洗練されたシンガポール料理の先駆け「Wild Rocket」
和紙で作られた小路を抜けると、温かい木目をベースにした空間が広がる。
シンガポールのデザイナーが、日本の茶室をイメージしたというダイニングルームは、
まるで繭の中にいるような、どこかくつろいだ雰囲気を醸し出している。
そして、そんなモダンな「和」を感じる空間には、カフィライム(こぶみかん)の香りが漂っています。
シンガポールの街中を歩いていると、日本語の文字や日系のお店をよく目にしますが、シンガポールの人たちの日本びいきは、電気製品や車などにとどまらず、日本の食やアニメ、漫画などにまで及んでいます。
ここは、そんな現代のシンガポールを写し取ったかのようなレストランが、「Wild Rocket」です。
オーナーシェフのウィリン・ロー(Willin Low)氏は、弁護士としてキャリアを重ねたのち、料理の道に進んだ異色の経歴のシェフ。
旅好きのWillinシェフは、「世界中を旅するが、色々なおいしいものを食べても、懐かしくなるのはふるさとシンガポールの庶民的な屋台(ホーカー)料理」だといいます。
とはいえ、後継者問題などで、シンガポールの屋台文化は今危機に瀕しています。
親がやっていたとはいえ、エアコンのないホーカーで、一皿数ドルのヌードル等を作るという生活を受け継ぎたいという若い世代は少なく、店主が高齢化すれば、そのまま閉店になってしまうお店も少なくありません。
そんな味を守りたいという思いもあり、自分の愛する「ホーカーの味」を、洗練された料理に
生まれ変わらせて残していきたいと話します。
そんなWillinシェフの料理は、食に敏感なシンガポール人に大人気。中でも、こういった屋台料理で構成されたお任せコースを、日本酒とのペアリングで提供するのが、特に受けているといいます。
実は、ウィリンシェフは2014年7月に利き酒師の資格を取得、2015年2月にはさらに上級コースの資格を取得したかなりの日本酒通。
「米を主食とする、東南アジアの料理と合うのは、ぶどうを原料としたワインよりも、米を原料とした日本酒。スパイスを多用したシンガポール料理とも実は相性がいい」ということで、日本酒とのペアリングでいただきました。
(お任せコースは前日までの事前予約で、内容によって120~160シンガポールドル(料理のみの価格)となります。この日は138シンガポールドルでした。)
それでは、シンガポールの屋台料理が、どんな風に姿を変えたのかを見ていきましょう!
sashimi of hokkaido scallop with chai poh & truffle infusion
北海道のホタテと、Chai Pohと呼ばれる、大根の漬物を合わせた一皿。
Willinシェフによると、シンガポールがまだ貧しかった時代に、ご飯や米で作った餅のような主食と、このChaiPohだけで食事をしていた、という、つつましい時代を象徴する食べ物です。
細かく刻んだ塩昆布でさらにうまみをプラスし、今のシンガポール人が大好きなトリュフの香りで仕上げてあります。
食べると、上質のお米の甘みとどこか重なるホタテの自然な甘みが広がります。Chai Pohは、たくあんの味を穏やかにしたような、やや甘めの味わい。
塩昆布と、添えられた紫蘇の芽のすがすがしい香りも、日本人からすると「朝ご飯」をイメージするような組み合わせです。
ここからの3皿に合わせたペアリングのお酒は、獺祭純米大吟醸50(280ml、46シンガポールドル)。
山田錦を50%まで磨き上げた味は、スタートにふさわしく薫り高く、優しい甘み、酸味が複雑に絡み合った重層的な味わいです。米の丸みのある味が、ホタテにぴったりでした。
「軽くて飲みやすく、フルーツや花を思わせる香りが、ホタテの甘みに合う」と、Willinシェフは語ります。
続いては、シンガポール人がよく行く旅行先の一つであるタイからインスピレーションを得た一皿、Red curry duck breast salad
レッドカレーは、なんとアイスクリーム仕立て。
「アイスを先に一口食べて、口の中をタイ風にしてから食べてくださいね」、とWillinシェフに言われます。
お任せのコースは、カウンターでいただくので、こんな風にシェフとのコミュニケーションをとりながら食べることができます。
