テレジーンの砦
プラハのアンジェルかホレショヴィツェ駅からリトミエジッツエェ行きのバスに乗って、
1時間ぐらい行くと赤煉瓦の壁とお堀が見えていきます。
ここがテレジーンの街で、その赤煉瓦で囲まれているところはテレジーンの砦です。
このテレジーンの名前は皇女マリア=テレジアからきていて、砦は18世紀に作られました。
作られた当初から政治犯などの牢屋として使われてきたこの砦は、第一次世界大戦勃発の原因、
オーストリアの帝位継承者であるフランツ=フェルナンド夫妻暗殺事件の犯人が収容されました。
その後の第二次世界大戦では、1940年6月14日の最初の収容人をはじめとして
戦争が終わるまでに計32000人が収容されました。
収容されていた人はチェコ人だけではなく、ソヴィエト、ポーランド、ドイツ人などが収容され、
1945年にはソヴィエト、イギリス、フランス人の戦争の捕虜が収容されました。
この砦の内部には、たくさんの部屋があり、牢屋だけに使われてきたようにも見えますが、
長さ500メートルというものすごく長く、気持ち悪いほどきれいにまっすぐ続いていて、
何本も脇にそれる道があるトンネルは、所々に銃が入るぐらいの隙間があり、
18世紀頃の戦いに備えてあることが分かります。
写真=「働けば自由になる」と書かれたテレジーン強制収容所
(兄ボブ)
【記載内容について】
「地球の歩き方」ホームページに掲載されている情報は、ご利用の際の状況に適しているか、すべて利用者ご自身の責任で判断していただいたうえでご活用ください。
掲載情報は、できるだけ最新で正確なものを掲載するように努めています。しかし、取材後・掲載後に現地の規則や手続きなど各種情報が変更されることがあります。また解釈に見解の相違が生じることもあります。
本ホームページを利用して生じた損失や不都合などについて、弊社は一切責任を負わないものとします。
※情報修正・更新依頼はこちら
【リンク先の情報について】
「地球の歩き方」ホームページから他のウェブサイトなどへリンクをしている場合があります。
リンク先のコンテンツ情報は弊社が運営管理しているものではありません。
ご利用の際は、すべて利用者ご自身の責任で判断したうえでご活用ください。
弊社では情報の信頼性、その利用によって生じた損失や不都合などについて、一切責任を負わないものとします。