旅行記〜シュパイアー①〜
まずは写真からどうぞ。
これが、シュパイアーにある、ロマネスク様式の大聖堂です。
詳細は後に回して、今回の旅の経緯です。その後、みなさんも一緒に旅行したように、順に綴っていきますね。
バイエルン州は、3月24日から4月8日までの二週間ちょっとがイースター休暇。
ここ暫くまともな家族旅行が出来なかった私達は、今回5泊6日でベルギーに住む友達(仏日家族)を訪ねる旅に行って来ました。目的地は決まったものの、遠いので、せっかくだから道中にたくさん見たい、ということで、あれもこれも見たい中、絞りに絞って、観光する場所を5箇所に絞りました。
レーゲンスブルク→シュパイヤー→メッス(フランス)→ブリュッセルの南の小さな町→アントワープ(ベルギー)→コブレンツの近くの小さな村→レーゲンスブルク という旅になるのですが、高速道路は、フランスからベルギーに行く途中に、少しルクセンブルクを通り抜けるし、アントワープからドイツに向かう途中には、なんとオランダも通り抜けるのです。
シュパイアーがどこにあるか、から始めましょう。
ドイツ西南部ラインラント・プファルツ州(州都マインツ)にあります。バイエルン州のレーゲンスブルクから、高速道路を使って西に西にと進むと、およそ3時間で到着します。
近くには、ライン川が南北に流れています。
大聖堂ですが、ロマネスクを代表するものとして知られている、ユネスコの世界遺産です。
私はロマネスクの大聖堂を、今まで一度も見たことがなかったので、とっても楽しみ。
このアーチ、はいこのアーチがロマネスクの特徴。ロマネスク様式は、大凡1200年頃までのものです。
そのアーチの下にある立派な扉をご覧ください。
そして、天井を見上げると、この立派な模様。
ロマネスク様式の建物は、ステンドグラスがなく、窓も小さいイメージでしたが、内部は結構明るく、曇りがちな天気の日でしたが、写真を撮るのも平気。
昔の人が手作業で働いた跡が、このようにしっかり石に刻まれています。
そして、この大聖堂の前には、一本の大きな道マキシミリアン通りが貫いているのです。
さて、ここは、人口5万人ほどの小さな町です。
大聖堂は1030年から当時の神聖ローマ帝国の皇帝コンラート2世によって建設が始められました。
1061年完成と、完成までにかかったのがたったの31年間。
完成後およそ20年で、より大きな大聖堂を造るためにハインリッヒ4世が半分を解体した。
より大きくなった大聖堂は、1106年(ハインリッヒ4世紀が亡くなったその年)に完成。
しかも驚くことに、当時のシュパイアーには、なんと500人ほどしか人が居なかったという。神聖ローマ帝国の皇帝であるハインリッヒ4世が、いかに強大な力を持っていたかの現れですね。
1450年の5月5日から6日にかけての夜、実はこの大聖堂は完全に燃えてしまったのだそうです。その後財政を工面し、また造り直された大聖堂も、またもや、1689年の大火事で大半が焼けてしまうのです。
度重なる修復は否めないものの、本来の様式であるロマネスク様式保っているこのシュパイアーの大聖堂は、1981年にユネスコの世界遺産となりました。
私の場合、レーゲンスブルクにあるゴシックの大聖堂を見慣れているので、ロマネスク様式の大聖堂ということで、とっても新鮮に感じました。これは、是非おすすめです。
今日の締めくくりにもう一つ。大聖堂からまっすぐ伸びるマキシミリアン通りを700メートルほど歩くと、塔にぶつかります。
13世紀の前半に造られた城壁の塔で、高さが55mある、アルトピュアテル(Altpoetel)です。この塔には時計の文字盤が二つあり、上の文字盤が時を刻み、下の文字盤が15分単位で刻むのだそうです。
はい、これで今回はおしまい。次回は、「旅行記〜シュパイアー②〜」をお届けします。
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