偉大な霊剣が御祭神・石上神宮
今回は奈良県天理市布留町にある神社、石上神宮(いそのかみじんぐう)を紹介いたします。
石上神宮は「古事記」や「日本書紀」にその名が登場するほど歴史の古い神社です。単に古いというだけではなく、古代国家を軍事面でサポートする防衛庁のような役割も果たしてきた重要な拠点だったと考えられています。
何といいましても御祭神があの「布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)」ですからその霊力は計り知れないのです。とはいえ、いきなり布都御魂剣とか言われてもなかなかピンとこない方も多いかもしれませんので、簡単に解説いたします。
かつて出雲の国の邦守であったオオナムチが、代々の天神が築いてきた国造りの法を無視して、我が物顔で国を支配していることに業を濁した天照大御神から遣わされた、鹿島神・建御雷(タケミカヅチ)と香取神・経津主(フツヌシ)二神による葦原中国(あしはらのなかつくに)平定の際に、武御雷が砂浜にズンっと突き立てて国譲りを迫った剣であり、また神武東征のときには、大和を目指して熊野に辿りついた神武天皇の一行が、毒気にやられて危機に陥った時に、高倉下(タカクラシタ)の夢枕に立たれた武御雷からこの剣を授けられ、それを神武天皇の元に届けた途端に病魔が去ったというエピソードが書かれています。
その後、物部氏の祖である宇摩志麻治(ウマシマチ)により手厚く祀られていましたが、第10代・崇神(すじん)天皇の時代に、勅命により現在地に遷し、石上大神として祀られたというのが、こちらの縁起になります。この剣の凄いところは一度も「切るため」に使われていないことで、あくまでも剣そのものがもつ霊威がズバ抜けているということにあります。
垂仁天皇39年には五十瓊敷入彦(ニシキイリヒコ)皇子が剣一千口と神宝が納め、軍事警察に関わる一切を担い、その後は物部氏族が管理を引き継いできました。
「神宮」という称号をもつ神社としては、現在の伊勢神宮と同じくらい古いことからも、その社格が伺えますね。一説には八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)を所有していたからとも云われています。
こちらは大神神社(おおみわじんじゃ)と同様に古来より本殿がなく、拝殿の奥の神域に2つの神宝が御神体として埋斎されていると伝えられていました。しかし、1874年の発掘で出土した刀(布都御魂剣か?)や勾玉(八尺瓊勾玉か?)などの御神宝を奉斎するために1913年に本殿を建造されました。
1878年の禁足地再発掘でも、天羽々斬剣(あめのははきりのつるぎ)が出土するなど。剣先状の石瑞垣で囲まれている禁足地には、古代の神宝がたくさん眠っていて、その霊力がしっかりとこの地を守っているのかもしれません。
御祭神とされる布都御魂剣や十握剣は非公開ですので見る機会はありませんが、4世紀頃に作製され百済から伝わったというこちらの国宝・七支刀は公開されたことがあり、実物を拝見してきました。
伊勢神宮と同様に境内にはさまざまな種類の鶏が放されていて、夜明けとともにいち早く神のご神託が聞けるようにされています。朝早い時間に行きますと、このように木に止まった鶏が見られるかもしれませんよ。(これぞまさに鳥居ですね)
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