文化財公開日 ワインの産地のヴィンツァー(地区)についての一般的なお話

公開日 : 2021年09月24日
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最近は書きたいネタがたくさん溜まっているのに、9月中旬からの新学期がスタートし、おばさんの私も何かと忙しくしており、ブログが追いつきません。

ということで、9月12日の文化財公開日、3つ参加したイベントのうちの3つ目について紹介します。

ちなみに、2021年のほかのふたつの記事は、それぞれ、「聖レオンハード教会」「外はお城、中はギムナジウム」からどうぞ。

16時からの最終回のガイドツアーに間に合うかな、と思いながら駆け込んだプログラム。

レーゲンスブルクの北、ドナウを越えてすぐにある西側の地区をヴィンツァーというのですが、ここはドイツ最小のワインの産地です。レーゲンスブルク産のワインについて、もっと知識を深めたいと来年こそは、来年こそはと思い続けてはや数年。

残念ながら、ヴィンツァーらしい写真というのを持ち合わせていないのですが、描写してみましょう。

西からレーゲンスブルクへ、東西に走るB8(日本でいう国道8号線みたいな感じ)を走ってくると、もう一歩、ちらほら大聖堂が見えるかな、という頃左手に、傾斜を利用した小さな地区が見えます。実はこの辺は、南向きの斜面を利用したブドウの生産が盛んだったり、その他、野菜作りなども盛んな地域です。

ぱっと見た目には気づかないでしょうが、傾斜を利用してぎゅうぎゅうに家が建てられ、その土地利用が上手にできているなあ、と感心させられる様な地区です。モダンな建物もありますが、たいがいその家の入口は、裏側の小高いところにあり、斜面を段々畑の様にして南北に細長い土地があり、その特徴をうまく利用した個人のおうちもたくさんあります。

B8と並行して北に走る細い道路は、制限速度30kmという細い道ですが、ここの通りは、ニュールンベルガー通り。そうです、まさに、昔は、レーゲンスブルクからニュールンベルクへ向かうときに使っていた道なのです(いまの状態からはまたく想像できないのですが)。

もうひとつおもしろいのは、ドナウの川の流れを地図で見てみると、基本的に東西に流れていますが、それが一番北を流れる場所(リンク先は、2018年11月のもの)、そのすぐ北にあるのが、このヴィンツァーです。

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↑写真は、水源についての説明がなされた場所から見下ろした風景です。ここは小高い丘の上、教会のすぐ北でかつ、教会よりも少し高い位置にあります。

南西にドナウが見え、南東には、レーゲンスブルクの大聖堂の尖塔が見えます。↓

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ヴィンツァーの歴史は不明な部分も多いようですが、時系列で少し見てみましょう。

777年の時点では病人にワインを飲ませていたようです。水に対する信頼性がなかったからなのでしょうか。

1155年、レーゲンスブルクの大聖堂などにもワインを収めていたようです。ミサでもイエス・キリストの血にたとえた赤ワインがいるからなのでしょうか。

遅くとも1182年には、ここに教会が建てられました。

1630年頃はドライファルティヒカイト教会あたりまでの一帯が(上のリンク先[2018年11月の記事]一番最後の写真をご覧ください)ブドウ畑であったのだそうです。

ヤーコブ・クリスティアン・シェーファーという18世紀の博物学者(で現代の洗濯機のもとを発明したレーゲンスブルク人)が、......と説明がありました。ああその人のこと調べたことある!と喜んでいる間に説明を半分聞き逃したかもしれません。

が、とにかく彼が、1787年に、ヴィンツァーのワインを酸味が強くおいしくないと表現したようです。

1870年はワインがほとんど生産されませんでした。理由はふたつ。まずブドウへの害虫の被害に悩まされていたこと、ビールが製造され人気を集めたこと。

Reblaus ブドウネアブラムシという名前の害虫のせいで、とりわけ南ドイツは大きな被害を受けました。

ブドウ畑をほぼ全滅に追い詰められたのです。

この害虫は、アメリカから1800年代後半にヨーロッパに広まったものですが、日本にも明治から大正の時代にかけて被害をもたらしたことのだそうです。

実はこの害虫対策として、ヴィンツァーを実験台にし、害虫を封じ込める作戦に出た結果、うまくいったそうです。

うーん、実はこの地区についての情報は、一般にはおもしろいものではないかもしれませんが、2022年の私のテーマで、今度こそ! レーゲンスブルク近郊のワインについて研究しようと思っています。

ということで、今回の記事は、私のワイン研究に関する宣告!ということでお届けしました(笑)。

昔は水質がよくなかったので、そのまま飲む水よりも、ビールの方が衛生的だった、というのをよく聞きます。

レーゲンスブルクにも多くの醸造所があったはずですが、現在でも残る3つの醸造所の醸造開始年をみてみると、シュピタールが1226年醸造開始、ビショッフホーフが1649年、クナイティンがーが1861年。どこの町でも多くの醸造所がありましたが、吸収合併されたり、廃業したりする時代もあったようです。1870年ごろ、ワインの消費量が減ったときは、ビールが力を発揮していたことでしょう。

今回の文化財公開日のガイド付きツアーは、地元の有識者も参加していたようで、ガイドさん以外にも情報を補ってくれ、和気藹々としたいい感じのグループでした。私のドイツ語力の問題もあり、あまりたくさん情報をもらえた訳でもなく、また普段見られないものが見られた訳でもありません。なので、ブログで紹介する内容も、読者の方にはちょっとがっかりだったかな、と思います。

皆さんにとって大事な情報はただひとつ!

ここには、ドイツで一番小さなワインの産地があるということ。

実は、数年前に、地元のワインをメインに取材目的でフォトジャーナリストさんが、レーゲンスブルクへいらっしゃったことがあります。当時、私がガイドとしてご案内をしたのですが、「ワイン」の取材と知らされておらず、大慌て。ただ、そのときはレーゲンスブルク(ヴィンツァー)のワインを飲むことができなかったのです。生産量が少ないので、夏にはもう商品がない、という状態。物流量も非常に少ないのだと思います。

そんなヴィンツァー、南側に斜面を持つぶん、太陽を十分に浴びることができるからでしょう、ブドウの生産には非常に適していた訳ですが、なんと野菜の栽培も盛んで、ものによっては5期作もできたとか。野菜AからZまで全て栽培していた、との説明でしたが、どうやらAはAubergine(ナス)、ZはZucchini(ズッキーニ)だそうです。間の24個のアルファベットを埋める野菜が何なのか? 本当に全部あるのか? 追求はしませんでしたが、それだけ農業が活発だったということなのでしょう。

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