【4月18日】サンフランシスコ大地震115周年目の朝

公開日 : 2021年04月19日
最終更新 :
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1906年4月18日(水)午前5:12ほぼジャスト。まだ薄暗い中、地響きと共に、マグニチュード7.8(資料によってはM8.3)の地震が起きました。サンフランシスカン(生粋のサンフランシスコ)はザ・グレート(The Great)と言ったり、ザ・ビッグ・ワン(The Big One)と言ったりしています。『サンフランシスコ大地震』は、亡くなった方、3000人(資料によっては700〜3000人)家を失った方は22万7000〜30万人、当時のサンフランシスコの人口が41万人なので、半分以上の人が家を失いました。*地震で発生した火災が原因*

 ゲーリー(Geary)、カーニー(Kerney)とマーケット通りの三角地帯にある『ロッタの噴水(Lotta's Fountain)』は、1875年9月、女優ロッタ・クラブツリー(Ms,Lotta Crabtree)さんが、サンフランシスコ市に寄贈した噴水です。地震発生時、広場になっていたこの場所をサンフランシスコ市民は待ち合わせの場所としていました。今年は115周年にあたり、綺麗にペイントされていました。また、今年の2月に114歳で亡くなったサンフランシスコ在住でカリフォルニア州最高齢者のミリガンさんを偲ぶリースが飾られていました。(娘さんの名前が記されてましたが)

噴水の後方に写っているのが、パレスホテル(The Palace Hotelサイト)です。大地震の前夜パレスホテルでは、メトロポリタンオペラのサンフランシスコ公演の歓迎ムード一色のガーラ(Gala/お祭り騒ぎ)だったいたそうです。翌朝、新聞記者が記事の準備をしていてらつないであった馬がうるさくなった...と古い資料にあり、ガーラの様子から大地震を伝える記事となってしまいました。

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も一つ、ブッシュ(Bush)・バッテリー(Battery)とマーケット通りの広場に、何枚かパネルがあります。その一枚が、サンフランシスコ大地震発生の頃の様子です。瓦礫の中にブロンズ像が見えますか?

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『メカニクス・モニュメント・プラザ(Mechanics Monument Plaza)』と呼んでいる広場にある、高さ6.4mのブロンズ像。1901年彫刻家ダグラス・ティルデン氏の作品で、マーケット通りの美化運動の目玉としての3部作の一つで、都市の再生を力学に準えて現したにしたもの。太平洋側で初の鋳造書だった"ユニオン鐵工所(Union Iron Works)"の偉業を表しているそうです。この広場にも被災された方が集まっている様子がありました。

サンフランシスコ大地震発生115年目の朝でした。

筆者

アメリカ・カリフォルニア州特派員

美丸(Mimaru)

サンフランシスコ在住ビアジャーナリスト。全米のクラフトビール探求の日々、訪問したブルワリー、タップルーム情報は随時投稿。

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