テレジーンの砦

公開日 : 2008年09月19日
最終更新 :

プラハのアンジェルかホレショヴィツェ駅からリトミエジッツエェ行きのバスに乗って、

1時間ぐらい行くと赤煉瓦の壁とお堀が見えていきます。

ここがテレジーンの街で、その赤煉瓦で囲まれているところはテレジーンの砦です。

IMG_6909.jpg

このテレジーンの名前は皇女マリア=テレジアからきていて、砦は18世紀に作られました。

作られた当初から政治犯などの牢屋として使われてきたこの砦は、第一次世界大戦勃発の原因、

オーストリアの帝位継承者であるフランツ=フェルナンド夫妻暗殺事件の犯人が収容されました。

その後の第二次世界大戦では、1940年6月14日の最初の収容人をはじめとして

戦争が終わるまでに計32000人が収容されました。

収容されていた人はチェコ人だけではなく、ソヴィエト、ポーランド、ドイツ人などが収容され、

1945年にはソヴィエト、イギリス、フランス人の戦争の捕虜が収容されました。

この砦の内部には、たくさんの部屋があり、牢屋だけに使われてきたようにも見えますが、

長さ500メートルというものすごく長く、気持ち悪いほどきれいにまっすぐ続いていて、

何本も脇にそれる道があるトンネルは、所々に銃が入るぐらいの隙間があり、

18世紀頃の戦いに備えてあることが分かります。

写真=「働けば自由になる」と書かれたテレジーン強制収容所

(兄ボブ)

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