コロナ時代の文化財公開日2 ポルタプレトリア再発見!

公開日 : 2020年09月25日
最終更新 :

2. ポルタプレトリア 

179年にローマ軍が建てた軍事拠点の主要門で、大事な観光スポットのひとつ。しかし、ここ数年清掃活動や、団体旅行客がしっかりそこを楽しめるように準備が整えられるために、たびたび工事現場の幕に覆われていたりしていました。まだ完成というわけではありませんが、改めて一緒に見て行きましょう!

レーゲンスブルクは2000年以上もの歴史の宝庫。

ガイド付き団体ツアーではできるだけ紹介したい場所ですが、時間の関係で、またここ数年は改築の関係でなかなか紹介しきれない、しかし、重要な観光スポットです。

五賢帝の最後の皇帝、マルクス・アウレリウスの指揮で、西暦179年ローマの軍事拠点として造られた町の主要門がいまでも残っています。それが、このポルタプレトリア。トリアにあるローマの城壁ポルタネグラとともに、歴史的価値の非常に高いものです。

もう少し詳しくいうと、マルコマンニ族に対する戦役のためにマルクス・アウレリウス・アントニヌスが165年頃に徴募して編成した、ローマ軍団のひとつ「第3軍団イタリカ」が、179年にレーゲンスブルクに軍事拠点を置いた、ということです。

公認ガイドである私にとっては、知り尽くした(?) 場所で、45分ものガイドツアーがどれだけ私の勉強になるやら?とあまり期待をせずに出かけました。

が、案内してくれたガイドさんの豊富な知識と、非常に達者なプレゼンのお陰で、私にとってはいろいろな意味で、たくさん学ぶことがあるツアーでした。

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写真は、私の感動とともにシャッターを切ってしまったので、一般的なポルタプレトリアの角度とは異なるのですが、私の感動、衝撃とともに撮影した一枚です(実は観光ガイドでありながら、ここ1年以上、ポルタプレトリアを意識して見ていませんでした)。

ちなみに、普通、観光客が写真を撮る場合は、主要門であったアーチの部分をメインに(私の写真でいう右奥から左手前を見る形に)撮影するのだと思います。ただ、ここ数年の変化、私にとって新鮮に写った部分を自然にカメラに収めた結果、今回のブログの写真は、本来の「ポルタプレトリア 」を象徴する写真でなくなってしましました。まあ、再発見!というタイトルなのでいいのですが、ポルタプレトリア を知らない読者の方には、不親切な記事ですね。何が一体再発見なのやら......

古い歴史のあるこの主要門の隣にある塔の部分の写真ですが、2015年、2017年と最新技術を使った清掃活動などの結果、黒ずんだ石はきれいになってはいたのですが、え? こんなだったの?と思わせるものでした。なんかきれい。石が浮き彫り!という印象。

実は意図的に部分的に黒いものも残されているのです。すると本来の黒くなってしまったものとの違いを見せることができるから、ということだそうです。

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ガイドさんの説明によると、ここレーゲンスブルクよりも古い都市は3つ。

トリア、ケルン、そしてマインツです。

へえ、そうなんだ。と思って私も調べてみました。

トリア(Trier)は、ラインランド・プファルツ州(マインツやコブレンツがある州です)の4番目に大きな町で、フランスとの国境近くにあります。人口11万人ちょっとです。2000年以上の歴史を持つ、「ドイツで一番古い町」だそうです。ポルタニグラという2世紀頃に建てられた黒い城門があり、ここレーゲンスブルクのポルタプレトリアと対比して語られます。レーゲンスブルクからみると西におよそ500kmです。

ケルンは、トリアより少し北に位置します。こちらもトリアと同様に2000年以上の歴史を持つ大都市。紀元前50年ローマ帝国の属州として町が作られました。ノルトライン=ヴェストファーレン州にあり、人口110万人。

マインツも氷河時代の発掘もあるようですが、歴史としては紀元前1世紀の後期から町としての認識があるようです。ラインランド・プファルツ州にある人口22万人弱の町です。

これら3都市は近いので、ぜひ歴史を意識して訪れてみたい場所ですね(え? それって私だけ?)。

おもしろいと思ったのは、ローマ人は町を石で作ったということ(ローマ人以外は木材、植物と粘土層を混ぜて家などを作ったのだそうです)。

家を壊しては、瓦礫の上に新たに建築するので、一般に6m掘るとローマの遺跡にたどり着くのだそうです(瓦礫の上に家を!という考え方は、実はレーゲンスブルクの有名なゴシックの大聖堂も同様です。大聖堂が石段の上に建てられているのは、それにより、瓦礫を取り除かずにほぼ同じ位置に建築したから)。

大きな石を上手に調達し操ることができたローマ人って、とっても偉大ですね。

石で町を作ったからこそ、その証拠がたくさんたくさん残っているのです。

例えば、ポルタプレトリアの歴史を知るための情報は、東の門を作った石に刻まれています。9mの長さの石のうち、3m分が発見されています(現在はレーゲンスブルク〈バイエルン州ではなく〉の歴史博物館に展示されていますよ)。

ここポルタプレトリア は、少なくとも932年頃まで使われていたあと、長らく存在が知られていませんでした。

レーゲンスブルクのビールの醸造所であるビショッフホーフが、1649年からここで醸造していました。建物の改築中1885年5月17日にこのポルタプレトリアの存在が見つかったのです(ちなみに、ビショッフホーフは、1889年から現在の製造拠点〈レーゲンスブルク西部〉にモルツの製造所を築き、1908年醸造所の建設を開始しました)。そのあと、このポルタプレトリアを表面化した状態で、ホテルビショッフホーフとなり、現在にいたります。

実は、もう少し辛抱してもらえば、コロナが落ち着いたあとのガイドつき団体ツアーではさらに魅力的になるはずの観光スポットなんですよ。

現在、団体観光客が腰を下ろして話を聞けるような場所がふたつ用意されつつあります。ひとつは塔の中。少し前までは、ホテルのレストランがジャガイモや玉ねぎを保管する場所として使っていたところです(すでに完成しているべきところですが、こちらもコロナで影響を受けているようです)。

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