海外旅行・観光情報の「地球の歩き方」TOP > 特派員ブログ > ヨーロッパ  > ドイツ/シュタインバッハ特派員ブログ

ドイツ/シュタインバッハ特派員ブログ 増井 尚美

ドイツ・シュタインバッハ特派員が現地からヨーロッパ地域に至るまで、旅行・観光・食事などの現地最新情報をお伝えします。


メール プリント もっと見る

案外知られていないけど、ドイツで食べるハンバーガーは美味しい!
ファーストフードのバーガーとは一線を画した各お店がそれぞれ趣向を凝らした自家製バーガーを出しています。
今日はそんな自家製ハンバーガー天国のドイツについてご紹介したいと思います。
Hamburger 3.JPG

ドイツのお食事処、こんな風にカテゴリーができます。
1. こてこてドイツ料理屋さん。(伝統的なドイツ料理を出すレストラン)
2. ブラオハウス”Brauhaus”: ビール醸造所が経営するレストラン
3. クナイペ”Kneipe”と呼ばれるメインはビールを楽しむお店。 ビール以外のお酒やノンアルコールも扱っていて食事も楽しめます。
4. カフェバー”Cafébar”: クナイペと区別するのは難しいですが、こちらもあらゆるアルコールが楽しめ、食事は朝食”Frühstück(フリューシュトュック)”からランチが楽しめます。
5. インビス”Imbis”/ファーストフード: テイクアウトもその場で食べることもできるファーストフード店
6. ドイツ料理以外のレストラン:イタリアン、中華、日本食、インド料理、タイ料理、韓国料理などなど

こてこてドイツ料理屋さんや、伝統的な各国料理を出すレストランにはあまりありませんが、カフェ、カフェバー、多国籍料理を出すレストランなどで、自家製ハンバーガーがメニューにラインアップされていることが多いです。
Hamburger 2.JPG

メインのパティもどのようなひき肉でどのくらいの厚みにするか? 野菜は何を使うか? チーズを入れるか入れないか? ソースはどうするかはもちろんのこと、バンズもお店によってそれぞれです。
Hamburger 1.JPG

写真1:
シュタインバッハの近くの町Bad Homburg(バート・ホンブルク)にあるブラウハウスの自家製バーガーは、肉厚の手作り感たっぷりのパティにさらにベーコンプラス。
サニーレタスもたっぷりでかなり大きく口の小さな私には一口ではとても無理。 でも、かなり美味♪
写真2:
こちらもバート・ホンブルクの町中にあるカフェバーで出している自家製バーガー。
お野菜たっぷりでカフェらしくお洒落なプレートです。
写真3:
こちらは、以前ご紹介したブラウンフェルスと言う城下町にあるブラオハウス、ブラオハウス・オーバーミューレの自家製バーガー。
ブラオハスでもバーガーを出しているところは意外と多いので、ビールと共に楽しむことが可能です。
(過去記事”ブラオハウスで付加価値アップ~”Schloss Braunfels(ブラウンフェルス城)~”はこちら→)

ドイツ料理も美味しいですが、旅行中ずっと食べ続けるのはキツイですよネ。 そして食べ慣れていない味、何を食べれば良いのか迷う…そんな時に是非お試し頂きたいのが、ハンバーガーです。
とは言うものの、ガッツリ系であることに違いはない上、大きさも半端ないので覚悟が必要です。

覚悟は必要ですが、まず失敗がないのが、日本人の食べ慣れているハンバーガー。ジャガイモの美味しい国ドイツですから、一緒に添えられるフライドポテトも抜群、各お店の自家製バーガーもポテトも共にドイツのビールに良く合います。 
食べるものに悩んだら自家製バーガーを試してみましょう。


2018年2月19日

観光地再発見の旅⑬-8
1冊の本”「ホロコーストの記憶」を歩く-過去を見つめ未来へ向かう旅ガイド(石岡史子・岡裕人 著)”がきっかけで、今までとはちょっと違ったベルリンに出会った今回の旅、前回に引き続きそんなベルリンの町歩きレポート第2弾です。

空っぽの図書館/ベーベル広場

Bebel Platz 3.JPG

詩人ハインリッヒ・ハイネが戯曲『アルマンゾル”Almansor”』に残した警告の言葉
“Das war ein Vorspiel nur, dort wo man Bücher verbrennt, verbrennt man am Ende auch Menschen.”
ベーベル広場には、詩人ハイネのこの言葉を記したプレートが埋められています。

