ドラキュラ公も登場!アンブラス城の怖い絵画たち
今年6月にウィーンの王宮内にあるSchatzkammer(王宮宝物館)を訪れた際に初めてJahreskarte(年間フリーパス)を購入してみたのですが、このパスにはKunsthistorisches Museum(美術史博物館)を代表に7つの美術館が含まれており、なぜかその中にこのアンブラス城も入っていたというのが訪問の理由。
インスブルックと言う大自然には恵まれながらも決して都会とはいえない立地に、著者の期待はそれほど高いものではありませんでしたが、意に反して結構な見ごたえのお城でした!
こちらの写真はアンブラス城の本館を下から見上げたもの。煙突の形がどれ一つとして同じではないところに、こだわりを感じます。
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見所の多いアンブラス城ですが、著者が最も驚いたのが数々の風変わりな絵画コレクション。今回はそのうちの3点をご覧に入れたいと思います。
まずはこちら。
16世紀後半に描かれた油彩画で、ハンガリーの貴族Gregor Baci氏の肖像画。
少々画像が不明瞭ですが、何と右目を槍に貫かれてしまっています。これは当時盛んであった壮絶な馬上槍試合のトーナメントの事故の結果、もしくはもう一つの伝統であるトルコ軍との激しい戦闘における負傷を表現したものだろうということですが、何とも痛ましい状況です。
因みにこの方は槍に貫かれつつも、生き延びたということです。
お次はこちら。
Bildnis eines behinderten Mannes/Picture of a disabled man
(身体障害を抱える男性の肖像画)
身体障害に関しては何も思いませんが、ほぼ裸の男性が美術収集品1点と共に、黒い背景の中に描かれているシーンが不思議です。
説明によると、この男性は遺伝的な結合組織の病気により、手足と関節が変形してしまったのだとか。また障害のある右肩には、他人に見られないように一枚の紙が被せられているのが絵画からも見て取れます。
この作品もやはり16世紀後半に描かれたもので、アンブラス城の築城主フェルディナント2世の「残酷な有名人物の絵画をコレクションに加えたい」との願いから、当時対トルコ戦において、その残酷さ(串刺し)で名を轟かせていたヴラド4世に白羽の矢が当たりました。
この肖像画は彼の死より100年後に描かれましたが、ヴラド4世の外見はハンガリー捕囚時代に有名となり、多くの肖像画が既に描かれていたため、模倣画を作成するのはさほど困難ではなかった様子。
因みにドラキュラというあだ名は、彼の父親であったヴラド2世が神聖ローマ帝国の竜騎士団の騎士に叙任されていたため、ドラクル(竜公)という呼び名が付いたのが始まりだそうです。
このように、オーストリアはウィーン以外にも見所がたくさん!
ウィーン、ザルツブルクがオーストリア観光の主流ですが、もしインスブルックに赴く予定のある方は、ぜひこのアンブラス城を訪れてみて下さいね。
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筆者
オーストリア特派員
ライジンガー真樹
オーストリアっておもしろそうな国だな、ウィーンって見どころのある街だな、と読者の皆さまに思っていただけるような記事を配信していければと思います!
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