏡が発掘されることがあれば一気にその地に邪馬台国説が浮上することになるのですが...そう旨い話があるはずが...。あったのです!

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奈良の天理市にある黒塚古墳にて1997年から始まった発掘調査で、なんとっ!石室に綺麗に並べられた三角縁神獣鏡(さんかくえん(ぶち)しんじゅうきょう)33面と画文帯(がもんたい)神獣鏡が1面、発見されたのです。

発掘当時の様子は、被葬者の頭のところに画文帯神獣鏡と、両側に刀1、剣1が置かれ、外には東壁側15面、西壁側17面と、じつに32面もの三角縁神獣鏡が木棺と壁のわずかな間に立て並べられていたそうです。

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今までの考古学の調査で、これほど一度にたくさんの銅鏡が入れられていた例はなかったので、もしや?と、さすがに考古学の研究者や古代マニア達が、このそれほど大きな規模ではない古墳にどッと押し寄せて、小さい街が一時パニックになるほどだったとか。

しかしその後、卑弥呼がもらった銅鏡よりも、製作年代が新しいことが分かり...一見落着。

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現在は古墳のすぐ隣に「天理市立黒塚古墳展示館」を建てて、発掘された時の埋葬の状態を正確に再現してくださってますので、小難しい説明を受けるよりもインパクトがあって楽しめます。

普通あまり観光で行くところではありませんが、このように分かりやすく石室の状態を再現してくれているところは少ないので、興味がおありの方は、ぜひ一度は訪れてほしいと思います。

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