「書物が焼かれるところでは、いずれ人間も焼かれるようになる」
(前略)
ハイネは戯曲『アルマンゾル』(1823年)の中で「これは序章に過ぎない。書物が焼かれるところでは、いずれ人間も焼かれるようになる」と書き残した。その後を予言した言葉が、ベルリン焚書の警告板に刻まれている。

Bebel Platz 2.JPG

ブランデンブルク門から東へ伸びる大通りウンターデンリンデン”Unter den Linden”のベルリン大聖堂(写真中央奥緑のドーム)の手前に大きな広場(写真右)があります。



地図で見てみると位置関係が良く分かります。
私たちが滞在していたホテル、ラディソンブルーホテルから真っ直ぐブランデンブルク門へ向かって歩いて行くと、シュプレー川を渡ってすぐ、右手に大聖堂が、さらに進むと、左手に大きなローマ・ギリシャ風ファサードの建物が見えてきます。 この建物が国立歌劇場、オペラハウスです。
国立歌劇場のすぐ横には、三方を大きな建物に囲まれた広々とした空間がぽっかりと空いています。 そこがベーベル広場”Bebelplatz(ベーベルプラッツ)”です。
Bebel Platz 1.JPG



空っぽの図書館(焚書追悼記念碑)
“Bibliothek(Denkmal zur Erinnerung an die Bücherverbrennung)”

1933年5月10日学生たちによる「非ドイツ精神に反対する行動」の集大成として、ドイツ精神にそぐわないとされた書籍・書物がここベーベル広場の中央で焼き払われた。 空っぽの図書館はその焚書事件を象徴し、忘れないためのもの。

ベーベル広場のどこに、過去の負の記憶を忘れないための記念碑があるかというのは、広場をちょっと眺めていればすぐに分かります。 だだっ広い広場の一箇所に人が集まって下を向いて何かを見つめている様子。 
手に折りたたみ傘などの目印を持った欧米のツアーガイドさんが説明をしています。
皆、ガラス越しに本の入っていない空っぽの本棚(写真上)を見ながらガイドさんの説明に耳を傾けているのです。

私たちが訪れた日は小雨の降るどんよりとした日だったので、ハイネの言葉を記したプレートやこの空っぽの図書館が、ことさら悲しげに訴えかけてくるようでした。

記憶の現場/バイエルン地区(バイエルン広場)

今回の旅でどうしても行ってみたかったところが、グルーネヴァルト駅に次いでここバイエルン広場でした。
本で紹介されていた、市民の働きかけで生まれたという「記憶の現場」プロジェクトをこの目で見てみたかったからです。
Bayerlischer Platz 1.JPG
Uバーンのバイエルン広場”Bayerischer Platz(バイエリッシャー・プラッツ)”(U7とU4)が最寄り駅になります。

前述したプロジェクトにより、バイエルン地区の通りのあちこちに過去の記憶を忘れないための警告の看板が設置されています。 警告の看板と言ってもドイツ語を知らなければ、「何だろうこれ?」と不思議に思うくらいで通り過ぎてしまう小さな看板です。
Bayerlischer Platz 3.jpg

この一見「なんでこんなところにステッキの絵?」と思うだけで通り過ぎてしまいそうな看板なのですが、その1つ1つの絵の裏側には、ユダヤ人の生活を取り締まる反ユダヤ法の1つが書かれています。
「混雑時にはユダヤ人は公共の交通機関を利用してはならない。 ユダヤ人は他の乗客が立っていない時以外は座ってはならない。」(1941年9月18日)

もう少しクローズアップしてみてみましょう。
Bayerlischer Platz 4.JPG

緑のバックにベンチの絵。
公園にあるもので、日常生活の中でよく目にするものですね。
「こんなもの、なぜわざわざ看板に描かれてるんだろう?」と不思議に思います。

Bayerlischer Platz 7.JPG

裏側には、当時ユダヤ人の生活を取り締まっていた反ユダヤ法の1つが。
「ユダヤ人はバイエルン広場の黄色い印のついたベンチのみを使用できる。」
(1939年)

製作者のフリーダー・シュノック氏は、「平穏な住宅街に溶け込ませると同時に、看板の表裏のアンバランスによって、見る人の心により印象深く、当時の記憶を刻みつけようとした」と語る。そして、ユダヤ人への差別や迫害は日常生活の中で始まっていったことを伝えようとした。

本に掲載されていた猫の看板を探したのですが、結局見つけることができませんでした。 本当にたくさんの看板が至るところにある証拠ですね。 看板があるということは結局それだけ多くの法令があったということですから恐ろしくなります。 Bayerlischer Platz 5.JPG





