No.176今なおフランスのトラウマ?:ナポレオン最後の戦いinワーテルローから200年
とかく戦闘の名前というものは、勝利軍のほうが記憶に残したがるものです。
パリの駅の一つはオーステルリッツ駅と名づけられていますが、オーステルリッツは、ナポレオンが1805年ロシア・オーストリア連合軍を破った現チェコ領のアウステルリッツのフランス語読みです。
逆にロンドンにあるのは、ウォータールー駅。ウォータールーはフランス語読みだと、ワーテルロー。1815年英蘭連合軍とプロイセン軍が、ナポレオン率いるフランス軍を破った戦いが、ワーテルローの戦いでした。
このワーテルローの戦いは、ナポレオン最後の戦いとも呼ばれています。島流しとなっていたエルバ島から返り咲いたナポレオン・ボナパルトも、この戦いに敗れ、とうとう歴史の表舞台からその姿を消すのです。
ワーテルローは、ブリュッセルの南東に位置し、戦場となった場所は、ライオン像の立つ緑の野の広がる丘として残っています。
ワーテルローの戦いは、上記の通り今から丁度200年前の6月18日のことでした。
今年は、この200年を記念して、ベルギーでは戦いの場面を再現するイベントが、今月18-21日の四日間、予定されています。残念ながらこちらのイベントは現在すべて満席となっています。
これに先立ち、ワーテルローの町では、レゴ30万ピースを使い、当時の様子を再現して展示しています。こちらは、7月31日まで(火曜―日曜の14時―18時)で、場所は、Ecuries de Waterloo(ワーテルロー厩舎), Chaussée de Bruxelles 308。
ところで、もうすぐ200年が経つというのに、このワーテルローの戦いは、今でもフランス人にとっては屈辱の出来事のようです。
ユーロスター開通の折には、ウォータールー駅の駅名を変更して欲しいとフランスは何度かイギリスに要請したことがニュースとなりました。
また、今回、ワーテルローの戦い200年を記念して、ベルギーでは、2ユーロコイン製造の案が出されましたが、欧州連合会合で、フランスの支持が得られず、この案は流れてしまったそうです。
仕方なく、ベルギーが作ったのは通貨としては使えない「記念硬貨」。2.5ユーロ硬貨10万枚と10ユーロの銀貨1万枚を製造しました。それぞれお値段は6ユーロと42ユーロ。ベルギー王立硬貨製造院のサイトでのみ購入可能となっています。
硬貨の写真はこちらからもご覧になれます。
なお、ベルギーの首都ブリュッセル中央駅からワーテルローまでは電車で30分程度です。イベントの時期を外して、一度脚を運んでみるのもいいかもしれませんね。
(冠ゆき)
筆者
フランス特派員
冠 ゆき
1994年より海外生活。これでに訪れた国は約40ヵ国。フランスと世界のあれこれを切り取り日本に紹介しています。
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