ウィーンから小旅行、花の都パリへ

公開日 : 2010年05月26日
最終更新 :

さていつもの如く、獅子奮迅の勢いで2足の草鞋を履きつつ仕事をこなしている著者ですが、”たまには自分へのご褒美♪”ということで、1泊で花の都・パリへ小旅行に行って参りました。

日本語ではフローレンス(フィレンツェ)と並んで、パリは「花の都」と言いますが、到着した時の機内アナウンスでは、"Welcome to the city of love!"でした。言語や文化が異なれば、表現も随分と変わるものです。またParis(パリ)の語源が、ローマ人からの先住民ケルト族に対する蔑称ともとれる”Parisii(田舎者たち、乱暴者たち)”だったそうですので、現在の洗練されたパリのイメージからは非常に掛け離れています。今日では、むしろパリジャン・パリジェンヌが(著者含め)他国民に対し優越感を押し出す場面に多々遭遇するのですが、自分たちの祖先がローマ人にどう思われていたのかも、もう少し考えて頂けるとありがたいです。

◆空港到着後・TAM

飛行機がシャルル・ド・ゴール空港着陸後、著者の目を引いたのがTAM航空の機体!TAM航空と言えば、最近スターアライアンスに加わったことでニュースになっていましたが、まさかパリで初にお目に掛るとは思いもしませんでした。加えて更に著者を驚かせたのが機体にデカデカと書かれている"Orgulho de ser Brasileira"のキャッチ・フレーズ!スペイン語と酷似しているので意味がわかったのですが、直訳で「ブラジル産である誇り」!!!何と自尊心・愛国心の強い国民性なのでしょう。もしANAやJALが「日本製である誇り!」等と機体に大きく書いてしまった日には、相当な物議を醸し出すことは間違いないでしょう。そう云えばオリンピックにおいても、自国旗の柄を競技服やユニフォームに嬉々として身に纏うのは、アメリカとブラジルが著者の中では双璧でした。日本では愛国心を前面に押し出さない謙虚さが美徳なのでしょうし、愛国教育そのものが非常にセンシティブな話題で、半ば禁忌となっています。ただ海外で暮らしていると、日本ももう少し愛国教育をしても良いのではないかと思うこともあります。行き過ぎると危険でしょうし、戦争で被害を受けた人を更に傷つけてしまう恐れもあるので、非常に難しいテーマだとは思うのですが。

◆コンコルドの機体

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◆パリのユニクロ(オペラ座前)

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日本より高額なことを想定していたのですが、驚いたことに値段は日本と殆ど変わらず!日本で1000円のものが、こちらでは7.9ユーロでした。但し、ユニクロがヨーロッパ展開を始めると同時に、日本市場での価格も上げたような気がするので、ヨーロッパが安いのではなく、日本が高くなったのだというのが著者の認識です。ヒートテックなど、昨年は1000円程度だったのに、今年は1500円と5割近くも値上がりしています。パリのオペラ座前という超一等地や物価の高いモスクワでもお店をオープンしたようですので、商品の値上げも苦肉の策だったのかも知れません。またサイズもかなり違い、著者は日本では物によりS〜Mなのですが、こちらではSサイズでも結構大き目でした。

色々迷った挙句、気に入った肌着数種を大量に買い込み、大満足でユニクロを後にしました。

◆ラデュレのマカロン

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写真中央に、看板のようなものが見えるかと思いますが、これがマカロンのメニュー。各マカロンのフレーバーが説明されています。また、その左手に見えるのはギフト用のボックス類。こんなに可愛い箱の中に、愛らしくて美味しいマカロンがぎっしり詰まっていると想像するだけで、著者は気絶してしまいそうです!

あと、このラデュレはソフィア・コッポラ監督が映画「マリー・アントワネット」を制作した際に、カラフルなお菓子を全面的に提供していました。

◆光の殿堂、サント・シャぺル

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話はまた変わりますが、”ゴシック”というのがそもそも蔑称だそうで、15〜16世紀に「ルネッサンス以前の中世の様式を野蛮・粗野なものとするため」に、”ゴシック(ゴートの、ゲルマンの)”という言い方を始めたのが起源だそうです。日本まではあまり伝わって来ませんが、こちらでは未だにフランスとドイツの仲が良くないのはどうやら周知の事実のようです。この犬猿の仲は15〜16世紀には既に始まっていたということですね。それにしても、パリの語源といい、ゴシックの始まりといい、こちらでは蔑称で呼び合うのがお好きなようです。あ、でも日本にも「征夷大将軍」という夷(田舎人・東国武士)を制する職がありましたね。どこの国でもさして変わらないのかも知れません。

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著者の訪問時には、残念ながら一部修復中だったのですが、ご覧頂くとわかる通り、修復前と後ではステンドグラスの輝き方や透明感に雲泥の差があります!(写真でバラ窓右が修復前、左が修復後)全て修復された際には、さぞや神々しいチャペルとなっていることでしょう。もう一度訪れるのが楽しみです。

◆コンシェルジュリー

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これはもともと、6世紀にフランク族王の初代王クロヴィスが構えた王居だったものですが、

14世紀に先述のサン・ルイ(聖王)9世の孫であるフィリップ4世端麗王がパリ議会の中心とし、14世紀末シャルル5世が王居をサン・ポル宮に移した後は、裁判所兼牢獄として扱われるようになりました。また1941年にはコンシェルジュリーは歴史建造物に認定されています。

ここでは、昔の政治犯や囚人の生活様式を再現した牢屋を見学することができるのですが、やはり代表的なものはマリー・アントワネット(元オーストリア人)が処刑前に過ごした牢獄でしょう(写真)。小さな部屋に常時2人の見張りが付いていたようで、子供2人とも引き離され、気の狂いそうな生活だったことでしょう。

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著者の夫曰く、この鼻と口の感じが「典型的なハプスブルガーの特徴」だそうです。

因みにクロワッサンはオーストリアが1683年のトルコ軍による「ウィーン包囲」を打ち破った折に、トルコの国旗にある三日月を模って作ったのが始まりとされ、それをマリー・アントワネットが嫁入りの際にフランスに持ち込んだと言われています。

写真右は、彼女が処刑前に喉を潤したとされる水差し。

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◆世界一美味しい(?)マカロン、ピエール・エルメ!!!

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今回購入したのは、ローズ、アプリコット&ピスタチオ、カラメル、ワサビ、パッションフルーツの5種類。今回の旅で色々なお店のマカロンとお菓子を試してみましたが、ここ、ピエール・エルメが食感・味・見た目・コストパフォーマンス、全て揃っていて、白眉でした!

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本物の薔薇の花弁の上に、雫を模した飴細工までのっているなど、細部に至るまで技巧が凝らされており、乙女心が擽られます!残念ながらピエール・エルメには併設喫茶が存在しなかったので、傍らにあるサン・シュルピス教会前の公園のベンチに座って食べました。

因みにこのサン・シュルピス教会は中をローズラインが通っており、ダ・ヴィンチ・コードにも登場しています。

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パリ滞在の一日目は、グルメ・観光共に大まかにこの様な感じでした。

オーストリアの文化や歴史を知った上で近隣のヨーロッパ諸国に出かけてみると、オーストリアとの関連性がわかったり、また違った視点から物事がみられてとても興味深いです。

また機会があればオーストリア周辺の国を訪れて、是非記事にしたいと思っています!

筆者

オーストリア特派員

ライジンガー真樹

オーストリアっておもしろそうな国だな、ウィーンって見どころのある街だな、と読者の皆さまに思っていただけるような記事を配信していければと思います!

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