バイエルン広場に、看板が置かれた場所が赤丸で記された看板マップがあります。 本当にその赤丸の多さに驚かされます。 どこにその看板があるかは記されていないので、あまりの多さに目的の猫の看板を探し回ることを断念したくらいです。

ちょうど二手に分かれて歩き回っていたら、私はこんな看板に出会いました。
Bayerlischer Platz 2.jpg

Y字型のハバーラント通り”Haberlandstr.(ハバーラントシュトラッセ)”にあった看板です。
「通り名にユダヤ人の名前を使用してはならない。バイエルン地区の創設者に由来するハバーラント通りは、トロイヒトリンガー通り”TreuchtlingerStraße”とネルドリンガー通り”NördlingerStraße”に改名する。」
とあります。

この通りには、アルバート・アインシュタイン”Albert Einstein”がアメリカへ亡命する直前まで住んでいました。
たまたまこの道の看板を見つけてこちらの案内板を見つけた訳ですが、意識していなかったので気付かないで通り過ぎてしまっていたかもしれません。
Bayerlischer Platz 6.JPG



1917年~1932年の間、当時のハバーラント通り5番(現8番)に、有名なアインシュタインが住んでいました。
アインシュタインは1879年3月14日にウルムに生まれ、1955年4月18日にアメリカ、ニュージャージー州、プリンストンで没しました。
ここに住んでいた当時、チャーリー・チャップリンやフランツ・カフカなどの著名人もゲストとしてここを訪れていると書かれています。
1932年12月に旅行で渡米したアインシュタインですが、その直後1933年1月30日からナチ党の勢力が増して行きます。 アインシュタインは、それ以来2度とドイツに戻ることは無かったということです。

生活の中に溶け込んでいる看板ですが、実際に足を運んでみるとその多さからもやはり異質な感じです。 そしてドイツ語が少しわかると、裏側の異様な文面に驚きます。 こういう形で、恐ろしく忌まわしい法令への注意を喚起しているということに感心しました。
「未来へ負の記憶を残す形としてこういう方法もあるのだなぁ~」と、しかも住民からのの強い要望で実現したプロジェクトと聞くと、「こういうところドイツ人はスゴイなぁ~」と思います。

皆様もベルリンを訪れる機会があれば、実際に足を運んで感じてみませんか?


2018年2月 4日

観光地再発見の旅⑬-7
昨年1冊の本を手にすることになりました。
“「ホロコーストの記憶」を歩く-過去をみつめ未来へ向かう旅ガイド(石岡史子・岡裕人著)”という本です。
年末年始は4泊5日ベルリンの旅と決めた時点で、この本で紹介されている場所へ行ってみようと家族で話していました。

1冊の本がきっかけで、今までとはちょっと違ったベルリンに出会った今回の旅、今回はそんなベルリンの町歩きレポートです。

Sバーン・グルーネヴァルト駅「17番線」

Grunewald 1.JPG

ベルリン郊外にある”Grunewald(グルーネヴァルト)”駅は、ベルリン市内からS7番で行くことが出来ます。 
中央駅”Berlin Hbf(ハオプトバーンホフ)”から15分程、”Zoologischer Garten(ツォーロギッシャー・ガルテン)”駅からは9分程です。
Grunewald 7.jpg
1941年10月から1945年3月までの間、5万人以上ものユダヤ人が、このグルーネヴァルト駅から強制移送されたと言うことです。
そのため、この駅の17番線が追悼記念施設としてドイツ鉄道”Die Deutsche Bahn(ディー・ドイチェ・バーン)”によって公開されています。
Grunewald 2.JPG

駅構内からも17番線へと行くことができますが、駅前の通りが直接17番線と繋がっていますので、外から入ることもできます。
通りのコンクリートの壁には、人型が彫り込まれていています。駅と白いコンクリートの壁の間には、5万人以上のユダヤ人犠牲者を追悼する石碑が立てられています。

「人間の生命や尊厳をないがしろにするいかなることにも、勇敢に躊躇(ちゅうちょ)なく立ち向かわなければならない」と警告する碑が立っている。

Grunewald 5.JPG

17番線のプラットホームには、その1つ1つに「いつ、何人のユダヤ人がどこへ」強制移送されたかが記された鉄のプレートがびっしりと並べられています。
私たちが訪れた日、その中の1つにお花が供えられていました。
Grunewald 3.JPG