美しく盛り付けられた鴨肉、パイナップルやぶどう、四角豆やタイバジル、大根などを、このアイスクリームをソースのようにしていただくのですが、本来辛くて熱いカレーをすっきりとしたアイスクリームとサラダという、冷たい料理として食べるのが斬新でした。
鴨の皮が、カリカリのクリスピーな仕立てになっているのも良いアクセントになっていました。
Prawn paste pig's ears with green mango salsa
ローカルフードの"Har Cheong Gai"、エビのペーストに漬けたフライドチキンにインスピレーションを得た一皿。チキンの代わりに豚の耳を使い、表面のカリカリの衣の下には、絶妙な歯ごたえとゼラチン質のコクがあります。エビのペーストの代わりに、青リンゴとクランベリーをサルサ仕立てにしたものを添えて、サクサクした青リンゴのさわやかさと、ドライクランベリーのドライフルーツならではの程よい酸味と甘みがフレッシュな印象でした。
そして、お任せコースの中ではなく、「ベジタリアンバクテー」ですよ、と出してくれたのが、
mixed mushroom dashi consomme with shiitake wanton(18シンガポールドル、写真は2分の1のポーション)
バクテーとは、肉骨茶と書く通り、本来は骨付きのポークリブを煮込んだ、労働者の朝食として食べられていたローカルフード。シンガポールでは、宗教上の理由でベジタリアンの人もいるため、そういったスペシャルリクエストも受け付けているのだとか。
胡椒の効いたクリアスープの潮州系と、甘い醤油味の広東系があるのですが、こちらは広東系。
肉の代わりに昆布出汁を使ってうまみを出し、朝鮮人参など、バクテーに使われる中国漢方のハーブが入っています。エノキダケと細切りにした昆布が入り、しっかりとしたうまみがハーブの苦さを打ち消します。漢方のすっきりとした味わいは、食事の合間のリフレッシュとしてもぴったりでした。
ここからの2皿に合わせる日本酒は、勝山の特別純米、「EN」(280ml、45シンガポールドル)に。酒米の山田錦ではなく、ひとめぼれを100%使ったお酒。「バランスが良く、米のうまみと、さわやかな余韻があり、シーフードに合う」とWillin シェフ。
carb-free "char kuay tiao"
シンガポール風焼きそばのような、「チャークエティアオ」を、糖質フリーで、という面白いメニュー。
なぜ糖質フリーに?とお聞きしたところ、屋台料理は、庶民的で、一皿でおなかがいっぱいになるような、糖質やカロリーが高いメニューが多く、屋台料理をそのままコースにすると、すぐに満腹になってしまって、全体を楽しめないからなのだそう。
米?の代わりに使っているのは、柔らかい甲イカ(Cuttlefish)。
通常は大量のラードなどの油でコクを出すチャークエティアオですが、甲イカのうまみで、油が控えめでも十分味わい豊か。醤油ベースの甘辛い味と相まって、ワンランク上の味に仕上がっていました。
singapore fried noodles - king prawn hokkien mee
「シンガポールフライドヌードル」この一皿には、Willinシェフは特別な思い入れがあるんだとか。
「法律を学ぶためにロンドンに留学していた際、ふるさとが懐かしくなった。食べることが大好きなシンガポール人にとっては、ふるさとが恋しくなるというのは、ふるさとの味が恋しくなるのとイコールなんだ。そんな時に、中華のテイクアウトで、『シンガポールフライドヌードル』というメニューを見つけて、試してみた。だけれど、シンガポールという名前がついているのに、全然シンガポールの味がしないんだよ!そこで、自分でマーケットに行って、そろわない材料ででも、シンガポール風のヌードルを作った。そうしたら、やっぱりちゃんとシンガポールの味がするんだ。これが僕の料理の原点。材料を全部同じにしなくても、シンガポールの味のアイデンティティーを保った料理。だから、僕が出すパスタ料理には、「シンガポールフライドヌードル」という名前をつけることにしているんだ」とのことでした。
今回のメニューは、Willinシェフが一番好きな屋台料理として挙げている、ホッケンミーにアレンジ。もともとはエビを殻ごと使って出汁をとった、塩味の焼きそばのような?料理です。大きなタイガープラウンが乗ったエンジェルヘアパスタに、タイガープラウンからとったエビ味噌が全体に効いた、薫り高い料理でした。
そして、スパイシーなチリクラブをアレンジした料理には、
