遠隔貿易で栄えたレーゲンスブルクと塩、「塩の貯蔵庫」について
今年は新年早々、真面目すぎる話が続き恐縮です。
今日は、「塩の貯蔵庫」について注目してみました。
レーゲンスブルクは、遠隔貿易で11世紀から14世紀にかけて栄えた町。
塩の行き来があったのは13世紀頃からで、レーゲンスブルクは、運搬される塩を一旦保管する権利を持っていた......。
一般人の間には知られていない話だが、実は塩の保管場所は複数あって・・・・
↑これが、一般に、レーゲンスブルクで塩の貯蔵庫として知られている建物です。
建設されたのは、1616年から1619年、そして1620年に手直しを加えています。できるだけ屋根を高く建設しました。「白い黄金」と呼ばれていた塩をこんなに保管できるということを見せつける役割があります。つまりレーゲンスブルクが豊かな町であることを象徴する建物でした。
この貯蔵庫は、現在は世界遺産都市としてのレーゲンスブルクを紹介するビジターセンターとなっています。内部は、古い造りを大切に保管しつつ、すっきりと仕上げています。無料で入れますので、是非内部もご覧になってください(観光の合間に、ちょっと座りたいときや、寒い時、暑い時、雨風の強い時などにもおすすめです)。
でも、実際、レーゲンスブルクが栄えたのは、11世紀から14世紀のこと。塩の貿易も13世紀には遅くとも行われています。なのに、なぜ17世紀初頭に塩の貯蔵庫がやっと造られたのだろうか。
曖昧に疑問に思っていた私ですが、今回追求してみました。
実は、それ以前に、もうひとつ別の塩の貯蔵庫があったのです。
上のふたつの写真をご覧ください。
最初のものは、先ほど紹介した17世紀に造られた塩の貯蔵庫。ドナウにかかる石橋を南に進んで左側にあります。
一方で、石橋を南に進み、右側にある黄色っぽい建物が、アンベルガー・シュターデル(注: Stadel=貯蔵庫)。
現在は、(1992年以降)学生寮として使われています(一階には複数の店舗が入っています)。
このアンベルガー・シュターデルが建てられたのは、1485年から1492年のこと。う〜ん、それ以前はレーゲンスブルクには塩は届かなかったのかなぁ。
1551年に拡張されているということは、塩の貿易がうまくいっていたということなのでしょうね。
ただ、ドナウの川が、ここはあまり深くない場所で、船が近づくのが困難だという問題が発生したらしく。新しく建てたのが、一番最初にご紹介した一般に知られている「塩の貯蔵庫」であるようです。
尚、ドナウの対岸、(バイエルン州)シュタットアムホーフにも、塩の貯蔵庫があります。
アンドレアス・シュターデルと言う名のこの貯蔵庫は、1597年に建てられています。
自由都市(レーゲンスブルク)は、皇帝直轄だから、塩を一旦蓄える権利を皇帝から与えられていました。
バイエルン州、当時の選帝侯マクシミリアン1世は、(自由都市)レーゲンスブルクの塩を買うと関税が取られることを不満に思い、同じドナウの川の対岸である北に塩の貯蔵庫を造らせ、ドナウに到着する船から直接塩を降ろすことにしました。それが、アンドレアス・シュターデルなのです(現在は、ホテルや映画館、レストランが入っています)。
ご参考までに、それぞれの貯蔵庫の住所はこちら↓
塩の貯蔵庫 : 93047 Regensburg
アンベルガー・シュターデル : Brückstraße 2, 93047 Regensburg
アンドレアス・シュターデル : Andreasstraße 28, 93059 Regensburg
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