映画監督の山崎チズカさん、ガイジン・デカセギを語ります

公開日 : 2008年05月20日
最終更新 :
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ガイジン―――。

日本では差別的だと敬遠される言葉ですが、ブラジルの日系社会の中で「ガイジン」は日系人以外のブラジル人を指す言葉として普段からよく使われています。

この言葉をあえて、物語のタイトルにすえた女流映画監督が、山崎チズカさん(写真)。

1980年の長編デビュー作『Gaijin - Caminhos da Liberdade(ガイジン1―自由への道)』では日本からブラジルへの初期移民の生き様を描き、2005年の『Gaijin – Ama me Como Sou(ガイジン2―心の祖国)』では4世代にわたる日系女性たちの「今」を訴えました。

このほど、映画監督のかたわら、日本とブラジルの友好のためにも尽力する山崎さんにお会いする機会に恵まれました。

山崎さんのお話をインタビュー形式でご紹介します。

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― 映画のタイトルについて

日系人たちはよく、ブラジル人のことを「ガイジン」と呼びますが、ブラジルは多くの国からの移民で成り立っている国。言葉の本当の意味を考えたら、「私たち全員がガイジンなのに」と思ったのが始まりでした。

『ガイジン1』のサブタイトルは「自由への道」。これは私のバッチャンをはじめ、当時のすべての移民が自由を探して道を築いてきたことを意味しています。

その後、あるきっかけで日本にいるデカセギの実態を知り、『ガイジン2』は、最初はデカセギの映画にするつもりでしたが、それだけを語るわけにはいかないので女4世代の物語にしました。原題のサブタイトルは「ありのままの私を愛して」という意味。私たちは相手をよりよく知り合う上で欠点を見つけ、それでも好きになるところに愛があると思っています。サブタイトルでは、私たち一人一人、日本人でも日系人でもガイジンでも全然違うけど、でも愛して欲しい、愛し合うことができるということを表現したかったのです。

― あるデカセギの子の話

日本の場合、日本で生まれたデカセギの子は日本人じゃありませんよね。でも、本人は日本文化と習慣の中で育ち、日本人の要素を含んで大きくなります。でもこの子たちに教育や年金、社会福祉で日本人の子と同等な権利は与えられません。

あるデカセギの子に話を聞きました。年齢は14〜15歳。その子は9歳で親に連れられて日本に行き、学校に通っていましたが遅刻ばかりしていました。そのうち学校には行かなくなり、今は仕事もしていません。でも、彼に「ブラジルに帰りたいか」と訊くと、「帰りたくない」と言いました。ブラジルにはもう思い出がないからです。彼の世界は浜松だけ。日本とブラジルの二つの文化の間で中途半端になった子どもがあと2〜3年して、大人と同じ責任を求められるようになると、非常に複雑なことになります。行き場を失った子どもたちが行くところはだいたい決まっています。

―日本とブラジルの架け橋に

私がデカセギ問題で大切だと思うことは(1)デカセギに市民権を与えること(2)文化的援助をすることです。例えばサークル活動や学校支援で子どもたちが落ちこぼれになることを防ぐのです。今、日本で多くのブラジル人のデカセギが精神科に通っています。特に私の世代では日本語や日本の作法、踊りなど、いろいろと日本文化が色濃い教育を受けてきました。自分は日本人として育ち、日本人として日本に行くのに、そこではガイジン扱いされてしまう。当然のように心の中に葛藤が生まれます。

差別ではなくて日本人には日系人を大いに利用してもらいたいと思います。日系人は日本とブラジルの架け橋になるはず。というのは、日系人たちは日本文化をベースにしながら西洋文化を経験しているから。彼らと共生することでブラジルを知り、それを礎に他の外国人とも理解しあえるようになると思うのです。

―差別をなくすには

差別をなくすためには情報が必要です。無知であることが差別を生みます。みんな、よく分からないから恐怖を感じ、偏見を持つのです。相手を理解することで偏見はなくなります。

例えば私は『ガイジン1』の時は日本人が大嫌いでしたが、映画制作のために日本に行ったり、いろいろな日本人と話し合ったりするうちに『ガイジン2』の頃には日本が大好きになりました。もちろん、同意できないことはたくさんありますが、理解ができるようになったのです。だから、情報を取り入れるために、日本人には心を開き、周りをよく見て欲しいのです。

私は、日本人の心のなかには、「移民は国を裏切った人」という意識が少なからず残っているような気がします。でも実際は違います。移民は国を助けるために日本を出て外国で苦労した人たち。その事実を知ってくれれば、嫌うのではなく、尊敬し、誇りに思えるはずです。

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サバサバとして、信念を貫き通す山崎さん。

「日系人として、『日本人の血』を感じることはありますか」という質問を投げかけると、

「食べている時。日本料理が大好き!」と明るく答えてくれました。

これからも躍進してもらいたい人です。

山崎チズカさんのプロフィール:

1949年、リオ・グランデ・ド・スル州ポルト・アレグレ出身の日系三世。ブラジリア連邦大学映画学科卒。1980年の長編デビュー作『Gaijin - Caminhos da Liberdade(ガイジン1―自由への道)』はカンヌ国際映画祭で国際批評家連盟による特別賞など多くのプレミアムを受賞。日系社会を題材にした映画だけでなく、ブラジルのテレビドラマなども手がけている。2005年の『Gaijin – Ama me Como Sou(ガイジン2―心の祖国)』は今年中にDVDリリースを予定。現在は新作映画『Amazônia Caruana』を製作中。「Conselho Brasil-Japão para o Século 21=日伯21世紀協議会」のブラジル側メンバーの一人。

公式サイト:http://www.tizukayamasaki.com.br/index_port.htm

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