chilli crab cake
オーストラリア産のアサヒガニ(スパナクラブ)と、ワタリガニの一種(ブルーシマークラブ)の2種類を使っています。
サクサクの薄い衣を割ると、たっぷりのカニの身があふれます。
上手に身を取り出すのが難しく、なかなかたっぷりカニをほおばることができないチリクラブ。
下に敷かれたチリソースと合わせて、チリクラブ身の一番おいしい部分を食べている気分です。
合わせる日本酒は、「すっきりとした飲み口で、バナナやミルクチョコレートのような味を感じる」という、七田酒造の純米大吟醸(720ml、220シンガポールドル)。甘いチリクラブソースとの相性も抜群でした。
tajima wagyu beef short rib with buah keluak mash
オーストラリア産の田島和牛のショートリブに、ブアクルアのマッシュポテト。
プラナカンの伝統食、ブアクルアの実を取り出して毒を抜き、伝統的なスパイスミックス、ルンパを加えてマッシュポテトと合わせ、アイオリソースを添えています。
ショートリブは周りがカリッと、中はしっとりと焼き上げられ、シナモンのような独特な甘い香りとコクのあるブアクルア味のマッシュポテトはマイルドな味わいで食べやすかったです。
デザート2皿には、日本で唯一の外国人杜氏、イギリスのフィリップ・ハーパー氏が江戸時代の製法で作ったという日本酒、タイムマシーン(グラス12シンガポールドル)。
「濃厚なドライフルーツのような甘みがありながら、あと残りせずすっきりした味」とWillinシェフ。
合わせるデザートは
pineapple sorbet with chilli padi flakes & soy salt
パイナップルのソルベに、シンガポール人の大好きなトウガラシ、チリパディを加え、シンガポールで数少ない、伝統製法で作られている醤油を作る際に表面に浮く塩の結晶で仕上げた品。昔のパイナップルは今のように甘くなく、チリと塩をかけて食べていたそうで、そんな伝統へのオマージュ。冷たさで甘さが抑えられたパイナップルソルベに、チリのスパイシーさと醤油の発酵の香りが加わり、味に深みを与えています。どこか、醤油を思わせる発酵の香りがある日本酒、タイムマシーンとの相性も最高でした。
wild rocket chendol
続いては、独自に工夫されたチェンドル。乳製品を使わず、ココナッツミルクを100%で作ったパンダンパンナコッタの下には優しい甘みの小豆、そして上には伝統的なパームシュガー、グラメラカのソース。
グラメラカの濃厚な味わいと、このタイムマシーンの味もぴったりでした。
10月でオープン10周年を迎えたWild Rocket。
通常は数ドルで食べられる屋台の料理を、100ドル以上するコース仕立てにするのは、勇気がいったのでは?
と、Willinシェフにお聞きすると、「確かに、人気が出るかどうか、怖い面もあって、最初は西洋料理が中心のレストランだったんだ。でも、実際にオーダーが入るのは、屋台料理をアレンジした僕のオリジナルのモダン・シンガポール(Mod-Sin)料理。だから、徐々にそちらを増やして、今ではMod-Sinを提供するレストランとなった、というわけ。」
では、なぜ人気なのか?
「シンガポール人は新しいもの好き。僕は、シンガポールの食材を使って、全く新しい料理を作るのではなく、シンガポールらしい味を残したいという思って、新しい切り口で提案している。お任せのいくつかは、シンガポール人が良く行く旅先をイメージしたものもあるけれど、多くはシンガポールの伝統の味が息づいた料理。だから、僕の料理は、懐かしさと新しさが共存しているんだ。
それが、今のシンガポールの人や時代を反映しているから、多くの人に受けているんじゃないかと思うよ。」
(僕はプラナカンではないけれど、シンガポールで生まれてシンガポールで育ったた3代目にもなれば、
プラナカンと同じような味覚を持っているといえるのではないかな。)
シンガポールを代表するシェフとして、国際的な食のイベントにも招待されるWillinシェフ。
古き良き時代のシンガポールを、今に伝える新しい試みがきょうも続いています。
筆者
シンガポール特派員
仲山今日子
趣味は海外秘境旅行、現在約50カ国更新中。
【記載内容について】
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