知性派にぴったりなウィーン観光の穴場スポット、軍事史博物館【2】

公開日 : 2017年04月19日
最終更新 :

前回の記事ではオスマントルコ軍によるウィーン攻撃時ゆかりの区画を紹介しましたが、本日はその次の時代にスポットを当てます。

2階の古い時代(17~18世紀)の遺品を見学し終わると、階下の第一次世界大戦時代の展示へと舞台が移ります。

Heeres-Museum-Auto-600.JPG

こちらが軍事史博物館のハイライト、"サラエボ事件"のコーナー。

オーストリアの皇位継承者であったフランツ・フェルディナント大公と妃ゾフィーが暗殺された際に乗車していた車(現物)です。

Ferdinand-uniform-600.JPG

大公の肖像画と暗殺時に着用していた軍服(現物)です。

現在はきれいにクリーニング済みであるようですが、事件当時は着衣が血にまみれていたと聞きますので、あまりじろじろと観察でいずじまいでした・・・。

Heeres-Museum-Moderne-Kanone-600.JPG
HGM-Modernekanone-b-600.JPG

お次は同大戦時の空中戦および対空防御のコーナー。

横に立っている見学者と比べていただくとその大きさのほどが分かるかと思いますが、

すさまじい威圧感を放つ大砲です。

HGM-bunker-600.JPG

再現された塹壕の模型。

ミサイルの痛々しい爪痕が見て取れます。

HGM-flugzeug-rader-600.JPG

当時の飛行機と双発型の対空レーダー(右下)。

このレーダーで敵機襲来を把握したと言われています。

次は建物の反対翌に移動し、第二次世界大戦のコーナーへと移動。

Heeres-Museum-Deathmask-600.JPG

第一次世界大戦のあとオーストリア・ハンガリー二重帝国は瓦解し、第二次世界大戦時のオーストリアはヒトラー率いるナチス・ドイツに併合されていました。

こちらは、帝国時代と併合時代の間に存在したオーストリア第一共和国時代の首相ドールフスのデスマスク。オーストリアが独立を維持するために腐心していた人物のようです。

この他にもヒトラーの胸像やドイツ軍の戦車等、まだまだ紹介したいものがあったのですが、残念ながら閉館時間が迫っており、ゆっくり写真を撮れませんでした...。実をいえば、美味しいアイスクリームのお団子を買いに行く途中に、たまたま通りがかってふらりと入館しただけなんですよね。次回はもう少し計画的に訪問したいと思います(笑)。

日本にいると近代の軍事史に触れる機会が限られていますが、こちらオーストリアでは過去の戦争時のドキュメンタリー番組等が頻繁にテレビ放映されているなど、常に身近な話題となっています。オーストリアと言うと、ハプスブルク時代の栄華にフォーカスされがちですが、そこから現代までどのような道筋を辿ったのか知るのも、またおもしろいと思います。

博物館の建物ひとつとっても見応え十分ですので、お時間があればぜひどうぞ!

筆者

オーストリア特派員

ライジンガー真樹

オーストリアっておもしろそうな国だな、ウィーンって見どころのある街だな、と読者の皆さまに思っていただけるような記事を配信していければと思います!

【記載内容について】

「地球の歩き方」ホームページに掲載されている情報は、ご利用の際の状況に適しているか、すべて利用者ご自身の責任で判断していただいたうえでご活用ください。

掲載情報は、できるだけ最新で正確なものを掲載するように努めています。しかし、取材後・掲載後に現地の規則や手続きなど各種情報が変更されることがあります。また解釈に見解の相違が生じることもあります。

本ホームページを利用して生じた損失や不都合などについて、弊社は一切責任を負わないものとします。

※情報修正・更新依頼はこちら

【リンク先の情報について】

「地球の歩き方」ホームページから他のウェブサイトなどへリンクをしている場合があります。

リンク先のコンテンツ情報は弊社が運営管理しているものではありません。

ご利用の際は、すべて利用者ご自身の責任で判断したうえでご活用ください。

弊社では情報の信頼性、その利用によって生じた損失や不都合などについて、一切責任を負わないものとします。