【ジョスラン】由緒正しき大聖堂は必見!ノートル・ダム・ドゥ・ロンシエ大聖堂(Basilique Notre Dame du Roncier)

公開日 : 2020年01月31日
最終更新 :

ブルターニュ地方の中央部に位置する美しい城下町、ジョスラン。町の中心の広場を歩くと目に留まるのが、荘厳な美しさで佇むノートル・ダム・ドゥ・ロンシエ大聖堂です。今日はジョスランの町の象徴である、この大聖堂の魅力を紹介したいと思います。

◇フランボワイヤン・ゴシック様式の傑作

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特徴的な屋根の形は、フランス語で炎を意味する「フラン」から派生したフランボワイヤン・ゴシック様式によるものです。大聖堂の起源は11世紀にも遡り、15世紀終わりに現在のような外観となりました。

1891年には宗教的な重要性が認められ、ローマ教皇レオ13世よりバジリカ(大聖堂)の称号が授けられた由緒正しき教会でもあります。

◇ジョスラン城を建設したロアン家の墓が眠る

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四角い交差廊は、初期ロマネスク時代の名残を留めています。また、ジョスラン城を建造したブルターニュ貴族オリヴィエ・ド・クリソンとその妻マルグリット・ド・ロアンの墓標が、南側の後陣に設けられた小礼拝堂で大切に祀られています。

◇茂みから現れた聖母マリア像の伝説

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ノートル・ダム・ドゥ・ロンシエ大聖堂の名は、ある伝説に由来しています。808年にウスト川の畔で仕事をしていたある農民が、キイチゴの茂み(Roncier)の中から聖母マリアの彫像を発見しました。農民はその像を家へと持って帰ろうとしましたが、何度試みても突如として姿を消し、また元の茂みへと戻っていたそうです。

そこでこの農民はこの場所に小さな礼拝堂を建設することを決意し、その噂を聞きつけて人々が集まりジョスランの町の礎が築かれたのだそう。

◇叫び声を挙げながら街を行進!? ブルターニュの伝統行事パルドン祭

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ブルターニュ地方の数々の町に伝わる伝統行事パルドン祭では、代々受け継がれてきたロンシエの聖母マリア像や聖遺物とともに礼拝行列を行います。1728年から1950年代までは「ジョスラン絶叫のパルドン祭」の名でも知られ、民衆の叫び声とともに町を行進したのだとか。

19世紀後半まで北側の礼拝堂では死の舞踏の儀式が行われるなど、一風変わった文化を持っているのもジョスランの町の魅力かもしれません。

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それでは、次回もとっておきの地元情報をお届けしたいと思いますので、楽しみにお待ちください。

〈文・写真:高津竜之介〉

■今回紹介した場所

・スポット名:ノートル・ダム・ドゥ・ロンシエ大聖堂(Basilique Notre Dame du Roncier)

・住所:Rue Olivier de Clisson, 56120 JOSSELIN

・アクセス:ジョスランバス停留所より徒歩5分

・参考URL:http://www.josselin.com/

筆者

フランス特派員

高津 竜之介

NPO法人「日本で最も美しい村」連合在フランス研究員。レンヌ第2大学言語学部非常勤講師。現在は同大学人文社会学研究科において「世界の最も美しい村の比較研究」をテーマに博士課程在籍中。

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