63. ガイドブックに載っていないタシケント郊外の都市はソビエト建築の宝庫

公開日 : 2022年08月11日
最終更新 :

サローム(こんにちは)!

前回の記事に引き続き、私がタシケントでハマりにハマっているソビエト共産遺産について。町全体で再開発が進み、建築ラッシュ状態のタシケントでは、残念ながら歴史ある建物がどんどん改修・改築されつつあります。その最もたる例がロシア式集合住宅(ロシア語でквартира クバルチーラ)で、よく言えば古きよきレトロな、悪く言えばどんどん老朽化が進んでいる集合住宅があちこちで取り壊され、真新しいマンションに姿を変えています。前記事で紹介した、見応えあるアートが描かれた集合住宅も、いつ姿を消してもおかしくないと言えるでしょう。

しかしながら、地方ではまだまだ古格好いいソビエト建築が健在。特にタシケント郊外、タシケント州の各都市は1930~50年代のソビエト時代前半に設立された近現代産業都市が多く、そのような町では何十年も手が加えられていないような、いかにもソビエトらしい建築物が目に入ります。この記事では私が訪れた、ガイドブックにはまったく載っていないけれどソビエトモダニズム建築がお好きな方にはぜひ訪れてほしいタシケント近郊都市を紹介しましょう。

なおタシケント州は、ウズベキスタンの首都であるタシケント市を取り囲むように広がっている州。タシケント市を東京23区とすれば、タシケント州は多摩地域になるでしょうか。つまりタシケントからこれらの都市へ行くのは、東京から八王子や町田などに行くようなものとイメージできるかもしれません(物凄く雑な例ですが......)。とはいえ東京近郊と違ってバスや乗り合いタクシーを使って行かなければならない町が多く、アクセスの難易度が高い町ばかりですが、ご興味ある方はぜひ日帰り旅行にチャレンジしてみてください。

●チルチク Chirchiq

・公共交通機関のアクセス方法: 地下鉄ブユク・イパク・イューリ駅近くのKFC前から509番マルシュルートカで所要約50分、または地下鉄プーシキン駅近くのサラール鉄道駅から近郊電車で所要約1時間20分

タシケントの北東約30kmに位置する町。タシケント市内も流れるチルチク川の上流にある町で、1930年代この川に水力発電所を建設する際つくられた町です。
この町はバスやマルシュルートカのほか、エレクトリーチカと呼ばれる近郊電車でアクセスすることができます。この電車の車両は数十年前に製造されたソ連製車両で、また風情があるのです。エレクトリーチカについては下記記事もぜひご覧ください。
78. 鉄道ファンにはたまらないタシケント発エレクトリーチカ(近郊電車)に乗って小旅行へ

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ソビエト建築目当てでチルチクに行くなら、ぜひこのエレクトリーチカで行くのがおすすめ。残念ながらチルチク鉄道駅の駅舎は独立後改修された、この国でよく見るガラス張りの建物になっていますが、時代を感じる建物が見事に残っているのがその近くにあるバスターミナル。特にバスターミナル上に掲げられた「ЧИРЧИҚ(キリル文字でチルチクと読む)」の文字は、いかにもソビエトらしいフォントで書かれています。

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市内中心部にはロシア式集合住宅が多数建ち、見事なタイル画が描かれているものもあります。

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このピンク色の集合住宅は、第二次大戦後この地で強制労働させられていた日本人抑留者が建てたもの。ほかにもチルチク市内は日本人抑留者が建設に携わった病院が今なお現役で使われているほか、郊外には日本人墓地もあります。

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●アルマリク Olmaliq(※オルマリクとも表記)

・公共交通機関のアクセス方法: クイリクバザールから陸橋を挟んだ東側の駐車場前から326番マルシュルートカで所要約40分

タシケントの南約60kmに位置する町です。ここは1950年ごろ鉱山都市として設立され、今に至るまで国内最大級の鉱山開発会社であるアルマリク鉱業・冶金コンビナートの企業城下町となっています。余談ですが、サッカー国内リーグの強豪であるAGMKアルマリクはまさにこの会社がチームの母体となっています。
ここもやはりバスターミナルが一見の価値あり。タシケントからマルシュルートカや乗り合いタクシーで来るとターミナル前で下車することになりますが、この堂々としたレンガ造りの建物と正面のタイル画に圧倒されること間違いなし!