鉄のプレートは、時系列に並んでいます。
最初の1枚目に刻まれていたのは、
18.10.1941/ 1251JUDEN / BERLIN‐LODZ
1941年10月18日/1251名のユダヤ人/ベルリン-ロッヂ

Grunewald 4.JPG


最後の1枚目に刻まれていたのは、
27.3.1945/ 18JUDEN / BERLIN‐THERESIENSTADT
1945年3月27日/18名のユダヤ人/ベルリン-テレジエンシュタット

この中には、目的地にアウシュヴィッツ”AUSCHWITZ”も数多く刻まれています。

1941年10月18日、ベルリンのユダヤ人1,251人を乗せた帝国鉄道の特別列車が、ポーランドのウッチ(ドイツ語でロッヂ)のゲットー(ユダヤ人強制移住区)に向けて、はじめてグルーネヴァルト駅を出発した。
 1942年夏からは、ナチはユダヤ人を殺害目的で、直接アウシュヴィッツのような絶滅収容所に送り込むようになった。


ベルリン・ユダヤ博物館

Juwisch Museum 1.JPG

世界各地にあるユダヤ博物館の中でも、ベルリン・ユダヤ博物館はユニークだ。 バロック建築の「旧館」とメタリックで鋭利なモダン建築の「新館」のミスマッチな外観に目を奪われる。 (中略) ナチにより迫害されたユダヤ人が3つの道、すなわち「亡命」「ホロコースト(絶滅)」「継続(生き残り)」の軸を、それぞれ追体験できる。(後略)

本に紹介されていた体験型のユニークな博物館というのに興味を持ち行ってみました。  

駅から住宅街を歩くこと約10分(Uバーン・コッホシュトラーセ駅/または、ハーレッシェス・トアー駅から)、突然開けた通りに重厚な建物が見えてきます。
その脇には本にもある通り、かなり近代的な建造物が見えます。
Juwisch Museum 2.JPG

最近のニュースで注目されていることもあるのか、私たちが訪れた時にはかなりの長蛇の列が出来ていました。
それでも30分くらいで入れたので、待っても大したことはありませんでした。

博物館内の写真撮影は可能(フラッシュは不可)でしたが、ここは是非実体験して頂きたいので写真の掲載を控えます。

ホロコーストの塔”Der Holocaust-Turm(デア・ホロコウスト・トゥルム)”の部屋に入ると、物凄く遠い一筋の外の明かりだけが見える真っ暗闇に立たされます。 ぞっとする感覚が身に迫ってきます。

ヴォイズの空間”Die Voids(ディー・ヴォイズ)”も、やはり自然光だけの細長い部屋ですが、継続の道にあるここは、先程の真っ暗闇に一筋の明かりとは異なりやや明るい空間です。
でも足元には、人の悲しい顔型の鉄板が敷き詰められていてその上を歩くのは決して心地よいものではありません。

私たちが訪れた時は、亡命の道の亡命の庭”Der Garten des Exils(デア・ガルテン・エクシールス)”はクローズで入れませんでした。

いずれも今までには出会ったことの無い感覚で、私にとっては、こんな体験型のミュージアムは初めてで大変興味深いものでした。

Sバーン/Uバーン・フリードリッヒシュトラーセ駅

ベルリン市内の中心に位置し、Sバーン・Uバーンの各線が集結するターミナル駅 “Friedrichstraße(フリードリッヒシュトラーセ)”にも、過去を忘れないためのブロンズ像があります。
U-Friedrichstr. 3.JPG

生への列車 死への列車”Züge in das Leben - Züge in den Tod(ツェーゲ・イン・ダス・レーベン-ツェーゲ・イン・デン・トート)と名付けられたこのブロンズ像ですが、眺めていると身につまされる思いがこみ上げてきます。
U-Friedrichstr. 1.jpg

このブロンズ像は生死を分けた子供たちの運命を象徴しています。
亡命した子供たちと亡命が叶わず収容所へ強制移送されていく子供たち。
U-Friedrichstr. 2.JPG

1938年の帝国ポグロムの夜事件の直後に、イギリス・オランダの救援団体により組織された子供たちをイギリスへ送ろうという救援活動、子供の輸送”Kindertransporte(キンダートランスポルテ)”を記録する記念の像です。
この子供の輸送は、1939年9月初めまで行われ、生後4ケ月から17歳までの約10000人の子供たちが親元を離れイギリスへ送られたということです。

亡命できた子どもたちの運命もそれぞれで、ホストファミリーに迎えられた者はわずかで、下働きをさせられたり、差別を受けたりする者も多く困難な道だったことに変わりは無かった様です。

