No.30【コラム】トゥルコアンがドイツだったころを体現する博物館

公開日 : 2014年11月09日
最終更新 :
筆者 : 冠 ゆき

 フランス・ノール県の中心であるリールからトゥルコアンへ伸びる大通りは、リールではレピュブリック通りと呼ばれている。途中で二手に分かれ、右側はルーベ、左側はトゥルコアンへとまっすぐに伸びていく。ルーベへ延びる道はフランドル通り。トゥルコアン側は、マルヌ通りと名を変えて、マルカンバロル、ワスカル、ムーヴォーを経て、トゥルコアンに届くあたりはカルノ通りと呼ばれる。

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 この、リールからトゥルコアンとルーベへ延びる通りは「グラン・ブールヴァール(大通り)」と呼ばれ、1909年に作られたもので、幅が50メートルもあるものだ。最初から計画されてトラムの線路が二本ずつ敷かれていた。この計画に携わった技師の名前を取って、当時のトラムはモンジーと呼ばれていた。

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開通当時走っていたモンジー

 このグラン・ブールヴァールには、高い木が並ぶ。トゥルコアンからリールへは、トラム、地下鉄、バスといろいろ交通手段はあるが、このグラン・ブールヴァールの景色を見ながら移動できるトラムが一番心地よく思われる。今では、木陰を走る自転車専用のルートも作られ、朝晩ジョギングやサイクリングに親しむ人々の姿が見られる。

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 グラン・ブールヴァールの両脇に並ぶ家は、特徴のある建築物が多く数えられる。大きな屋敷も珍しくなく、それを眺めるだけでも目の保養になる。

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 No.29 で取り上げた1944年6月5日博物館は、このグラン・ブールヴァール沿いに建っている。

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 1940年にフランス北部を占領したドイツ軍。その第15部隊は、トゥルコアンに「禁止地域」を設け、このグラン・ブールヴァールの屋敷もいくつか徴発された。1942年9月に始まった大掛かりな工事は、一年足らずのうちに、コンクリートの塊から成るブンケルを13も生み出した。その一つ、司令部が置かれたのが、現在1944年6月5日博物館となっているブンケルである。

点線で囲まれた地域が、第15部隊の駐軍地帯。左斜めにAv.de la Marneとあるのがグラン・ブールヴァール。博物館となっているブンケルは9番。

 このブンケルは、全身鉄筋コンクリート製で、サイズは長さ32メートル、横幅16メートル。外壁の厚さは2メートル、加えて内壁の厚さ80センチメートル。目立たぬよう、外壁を、この地方特有の赤レンガで覆ってある。天井も2.5メートルの分厚さがあり、総重量は6700トン。

見取り図

 出入り口は兵士用と将校用と二箇所あり、どちらも、内から銃口が向けられていた。異常なほど毒ガスを警戒していたドイツ軍は、どちらの入り口にも、内部に入る前に服ごとシャワーを浴びるように設備を作っていた。

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内側から銃口が向けられていた入口の監視窓

 内部は、長い廊下の左右に小さな部屋が並び、まるで蟻の巣のようである。ところどころに分厚い扉が置かれ、息が詰まるような小部屋が並んでいた。

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ブンケル内部最長の通路(見取り図の9番にあたる)

 前稿で書いたように、ここには、大掛かりな電波受信施設があった。同じような施設は、第7部隊のいたハーグ(現オランダ)にも設置されていたが、こちらは、1944年5月の爆撃により破壊されたところであったので、1944年6月5日21時15分のヴェルレーヌの詩を聞いたのは、トゥルコアンの第15部隊だけであった。

1944年6月5日博物館

《住所》:4 bis, Avenue de la Marne, 59200 Tourcoing

《開館日と時間》

毎月第一日曜と第三日曜:9:00-12:00, 14:00-18:00

《入館料》

大人:5ユーロ、10-15歳:3ユーロ

10歳未満:無料

《見学に必要な時間》1時間半

 トゥルコアンの中でも、富裕層が住んでいたこのグラン・ブールヴァールに、ブンケルが13も建てられた光景はさぞかし異様だったに違いない。実は、博物館の周りでは、美しい建築物に囲まれて、場違いなブンケルがびくともせずに腰を落ち着けているのに、今でも出くわすことができる。

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 「この場所が歴史の中心だった瞬間が、確かにあった」という場所に立つと、何かしら鞭の真摯なしなりのようなものを身の内に感じるのは何故だろうか。

いろいろな時代、いろいろな人々が、様々な思惑を抱きながら往来したであろうこのグラン・ブールヴァール。今、そこを通りながら、現代の私は、そんなことを考えている。

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今までのコラムはこちらからご覧いただけます。2014年という節目であるため、今のところ、戦争物が続いてしまっています。ひと段落つきましたら、他のことも書く予定ですので、もう少しお付き合いください。

筆者

フランス特派員

冠 ゆき

1994年より海外生活。これでに訪れた国は約40ヵ国。フランスと世界のあれこれを切り取り日本に紹介しています。

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