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市内中心部の「メタルルグ文化宮殿」もいかにもソビエトらしい建造物

この町にはもうひとつおすすめのスポットが。ここを見つけたのはまったく偶然なのですが、私がこの町でバザールに行こうとグーグルマップで「中央市場(Tsentral'nyy Bazar)」と表示された所へ行ってみたところ、まるで廃墟同然のようになっていたのでした。が、よく見ると何十年も前からこの場にありそうな肉やパン、ハムなどのレトロなイラストと文字。人っ子一人いなかったのも相まって、まさに時空のゆがみに取り残されたような感覚に陥りました。

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あとで地元の方に聞くと、この市場は週に一度の土曜市として使われているとのこと。市民の活気であふれ、この廃墟のようなバザールがよみがえるであろう土曜日にぜひ訪れたいものです。

●ヤンギアバッド Yangiobod

・公共交通機関のアクセス方法: クイリクバザールから陸橋を挟んだ東側の駐車場前から246番マルシュルートカでアングレンへ(所要約1時間半)、さらにマルシュルートカに乗り換え(所要約20分)

以前このブログで紹介したヤンギアバッドバザール(46. 「人間以外何でも売ってる」巨大のみの市、ヤンギアバッドバザール探検!)と同名ですが全く別の場所にあり、前者はカオスな巨大バザールですが、こちらはタシケントから南東70km、山の谷間にある小さな田舎町。

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町の入口にあるザ・レトロなカントリーサイン

人口は1000人もいなさそうな、さびれた温泉街を思わせる静かな町ですが、かつてはかなり栄えていたはず。というのもこの町は1940年代にウラン採掘のための町として設立され、最盛期の人口は1万人を超えていたとのこと。当時はスターリン政権時にこの地に強制移住させられたドイツ系住民が多く住んでいたとされ、設立間もない頃に建てられたであろうヨーロッパの洋館を思わせるような低層集合住宅が今も多く残っています。

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しかしウラン鉱山が閉鎖されたことによりこの町は人口が減り続け、今はひっそりとソビエト建築が残る寂しげな町になっています。タシケントよりはるかに標高が高いこの町は現在避暑地やスポーツ合宿地として有名になっており、私が行った夏の日はボクシング選手たちが合宿に訪れていました。

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ソ連時代に建てられた文化センター前で練習に興じるボクシング選手

●クラスノゴルスク Krasnogorsk

・公共交通機関のアクセス方法: クイリクバザールから陸橋を挟んだ東側の駐車場前から415番バスまたはマルシュルートカで所要1時間前後

いかにもロシアの地方都市っぽい地名ですが、れっきとしたウズベキスタンの町。正式にはキジルトグ(どちらも「赤い山」という意味)というウズベク語地名に改称されたようですが、ほとんどの住民はまだクラスノゴルスクの名で呼んでいるようです......。
タシケントから南東に40kmの距離にあるこの町はヤンギアバッドと同じくウラン鉱山の開発のためにつくられた町で、設立されたのは1953年。ただやはりその鉱山はすでに閉鎖されています。小さい町ながらソビエト建築が町じゅうゴロゴロしている、という情報しか知らず訪れたのですが、タシケントからタクシーをチャーターして行き町の中心で降りた途端、「1957年10月」とロシア語で書かれた激シブな集合住宅の壁画が目に飛び込んできました。その瞬間、ああこれこそ自分が行きたかった町だ......と確信。

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さらに歩くと、ソビエト時代にタイムスリップしたかのような絵柄が描かれた集合住宅がどんどん出現。

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勝利という意味のПОБЕДА(ポベーダ)の文字が旗のようになっているデザイン!

集合住宅以外にも、町を歩いているだけで思わずカメラを向けてしまういかにもソビエトな風景が次々と目に飛び込んできます。
こちらは、ソビエト版ピノキオといわれるアニメ『金の鍵 ブラチーノの冒険』の主人公、ブラチーノのモザイク画。

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廃墟状態になっているバスターミナルも見応えあり。波打ったような建物の形が独特です。

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そして私が行った日は偶然、町の中心部にある音楽学校でコンサートが行われていました。文化・芸術活動に力を入れていたソ連政府は、多くの町に文化宮殿や音楽学校を設立したのです。特にここクラスノゴルスクはモスクワから遠く離れた小さな町でありながら、重要な鉱山都市であったことから中央政府との関わりが深かった町。その町の音楽学校があり、しかも今なお活動しているということは、ここに多く残るソビエト建築とともに、この町がかつて産業都市として栄えていたという事実を伝えてくれます。

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以上、定番観光地ではなく外国人旅行者はほとんど訪れないながら、その筋のファンやマニアの方には猛烈におすすめしたいソビエト建築や共産遺産が見られる町4つを紹介しました。ただ他にも後世まで残したい貴重なソビエト建築が多く残っている町はこの国に多いはずで、まだまだ興味は尽きません。

なお私の個人ブログでは、この記事で紹介できなかったタシケント州諸都市の詳しい移動・観光情報などを載せています。ご興味を持たれた方はぜひあわせてご覧ください。
タシケント州(チルチク/チムガン/チャルヴァク湖/各地の日本人墓地etc)情報! - takumiの世界ふらふら街歩き

それではコルシュグンチャ・ハイル(また会う日まで)!


参考ウェブサイト:
https://uzbloknot.com/
https://www.gazeta.uz/oz/

筆者

ウズベキスタン特派員

伊藤 卓巳

根っからのスタン系大好き人間です。まだまだ知られていないウズベキスタンの魅力や情報を、サマルカンドより愛をこめてお伝えします!

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