ハイチ大地震
1月12日夕方5時ちょっと前、ハイチの首都ポルトープリンスから約16km離れたところを震源として、マグニチュード7の大地震が発生した。
ハイチで活動する国際赤十字によると、1月14日現在、死者は少なくとも4万5千人、被災者は300万人を越えると推定している。ハイチ全人口の約3人に一人が被災者と言うことになる。
この地震で、家屋やホテルが崩れ、がれきやつぶされた車両の下敷きとなって亡くなった人が多い。今でも各国から支援が相次ぎ、救出作業や救援物資や医療の輸送が続いているが、ロジがうまくいっていないせいか、どこで何をどの程度分配すべきかといったことが、混乱の中で行われている。遺体は次々と運ばれ、道端にも放置されている状態。(ロイター写真はここをクリック)。
私はこの地震が起こったとき、隣国ドミニカ共和国のサント・ドミンゴ市にいた。私も地震を感じた。12階建てビルの7階でちょうど会議をしていて、グラッときたときすぐに「地震だ」と分かった。地震に慣れていないドミニカ人はアタフタして、すぐに帰っていったが、私は正直久々の地震を少し楽しんでもいた(ハイチがこんなことになっているとは知らずに)。ここ、ドミニカは地震専門家に言わせれば、「地震のない国ではない」と言うことらしいが、私がここに住み始めてから初めての経験であった。
今回の揺れは非常に長かった。30秒以上続いたのではないか。高層建物のせいで、揺れが続いていたのか思っていたが、そうではなく、実際長かったようだ。震源から300km以上程度離れたサント・ドミンゴでも震度2,3程度の揺れを感じたのだから、震源に近いハイチの首都ポルトープリンスは相当の揺れだったことだろう。イギリスのある大学によると、今回の地震の強さは広島の原爆の35倍強力だったと報告している。
地震が起こったとき、ドミニカ人はどうしたかと言うと、建物の中にいた人はいっせいに外に出て、わらにもすがる思いで、手を合わせて神に祈っていた。笑い話のように思えるが、地面が揺れるなんて経験をしたことのない人にとっては、恐怖そのものである。
とにかくこの巨大地震。ハイチでは、首都にあるホテルを始め、国連オフィスや大統領官邸までもが崩壊した。ホテルに滞在していた人も、国連職員も下敷きとなった。ドミニカ人も犠牲となった。このブログを書いている間にも、瓦礫の下敷きの中で、命を落としている人がいると思うと、心苦しい。
ハイチは地震がなくても西半球で最貧国と言われるほど貧しい国。インフラも充分ではないし、安全な水や十分な食料にありつける人は、ごく限られている。その中でも最も発展している首都が、大きな大きなダメージを受けた。もちろん、日本のようにインフラがしっかりしていれば、被害規模は実際よりも小さかっただろう。貧しさゆえに、自然災害に対して非常に脆弱なのだ。その脆弱な国が、2008年のハリケーン襲来による洪水被害に続き、今回の大地震の被災地になるとは…。
神の仕業か、天災か
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