No.6【コラム】1914-1944-2014:その壱

公開日 : 2014年09月05日
最終更新 :
筆者 : 冠 ゆき

 みなさん、こんにちは。トゥルコアン特派員の冠ゆきです。

ブログでは基本的に「情報提供」を心がけていますが、そこからもう一歩踏み込んだものを、【コラム】と名づけて不定期に掲載していこうと思います。

 第一弾は、特に今年、いたるところで耳にするこの話題から。

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 まずは質問。フランス語でGrande guerre(大戦争)というと、どの戦争のことを指すだろうか。

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答えの前に、題名の1914-1944-2014を見てほしい。

 今年2014年はフランスにとって回顧の年である。1914年から100年、1944年から70年を数えるからだ。

 では、これらの年には何があったか。

 1914年は、第一次世界大戦が勃発した年である。日本人にとっては、遠く思えがちな第一次世界大戦だが、実は、フランスでは、いまだに大きな影を落としている。

 というのも、最終的に戦勝国となったものの、自国が戦場化したフランスの被害は甚大なものだったからだ。戦死者の数は、学説により幅があるものの、民間の戦没者も合わせると160万人を越えるとされる。

各地で繰り広げられた戦いの様子は凄惨を極めた。一例を挙げるなら、1914年8月22日。この日は、フランス史上最多の戦死者を出した日として記録されている。その数、なんと2万7千。

またこの大戦により破壊され、再建されないまま文字通り消滅してしまった村も十や二十を下らない。

 そう、今でもフランスでは、Grande guerre(大戦)というと、第一次世界大戦を指すのが普通なのだ。

 フランスを旅した方は、田舎であれ、都会であれ、記念碑や慰霊碑を一度は目にされたのではなかろうか。

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フランスには自治体が36681あるが、その95%が少なくとも一つ慰霊碑を所有している。「○○(町の名前)の子供たちへ」「フランスのために亡くなった死者へ」などと書かれた慰霊碑には、戦死者の名前が一人一人刻まれているのが常である。

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1920年から25年の間に建立された慰霊碑が3万を数えることからも分かるように、その多くは第一次世界大戦に関するものである。このことからも、この「大戦」がフランスに残した傷跡の深さがうかがい知れるであろう

 また、フランス語には「poilu(ポワリュ)」という単語があるが、これはもっぱら第一次世界大戦の兵士を指して用いられる。最後のフランス兵ポワリュは2008年に亡くなったが、その後もこの言葉は残り、いまだに人口に膾炙して用いられる。これもまた、フランス人にとっての「大戦」の重みを表すように思える。

そんな第一次世界大戦勃発から100年にあたる今年は、8月3日(ドイツによるフランスへの宣戦布告日)に始まり、9月5-12日(仏独合わせて50万人近くの死傷者を出したマルヌの戦い)、11月11日(休戦協定締結日)などに合わせて政府による記念式典が予定されている。

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それ以外にも、市町村単位での小さな記念行事はあちこちで行われるはずだ。もしその場に行き合わせたら、是非静かに見守り、今もフランス人の心に重くのしかかる100年前の大戦で亡くなった魂へと、思いを馳せてみて欲しい。

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続きのコラムは下からご覧になれます。

筆者

フランス特派員

冠 ゆき

1994年より海外生活。これでに訪れた国は約40ヵ国。フランスと世界のあれこれを切り取り日本に紹介しています。

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