お母さんが出発時にアイロンをかけ、きれいにたたんで手渡してくれた白いリネンを渡されたままのきれいな状態で保管していたという青年の所持品がユダヤ博物館の亡命の道に展示されていました。 亡命をして命は助かったけれども、二度と母親に会うことができず、リネンを開くことができなかったと説明にあったことを思い出します。

このブロンズ像の作者、彫刻家のフランス・マイスラー”Frank Meisler”自身も、この子供の輸送で、オランダを経由してイギリスへ渡り救助された子供の1人なのだそうです。


2018年2月 1日
2018年1月26日
2018年1月23日
2018年1月21日
2018年1月18日
⇒すべての記事を見る

ドイツ旅行 旅スケジュール

旅行者の作る、新着!旅スケジュールをご紹介します。 ■ドイツの旅行記・口コミ「旅スケ」へ

ヨーロッパ特派員ブログ一覧

アイスランド/レイキャヴィークアイルランド/ゴールウェイイギリス/イーリーイギリス/エディンバライギリス/カーディフイギリス/ギルフォードイギリス/グラスゴーイギリス/ケンブリッジイギリス/コッツウォルズイギリス/ヒースローイギリス/ブリストルイギリス/ベルファストイギリス/ヨークイギリス/ロンドンイギリス/ロンドン2イギリス/ロンドン3イタリア/アンコーナイタリア/アンドリアイタリア/シチリア島イタリア/トリノイタリア/ナポリイタリア/ナポリ2イタリア/パルマイタリア/フィレンツェイタリア/ボローニャイタリア/ミラノイタリア/ミラノ2イタリア/ラ・スペツィアイタリア/ローマウクライナ/オデッサエストニア/タリンオランダ/アイントホーフェンオランダ/アムステルダムオランダ/デンボスオランダ/ライデンオーストリア/ウィーンオーストリア/チロルオーストリア/リンツキプロス/ニコシアギリシャ/アテネクロアチア/コルチュラ島クロアチア/ザグレブクロアチア/ドゥブロヴニクスイス/アッペンツェルスイス/チューリヒスイス/ベルンスウェーデン/ストックホルムスペイン/イビサ島スペイン/バルセロナスペイン/バルセロナ2スペイン/バレンシアスペイン/バレンシア2スペイン/ビトリアスペイン/ビルバオスペイン/マドリッドスペイン/マドリッド2スロヴェニア/リュブリャナチェコ/ブルノチェコ/プラハチェコ/プラハ2デンマーク/コペンハーゲンドイツ/ケルンドイツ/ケルン2ドイツ/シュタインバッハドイツ/デュッセルドルフドイツ/ハノーファードイツ/ハンブルクドイツ/フライブルクドイツ/フランクフルトドイツ/ベルリンドイツ/ボンドイツ/ミュンヘンドイツ/ミュンヘン2ドイツ/ミンデンドイツ/レーゲンスブルクノルウェー/オスロノルウェー/オスロ2ノルウェー/ベルゲンハンガリー/ブダペストフィンランド/トゥルクフィンランド/ヘルシンキフィンランド/レヴィ・サーリセルカフランス/アヌシーフランス/カンヌフランス/トゥルコアンフランス/ナルボンヌフランス/パリフランス/パリ2フランス/ボルドーフランス/マルセイユフランス/リヨンブルガリア/ソフィアブルガリア/プレヴェンベルギー/ゲントベルギー/ブリュッセルポルトガル/ポルトポルトガル/リスボンマケドニア/スコピエマルタ/マルタ島モンテネグロ/ポドゴリツァヨーロッパ/バルカンラトヴィア/リーガルクセンブルク/ルクセンブルクルーマニア/ブカレストロシア/モスクワ

ヨーロッパにもどる

  • 特派員プロフィール
  • シュタインバッハ特派員

    シュタインバッハ特派員
    増井 尚美
    ヨーロッパの街並みや文化、歴史が大好きで、「ヨーロッパに住んでみたい!」と、ずっとヨーロッパ生活に憧れていました。念願かなってドイツに就職先が見つかり、2001年の9月に渡独、そこから私のドイツ生活が始まりました。現在は、“家庭と仕事の両立”を目指し日々奮闘中です。そんなドイツ生活の中から、色々な旬の情報を発信できたらと思っています。 DISQUS ID @disqus_gT480tjXAD

  • リーダーに登録

地球の歩き方Web特派員募集