テレジーンの街
テレジーンの街は大きく、規則正しく集合住宅が並んでいます。
街全体の形は北海道の五稜郭のような雪の結晶のような形をしていて、
その街から川を挟んで少し離れたところに砦があります。
街中の建物は古くから建っている物がほとんどのようです。
街の周りには堀があったような跡があり、砦にあったトンネルが街の周りを囲んでいるようで、
所々に隙間が空いているトンネルが見られます。
街中には、ユダヤ人博物館や、ユダヤ人が葬式のときつかった場所などがあり、
当時どのように生活していたかなど分かります。
また、街の端の方には第二次世界大戦当時使われていた、
ポーランドのアウシュビッツに続いている線路の一部を見られます。
そしてそこにある記念碑には「収容された人は、ここで最後の旅行のために乗る列車を待っていた」
と書かれています。
テレジーンはドイツからくる敵を中心のプラハに入れないようにするために作られたので、
その場所は、オフジェ川とラベ川(エルベ川)の合流地点に作られました。
ドイツからチェコに山を越えずにくる道はたった一つしかありません。
写真=街の形がよくわかる案内板
それがラベ川に沿った道で、地図で見るとこの道はテレジーンまで一本道で続いています。
もしかしたら、ぼくが以前「チェスケー・ストシェドホジー」の回で書いた「ポルタボヘミカ」は
そういう理由でついた名前なのかもしれません。
(兄ボブ)
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