【番外編】オレゴン州北西端、アストリアのまちを訪ねて(Astoria)

公開日 : 2022年07月16日
最終更新 :
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サンフランシスコからオレゴン州ポートランド(PDX)まで、飛行機で約2時間。そして、ポートランドから車で約2時間の場所に「オレゴンコースト」とよばれている太平洋の風光明媚な海岸線、コロンビア川河口に人口1万人ちょっとの静かな町アストリア(Astoria)に行ってきました。

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ドライブ中に感じたのが広大な土地に広がる森林、しっとりと濡れて積み重なった材木などが、乾ききったカリフォルニアの大地を見慣れている私達にはとても新鮮に見えました。緑、緑、また緑...重なり合う緑の山々はどこか日本の風景に似ていて、懐かしく感じました。何度か出くわした通り雨では、カリフォルニアではあまり使うことのないワイパーを動かして、車内で"夏のにわか雨"を満喫しました。

川と湾とユニークな橋

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町を象徴する橋アストリア橋(Astoria - Megler Bridge)が見えました。サンフランシスコ(ベイエリア)もゴールデンゲートブリッジを代表して個性的な橋が7つあるので、つい橋談義になってしまいました(笑)

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1924年にできた石造りのビルには、ブルワリー・タップルーム、カフェなどが入っています。「フォート・ジョージ・ブルワリー(Fort George Brewery)」は、ビールラバーには有名なお店です。日本ではクラフトビールを通販専門で取扱ってるようです。到着が早すぎてテイスティングできなかったのが残念(悲)

■Fort George Brewery & Public House

住所: 1483 Duane ST, Astoria OR 97103

電話番号: 503-325-7468

営業時間: 毎日11:00〜22:00(Downstiars/予約無用)

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朝食は、14ストリートカフェ(14 Street Cafe )に行ってみる事にしました。ポートランドは美食都市として有名なので食事はどこでも当たり! 期待を裏切りません。もちろん初めてでしたが、安心して入れます(これ重要ですよね)

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平日だったので、さほど込んでおらず、カウンターでオーダーし、コーヒー(スタンプタウン・コーヒー)と番号札をもらって席で待ちます。曇空の少し肌寒い日でしたので、おいしいコーヒーの温かさが体に染み込みました。

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寒い日は、妙に甘い物が食べたくなるんです。メープルシロップをたっぷりかけたフレンチトースト(10ドル)が、美味しい! しかもこのメープルシロップがさっぱりした甘さでいわゆるヤバイくらいスルスルと止まらない。かなりのボリュームだったのですが完食☆

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町の雰囲気にしっくりなじみ、落ち着いちゃっていつまでもいれそうで、スタッフの気配りも良かった。再訪したいカフェのひとつになりました。とても素敵なホテルセリーナ・コモドアホテル内にあるので場所も分かりやすいですよ。

■Street 14 cafe

住所: 1410 Commercial St, Astoria, OR 97103

電話番号: 503-325-5511

営業時間: 毎日07:00〜15:00

日本初のネイティブ英語教師ラナルド・マクドナルド石碑/フォート・アストリア

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小さいまちの訪問の目的は、ある人の石碑を確かめることでした。オレゴンの太平洋岸の北の端っこに日本語の石碑があるという。果たして歴史的サイト"フォート・アストリア(Fort Astoria NPサイト)"の一角にその石碑がありました。

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Ranald MacDonald(ラナルド・マクドナルド)(あのファーストフード店とは関係ありませんよ)1824年ここアストリアで生まれました。老舗の毛皮取引の会社ハドソンズ・ベイ・カンパニーに勤める父(スコットランド人)と、先住民族チヌーク族長の娘の母の間に生まれました。ラナルドは、周囲の白人に比べ少し浅黒い肌の色は母方の血、ひいては日本人のルーツがあるのでは? と気がつき、日本に興味がわきました。そして、1845年捕鯨船の乗組員として、ハワイ、香港などを経て日本海の北海道沖で捕鯨船から離れ、最終的に利尻島に漂着しました。実に3年かけて日本に着いたのですが、長崎に送還されてしまいます。

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幽閉された状態の長崎では、日本人通訳(通詞)に英語を教えることになりました。ラナルドは、エジンバラ大学出身のお父さんや幼少時の寄宿舎生活できちんとした教育を受けていたのが役に立ったようでした。当時、英語ははオランダ語からの教育だったので、大変優遇されました。よってラナルド先生は、日本において初のネイティブ英語教師となったのす。

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(門下生の一人が、ペリー来航の際の主席通詞・森山栄之助です)

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漂着した北海道(当時は蝦夷)に3ヵ月、長崎に7ヵ月。1年に満たない日本滞在で殆ど囚われの身だったラナルド先生でしたが、人生で最も素晴らしい時間だったと手記にあるそうです。

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神社の鳥居をイメージしたデザインの石碑。表は英語、日本語は裏側にあたります。

この話を教えてくれ、連れてきてくれた歴史好きの知人に感謝。この夏休みの課題図書としてマクドナルド先生の手記(日本語訳)『日本回想記』"を読んでみようと思いました。

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そして、ポートランドにお越しの際、機会があればアストリアまで足をのばしてみてはいかがでしょうか。

筆者

アメリカ・カリフォルニア州特派員

美丸(Mimaru)

サンフランシスコ在住ビアジャーナリスト。全米のクラフトビール探求の日々、訪問したブルワリー、タップルーム情報は随時投稿。

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