ソウル市庁前に芝生広場登場

公開日 : 2003年04月30日
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 車の通りが多く、何車線もの道路が交差していたソウル市庁前が、あっという間に芝生の広場となった。いつものことながら、決断の早さ、工事の早さには驚かされる。工事はたしか3月に入って始めたと記憶しているが、車の通行は閉ざされ、辺りを渋滞に巻き込みながら、忽然と芝生広場が登場だ。 訪れてみると、隣の徳寿宮(トクスグン)と並んで、緑がまぶしい。空気がいいとはいえないが、都心の広々した芝生に立って、辺りを眺めてみたいと思った。今はハイ・ソウル・フェスティバルの準備で騒々しいが、これから何もない平和な昼間に一人で芝生に座ったら、どんな気分がするのだろう。 この広場、あっという間に出来上がったが、その裏にはハイ・ソウル・フェスティバルのために工事を急ぎ、市民公募の広場造成計画を中止したというエピソードがある。しかも、急遽造成した広場は円形で芝生を敷きつめただけなので、「まるで日の丸のよう」と批判の声も上がった。 ソウル市庁の建物が日本の植民地支配の痕跡であるように、この辺りに寄せる人々の思いは格別のものがある。かつて大韓帝国時代(1897-1910植民地前)には、この辺りは広場としての役割を果たし、集会が開かれたり、人々が自由に集える場であった。その後、日本の植民地支配により、重々しい建築物に遮られ、路面電車や車の通りが激しくなると、広場としての役割は失われていった。 時代は流れ、ワールドカップの時には真っ赤なファッションに身を固めた市民たちがこの市庁前に集まったし、それを機に広場としての役割に再び注目が集まり、反米デモや弾劾反対デモなどに使われるようになったのだ。 今回の広場造成も市民がリードしてきたと言っても過言ではないが、一方でデモ対策に頭を悩ませていたソウル市としては芝生を植えてしまうことで「市民の憩の場」としてのイメージを強めたかったようだ。市民団体は使用に制限がある今回の芝生造成に反対の声を上げるなど、事態はこれからも動きがありそうだ。実に韓国らしいなあと思うけれど。

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奥に見える山が青瓦台(チョンアデ)のある北漢山(プッカンサン)。左の森は徳寿宮(トクスグン)。日本の植民地の痕跡である市庁の建物は日本の「本」の形をしていた。

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