エリサベスさんとの再会とテムズ川の夜景

公開日 : 2012年11月30日
最終更新 :

エリサベスさんと待ち合わせをしたのは、エレファント&キャッスルという不思議な名前の地下鉄の駅前。出口がいくつかあってなかなか出会えなかったものの、ついに会うことができた。最後にあったのは10数年前。以来、連絡はとり合ってはいたものの、顔を合わせたことはなかったので、「わかるかな~」とイアンと言い合っていたところ、10数年前とまったく同じ肩までのストレートヘアにカチューシャをしたエリサベスさんがあらわれた。まったく変わっていない外見に驚いた。青い目のお茶目な笑顔も、まったく同じ。駅の近くのカフェに入ってつもる話に花が咲いた。

わたしがエリサベスさんとはじめて出会ったのは、1990年6月29日早朝のこと。はじめての渡英で右も左もわからないわたしをヒースロー空港でピックアップし、ロンドンにある日本の地方公共団体の出先機関まで連れて行ってくれた。わたしは実家の町と友好関係にあるウェールズの町の大学の英語研修コースに交換留学生として派遣されてきた(詳しくは、こちら)。

その途上、日本の地方公共団体のロンドンにある出先機関のオフィスにあいさつに行くことになっていたのだけれど、はじめてのロンドンは不案内だろうと、町の友好関係を築くきっかけとなったウェールズの町在住の友人が、その友人だったロンドン在住のエリサベスさんにわたしのピックアップを頼んでくれたのだった。

日本の地方公共団体のオフィスは、石造りの大きな建物の3階だったか、4階、はたまた、5階にあったか、そのあたりの記憶はさだかではないが、インターホンで来館を告げると、ついさっき仕立てあがったかのようなズボンの折りめにシワひとつないダークカラーのスーツを着込んで、髪をポマードできっちりと固めた、まさに、エリート然とした日本人男性が玄関まで迎えに出てきてくれた。

うわぁ。うちの町役場には、こんな職員さんはいないなあ~。見あげるばかりのうわぜいの物腰は礼儀正しく何ともやわらか。おたがいにこやかにあいさつをかわしたあと、それは、今しがた降りてきたエレベーターのボタンにエリート職員さんが指をのばしたときのことだった。

ひざ上のショートパンツにピンクのトップ、素足に底の平たい革のサンダルをはいて、プラチナブロンドの髪をきりりとひっつめのポニーテールにまとめたエリサベスさん。けっして長身ではないが、スリムな体躯の美しい背すじをさらにシャキッとのばして、さらりと、ひと言。

「わたしには足がありますよ」

と言うなり、エレベーターの隣にあった階段をさっさかのぼりはじめたのだった。

あ然とするエリート職員さんと顔を見合わせ、エリサベスさんについて階段をのぼりながら、思わずうなってしまったわたしなのだった。う~む。これがヨーロッパ人の女性なのかあ~。

ちなみに、エリサベスさんはイギリス人ではない。お父さんはハンガリー人、お母さんはオーストリア人。ハンガリーの生家の写真を見せてもらったことがあるが、山間の森のなかに建つお城のようだった。もしかして、一家はハンガリー王国崩壊時の亡命貴族? 親戚は、ドイツ、オーストリア、イギリス各地に居住。エリサベスさん自身はロンドンのフラットで独り暮らし。独身である。まあ、それはわかる。以前はインテリア関連の仕事についていたとのことだが、わたしと出会った当時は、すでにヨガを教えていた。そのとき、50代だったのだけれど、それから22年後の現在も、まだヨガを教えつづけている。

最初からプラチナブロンドなので、どれだけが白髪なのかよくわからないが、ふえたのは白髪くらいのもので、現在も、当時のエリサベスさんは健在だった。ロンドンへは会いに来れなかったけれど、エリサベスさんが送ってくれたTシャツを着て、この夏オリンピックのサッカー観戦(そのもようは、こちらこちら)へ出かけたときの息子ユインの写真を見せると、開口一番、「いったい、この姿勢は何なの~っ!」と、ご機嫌ななめ。「矯正しなくちゃ、女の子にもてないわよ~」とのことなので、来年は、ユインの姿勢の矯正に、ニューキャッスルまで行かなきゃねということに。

そして、わたしのぶらさげていたカメラをさし示すと、「今日は、そんな気分じゃないのよ」と、言い放ち、その日も夕刻入っているヨガのレッスンへと地下鉄の人ごみの中へ姿を消していくエリサベスさんの腕には、ユインがTシャツのお礼に作ったぬいぐるみがそれはそれはだいじな宝物でもあるかのように抱きかかえられていたのでした。

エリサベスさんを見送ったあと、わたしとイアンも再び地下鉄へ。時間は、午後5時前なのですが、すでに11月のロンドンには夜のとばりがおり、にもかかわらずあたたかな夕べに誘われて、「テムズ川沿いを散歩しないか?」と、イアン。「うんうん。しようしよう~」ってことになり、ロンドン橋へ。

ん。あれは、セントポール大聖堂ですか~。

そして、これは、第二次世界大戦に現役だったHMSベルファーストなのだそうです。

もしかして海軍兵だった祖父が乗っていた船と南洋で海戦を交えたことがあるのかもと思って、ロンドンから帰ってから調べてみたのですが、南洋へは行っていないもよう。現在は、先に訪れた帝国戦争博物館(Imperial War Museum)の一部として一般に公開されているとのこと。

ちなみに、わたしたちが持って出かけたカメラは、コンパクトデジカメです。こんな夜景を撮る機会があるなら、イアンに一眼レフを持っていかせるべきだった。「こりゃあ、三脚がいるなあ」と言いつつ、川沿いの手すりにコンパクトカメラをすえて夜景を撮るイアン。そんなことお構いなしで、「おお、あれはロンドン塔~」などと歓声をあげながら、バシバシ、シャッターを切るわたし。なもので、ロンドン塔を撮った写真はぶれぶれのためアップできるようなものがありませんでした。ごめんなさい!

イアンの撮ったタワーブリッジ。

それでも、やっぱり、三脚が必要のようですね。

テムズ川のこちら側はというと、

写真中央、手前のビルの背後から、とんがった先っぽをのぞかせている。「あれが、シャードだよ」「おお、あれが~」 今年、7月の完成時には (と言っても、内部はまだ未完で、完成と一般公開は来春なのだそうです) 、ロンドンにヨーロッパ一の高さを誇るビル(と言うのも、ここしばらくのことなのだそう)ができたとニュースで大々的にとり上げられていたロンドンの超最新観光名所です。この写真ではよくごらんになれないですが、ガラスのピラミッドの先端をつまんで、にゅ~っと引き伸ばしたような外観をしています。

正直のところ、ロンドンに行ってもなあ~。なんて思っていたのでしたが、このテムズ川沿いの新旧の建物がないまぜになった夜景を目にしていると、ああ、来てよかった~。明日は、ロンドンのどんな顔を見ることができるのかなあと、わくわくしてくるわたしなのでありました。

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