No.284 仏北部クリスマスの停戦を記念する友好碑が落成

公開日 : 2015年12月19日
最終更新 :
筆者 : 冠 ゆき

もう100年も前、第一次世界大戦の最中に、戦闘の前線で、"クリスマスの停戦"が繰り広げられた話を、去年No.61に書きました。

この出来事については、2005年に『Joyeux Noel』(邦題:戦場のアリア)という映画がつくられていますから、聞き覚えのある方もいらっしゃることでしょう。

それは、戦いが始まって5カ月足らず、すでにフランス・ベルギー・英国の西側は100万人以上の戦死者を出し、対するドイツも75万人の戦死者を数えていた1914年のクリスマスのことでした。

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第一次世界大戦戦死者の墓

今のベルギー近くのイープルで、クリスマスの歌を歌い始めたドイツ軍。そうして、敵味方を越えて、プレゼント交換やサッカー試合までしたといいます。

オフィシャルなものではありませんでしたから、将校達は、同じことが起こらないように目を光らせていたそうですが、1915年も同じように "クリスマスの停戦" 現象が見られた地域がありました。その一つが、Arras(アラス)近郊のNeuville-Saint-Vaast(ヌーヴィル・サン・ヴァースト)です。

当時フランス軍で伍長を務めていたLouis Barthas氏は、日誌の中に、いつかこの光景を記念する碑を見たいものだと記しています。

そのバルタ伍長の夢が、かなったのが今週木曜12/17。ヌーヴィル・サン・ヴァーストの「友好の碑」は、オランダ大統領により落成されました。傍らには、先週末の選挙で選ばれたノール・パドカレー・ピカルディ新地方のベルトラン新地方議会長。異なる政党に属する二人の「友好」のあかしともなった象徴的な儀式となりました。

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ヌーヴィル・サン・ヴァースト近く、ヴィミーの記念碑

この碑の制作についてのドキュメンタリー予告版はこちらのサイトでご覧になれます。上記映画『戦場のアリア』を制作したクリスチァン・カリオン監督も出てきます。

100年後の私たち。少しは前に進めているのでしょうか。

(冠ゆき)

筆者

フランス特派員

冠 ゆき

1994年より海外生活。これでに訪れた国は約40ヵ国。フランスと世界のあれこれを切り取り日本に紹介しています。

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