No.20【コラム】ナチスドイツが夢のあと:「大西洋の壁」
みなさん、こんにちは。トゥルコアン特派員の冠ゆきです。
基本的に「情報提供」を心がけているこのブログですが、そこからもう一歩踏み込んだものを、【コラム】と名づけて不定期に掲載しています。四本目の今回は、芭蕉をもじって「夢の跡」の話。どうぞ聞いてください。
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フランスの田舎、特に大西洋沿いの田畑や森の中を歩いていると、その場に似つかわしくないコンクリートの塊に出くわすことがある。
いずれも寒々と味気なく、見ているだけで、重苦しさに押しつぶされるような気がする代物だ。
これらは、ブンケル(英語bunkerのフランス語読み)もしくはブロコス(ドイツ語のblockhausフランス語読み)と呼ばれており、大抵は、無用の長物然と放置されたままになっている。
実は、これらは、第二次世界大戦の置き土産なのだ。
1939年ドイツ軍のポーランド侵攻から始まった第二次世界大戦。翌年には、ドイツは西への侵攻を開始し、ベネルクスを制覇したのち、瞬く間にフランス・パリを占領した。
フランスの穏健派はヴィシーに政府機能を移し、南半分の「自由地域」の統治を始めたが、これは傀儡政権でしかなかった。
南の白い部分が「自由地域」
一方、ロンドンに亡命した抗戦派の代表が、軍人であるシャルルドゴールで、ドイツ占領の続く中、フランス国内に残るレジスタンス(対ドイツ抵抗運動)を鼓舞また支援した。
シャルルドゴールがフランス国民に向けた1940年のメッセージ。
「フランスは一つの戦いに敗れたが、戦争に敗れたわけではない」で始まる。
そして四年後、丁度70年前の1944年6月6日、連合軍がノルマンディー上陸を決行し、それを契機として、8月末のパリ解放に至ったことについては、No.9【コラム】にも書いたとおりである。
連合軍ノルマンディー上陸の様子
しかし、ドイツ軍も、連合軍の上陸を、ただ手をこまねいて見ていたわけではなかった。
彼らの政策のうち、ヒトラーが強力に推進したものに「大西洋の壁」がある。北はノルウェーから、南はフランス・スペイン国境まで、その広大な海岸線を防御するため、要所要所に要塞やトーチカ、砲台を建て、地雷を仕掛けるというのがその内容であった。
実際、フランスの海岸線地帯を歩けば、そこここに、トーチカを目にすることが出来る。その性質上、外からは分かりづらいように建てられているものがほとんどだが、近づけば、誰しも必ず、その規模に驚くに違いない。
ノルマンディー地方カニジー山
パドカレ地方海岸沿い
映画『史上最大の作戦』で最も印象的な場面の一つに、いつも通りに見える静かな朝、見張りのトーチカから海岸線に目を向けたドイツ兵が、水平線に迫り来る大軍を発見するシーンがある。
この場面が撮られたトーチカは、ノルマンディーのロングシュルメールに今も残っている。
中から見た景色
オマハビーチとゴールドビーチの間にあたる砂浜からぐっと登った場所に位置するこの見張り台の後方には、砲座のある堡塁が四基並んでいる。
今では、周りは一面の小麦畑で、季節ともなれば、太陽に金色の穂を光らせる。そんな中に囲いもなく、巨大な堡塁が腰を据えているのは、なんともシュールレアリストな光景である。
ノルマンディーよりずっと北のノール・パドカレー地方にも、多くのトーチカが残っている。
射程距離42キロメートル。海の向こうのドーヴァーにも余裕で届く大砲を備えていたのは、グリネ岬近くのトート砲座である。4基あった内の1基は、今は大西洋の壁博物館として用いられている。
Musée du Mur de l'Atlantique Batterie Todt
住所:62179 Audinghen - Cap Gris Nez
開館時間:4月,5月,6月,9月,10月:10 :00-18 :00、2月,3月,11月:14 :00-17 :30、7月,8月 :10 :00-19 :00
休館期間:11/12-2/21
入館料:大人8.5ユーロ,子供5ユーロ
この砲座の名前は、土木技術者であったフリッツ・トートにちなんだものだ。トートは、ナチスドイツで軍需大臣まで極めた人で、大西洋の壁の建設を手がけたのも、彼の率いるトート機関であった。
しかし、トート自身は、この戦争には反対であったと言われる。
戦争反対者の手による戦闘施設。それは、小麦畑のトーチカと同じくらい非現実的で、また同時に、禍々しい現実を思い起こさせるものではなかろうか。
計画では、大西洋の壁は、1100万トンのコンクリートと100万トンの鋼鉄を材料に、45万人を動員し、建設されることになっていた。しかしながら、実際には、完成されぬままとなった。
フランスで、思いもかけない時に思いもかけない場所で、ブロコスに遭遇する度、見てはならないものを見たような気がして、つい狼狽してしまうのだが、それは、もしかしたら、「ナチスドイツの夢」の片鱗を盗み見てしまったような、錯覚を起こしているのかもしれない。
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筆者
フランス特派員
冠 ゆき
1994年より海外生活。これでに訪れた国は約40ヵ国。フランスと世界のあれこれを切り取り日本に紹介しています。
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